「魔法を……やめないで、ください」
◇ ◇ ◇
その魔法に関して、ファルムはすべての条件を満たしていた。
街の大火は、彼の髪を焦がし、肌を舐め、小さな身に炎の灼熱を与えた。その熱も痛みも、十二年の月日が経とうと、ファルムの身体は覚えている。火元近くにいた彼が、助かったのは奇跡と言っていい。
彼の魂もまた、その日の記憶を生涯忘れぬだろう。すべてを焼き尽くさんと迫る業火への恐怖。目の前で炎に包まれた最愛の母親。助けに走った父親も、ついに戻らなかった。
肉体と心に刻み込まれた出来事は、魔法として再現できる。
だが、十六歳の少年に具象化できるだけの魔力など、持ち得ないはずだった。
ただの少年なら。
◇ ◇ ◇
嫌が応にも再生される大火の思い出。過去の回想から戻ったと思えない光景に、心臓が跳ねる。あの時と寸分違わぬ炎が、周囲を這っていた。
発現した途端、息ができなくなる。
凄まじい熱気が自身の周りを這う。見渡す限りの赤が目を刺す。全てを飲み込む炎の色だ。
また暴発か? いや、違う!
俺は今、初めて魔法を成功させた。十二年前の大火を再現してみせたのだ!
「……たす、け……て! 熱い! 熱いいいいっ!!」
俺は絶叫した。熱いなんてもんじゃない。焼ける、これはあの時の母と同じ……
「助けて、母さん……誰か……」
ベッドから転がり落ちた衝撃で目が覚めた。いつもの場所、俺の部屋。はっとして、両手を見る。焼け爛れた痕もない。
俺は、炎に巻かれたはずでは? それとも、あれは悪夢か……? 窓から漏れる光は、朝の日差し。俺はかすかに期待する。
このまま扉を開ければ、朝食の準備ができていて、愛する妹たちが俺の寝坊を笑顔で迎える。そんないつもの光景が……
「アルナ! 急いで水を持ってきて!! 私は氷を作るから…!」
「シェリー、シェリー! お願い、死んじゃやだ!」
俺が起きたことにも気づかず、家を駆け回る妹たち、布を敷いた床に、力なく横たわるシェリー。夢などではない、あの魔法は間違いなく現実だ。
「……シェリー、そんな……! 俺のせいで……」
俺は部屋から出られぬまま、自分のしでかした罪を見つめていた。
「長老を連れてきたぞ! さあ早く、患者はこっちだ!」
ランダンが小柄の老人を連れて、家に入ってきた。あれはこの村の長老。彼は同時に治癒術士でもある。治癒術は高度な魔法で、村では長老しか使えない。
長老は皆を下がらせて、シェリーの前に立った。祈るように手を組み、詠唱の言葉を呟く。
彼女の身体が光に包まれる。治癒術の発現だ。
「……」
「……はい! はい、長老様。ありがとうございます!!」
「よかった、シェリー! 本当に……」
老人がセリカに何事か囁いた。こちらからでは聞き取れなかったが、安堵したセリカの様子から、シェリーが助かったとわかる。アルナは友人の枕元に寄り、泣いて無事を喜んだ。
俺はその光景から後ずさりし、ベッドに潜り込んだ。
毛布の中、暗闇に包まれながら、俺は咽び泣いた。
再び目覚めたとき、部屋に光はなかった。いつの間にか夜を迎えていたらしい。恐る恐る、ドアに手をかけ、外の様子を伺う。
静かなものだ。シェリーの容体は安定しているのか、慌ただしさはどこにもない。意を決し、部屋から出てきたとき、セリカはひとりシェリーの看病をしていた。
「……兄さん、体は大丈夫なの?」
「俺のことなんかいい! シェリーは……どうなんだ?」
「安定しているわ。でも……」
俺はシェリーに近づこうとし……できなかった。見てしまったのだ。無事に生きているという彼女の、彼女の……額に……
「そんな……」
薄暗い室内でもわかる、アルナと同じ、幼い彼女の額に、ひどい火傷の跡があった。 右眉の上、焼けて短く縮れた髪から、赤々として残っている。長老の治癒術をもってしても、消せなかったのか。
「俺は、何てことを……! ごめん、シェリー。ごめん! ごめんよ……」
膝から崩れ落ちる。意識のない彼女に、何度も何度も謝った。セリカは黙って俺の背に触れる。嗚咽も隠さず泣き続ける俺に、幼子を落ち着かせるよう、そばに寄り添った。
「兄さん。長老様はもう大丈夫だって、お帰りになったわ。アルナも部屋で眠ってるし……」
「そうか……セリカは、ずっとシェリーを見てたんだろ? あとは俺が代わる、休んでくれ」
「私はいいわ。それより、ランダンさんが外で……兄さんを、待ってるって」
ランダン……! そうだ、彼も俺のせいで……
セリカに、もう少しシェリーを見ててくれと言い、俺は外に出た。
「ランダン……」
彼は家の前に立っていた。朧気に光る月を見上げ、俺の顔を、これ見よがしに溜息を吐く。
「俺のせいで……本当にすまなかった、ランダン。怪我はないのか? シェリーはぐっすり休んでいる。あとは、俺たちだけで大丈夫だ……」
長老に治癒をかけてもらったのか、もともと頑丈なのか……ランダンの体には、俺の見る限り、傷はなかった。
けれど、これまで見たこともないような険しい顔をし、眼光は射殺さんばかりに、俺を貫く。
「おまえは、何度約束を違えれば、気が済むんだ?」
言葉を次げなかった。彼の言うとおりだ。何度も何度も、そう言われていたのに。
自分に甘く愚かな俺は、幾度となくランダンとの約束を破って、魔法を使った。
「ああ、そうだ。おまえがやったことだ。これでも、魔力があればなんとかなると思えるか? ……全部無理なんだ、ファルムよ。おまえは今まで以上に、息を殺すように生きていくしかない」
そうだ。それが、俺の人生なんだ。
異質な俺は、誰にも見つからず、誰とも関わらず生きていくのがお似合いだ。
「……ファル、ム……さん」
小さくかすれた声を、俺は聞き逃さなかった。俺たちは、はっとして顔を上げ、家の方を見た。
「シェリー!!」
セリカに支えられる、焦茶髪の少女。今にも折れそうな花のように、儚く夜風に揺れていた。大きな瞳に、怒りや憎しみの色はなく、ただ俺への憂いに満ちる。
「ごめん。全部全部、俺のせいなんだ!! あの氷も俺が作ったものだ! 俺は、昔から…人より多く魔力を持ってて……! でも、暴発してばかりで……あのときも、シェリーの話を聞いて、俺にも出来るような気になって……それが、こんなことに……」
謝罪の言葉が溢れて止まらない。言いたいことは山ほどあっても、俺のしでかした罪は、決して無くならない。
ならば、もう。いっそのこと……
「俺なんて……俺なんて、いない方がいいんだ! 今すぐに、消えてしまいたい! この世から、跡形もなく……!」
「ファルム、さん!」
そんなこと言わないでください、彼女は俺に微笑みかけた。俺のせいで酷い目にあったというのに。こんな、どうしようもない俺に……
「あんな大きさの火……普通の人には、絶対にできません。ファルムさんは、すごいです……! 誰よりも、すごいことができるんです……だから、魔法を…やめないで、ください」
「お嬢ちゃん。だが、こいつは……」
ランダンは否定しかけるも、静かに首を振るシェリーの前に、その声はたち消えた。
「将来の可能性を、摘むことなんて……誰にも許されないはずです!! ファルムさん……あなたには、無限の選択肢があるんです。偉大な治癒術士にも、魔撃を扱う戦士にも……何にだってなれる。これは、ファルムさんにしかできない、すごいことなんです。もっと勉強すれば……必ずできるようになります。私も、何回でも教えます、だから……!」
あんなに酷い目にあったのに、シェリーは俺の力を肯定してくれた。俺の存在を、受け入れてくれた。そんなことは許されないと、ずっと思っていたのに。
「……お嬢ちゃんの言うことも一理ある」
ランダンは真剣な目で俺を見、一歩近づいた。
「ランダン、俺は」
「おまえは足りない奴だ。技量も、自覚も……だが"若い"というのは、そういうことかもしれぬ。導いてやるのも年長者の務め」
「私もです! ねえ、ファルムさん……いっしょに、学んでいきましょう?」
二人の言葉が胸に広がった。あたたかくて、ずっと心に残る。シェリーを支えるセリカも、俺を見て頷いた。
歓喜の思いが、目から溢れる。
「ありがとう……ありがとう! シェリー……約束しよう。俺が全部元通りにする! その傷跡も、俺が……必ず。だから、待っててくれ」
「そうか。ならば、明日から容赦無く特訓だな。おまえが音をあげようが構わず、力を使いこなせるようになるまで、徹底的に鍛える。覚悟しとけ」
「ああ! ランダン……シェリーも、よろしく頼む!」