「ほう。お嬢ちゃん、魔法に詳しいようだな」
深みのある、焦げ茶の髪で気がついた。彼女は昨日会ったアルナの同級生だ。
短く切り揃えた前髪を振り、彼女は頭を下げた。
「シェリーです。助けてくれて、ありがとうございました。あの、今日はアルナちゃんと話がしたくて……お家に行くところだったんです……でも、突然こんなことに……」
「ああ、そうだったのか……」
昨日の俺は、末妹の将来の事で頭がいっぱいだった。俺は改めてシェリーに自己紹介するが、アルナちゃんからお話をよく聞いていますと、はにかんだ笑顔で返された。
「アルナが俺の話を? どうせろくな事じゃないな。アルナめ、友達にまで俺の愚痴を言ってるとは……」
「いいえ! 愚痴じゃないです、いい話ばかりです。仲がいいんですよね。話を聞くたびに、ファルムさんのようなお兄さんがいたら、素敵だなと思ってました」
シェリーに嘘を言っている様子はなかったが、アルナの口から俺をけなす以外の言葉が出てくるとは思えなかった。たぶん彼女なりのお世辞なのだろうけど、俺はちょっと嬉しかった。
それにしても礼儀正しい子だと感心するなか、シェリーはしゃがみこんで、興味深く氷を調べていた。触って温度を確かめたり、こんこんと拳で叩いている。
「これは高威力の氷撃魔法ですよね? 一体誰がこんな危険な術を使ったんでしょう?」
「ああ、そうだね。まったく誰がこんなバカなことを……でも、ほっといたらそのうち溶けるって!」
「そうでしょうか? こんなに硬いと時間がかかりそうです」
「えっと……君は、アルナに用事だったよな? 今日は学校も休みだし、家でゆっくりしてるよ。さあさあ、案内するから行こうぜ」
「あっ、でも……」
まさか、俺が発動させたとは、口が裂けても言えない。とりあえず必死ではぐらかす。
「おい! ファルム!! またサボりおってからに……! 早く後片付けせんか!」
ランダンの野太い声が彼方から聞こえる。このタイミングで乱入してくるのはまずい。
「まったく、誰のせいでこうなったと……あ!」
俺への恨み言を言いながら近づいたランダン、やっと第三者の存在に気づき、しまったという顔で俺を見た。
今のは完全に彼の失敗だ。この魔法が俺の仕業だとバレたら、家族はこの村を離れなくてはならない。
「では、この氷を作ったのは……」
シェリーはすでに実行者を見つけていた。びしり、と犯人を指し示す。
「おじさん! あなたですね? こんなところで攻撃魔法を使ったら危ないじゃないですか!」
「は? ……ああ! ああ、そうじゃ! これは儂がやったのさ」
シェリーは見た目から、魔力の高そうなランダンを犯人だと断定した。妥当な指名だ。ランダンには申し訳ないが、ここはおとなしく汚名を被ってほしい。
俺は見えないところで手を合わせる。必ず借りは返す。いつか。たぶん。
「そうだぞ、ランダン! いくら魔法が不得手だからって、他人に迷惑をかけるなんてダメだ!練習ならもっと安全な場所でしないと!」
「あー、すまんかった」
「そうです!」
「お嬢ちゃん、すまなかったなぁ。ちゃんと後始末はするから……」
シェリーに対して慇懃に謝罪するランダン。だが、彼は俺へ視線で語りかけている。この野郎、後で見ておれ……と。
わかってるよ。俺がぜんぶ悪いってことくらい……
「誤発は誤発ですけど、素晴らしい精度です。影響範囲も広いし、こんな頑丈で、綺麗な氷ははじめて見ました」
シェリーは随分と魔法に関して興味があるようだ。そのせいで、危険な目にあったことも忘れ、氷撃を賞賛している。
「ほう。お嬢ちゃん、魔法に詳しいようだな」
「はい! 好きな科目なんです、将来は王宮の術士になりたくて…」
術士といえば大した職業だ。国民誰もが憧れる職業……アルナの夢でもある。学院への入学はその足がかりとなるはずだった。
魔法が得意と聞いたランダンは、何か思いついたようだ。急に愛想良く話しかける。
「そうかそうか、ちょうどよかった。儂はこの歳で魔力は多少あるが、肝心の使い方をしっかり学んだことがないのだ。もしよかったら、基礎を教えてくれぬか?」
「ええ、いいですよ。おじさんほどの魔力があって、しっかり学べば、きっと凄い魔法ができますよ!」
「これはありがたい。では、さっそく家の裏庭でも使おう。さて、ファルムよ、おまえも来るよな?」
鍛え抜かれた分厚い掌が、俺の肩を掴み、食い込む。
拒否権なんてなかった。
「それでは始めます! ランダンさんはもちろん魔法を使えると思いますが、魔法についてどれくらいの知識をお持ちですか?」
「……えー、魔力があれば、使えるとしかわからん。儂だって魔法で火をおこし、水を出して洗い物をしているが、習慣に近いし、それもいつの間にかできるようになったとしか説明できん」
シェリーの講座が始まった。俺はランダンとの狩り、いや、熊狩りから一段落して肉体、精神的に参っていたので、近くに座り込んで聞いている。
「魔法自体に複雑な詠唱も、特別な才能も必要ないんです。過去に体験した現象を具現化するのが魔法、そのきっかけとなる感覚さえ掴めば、所有する魔力の限り、現象を可視化できます」
例えば、とシェリーは人差し指を立ててみせた。
「火打石をうち合わせるのを想像して、その感覚を思い出すと……"火花"」
彼女の指先から、火の粒が零れる。
「"ろうそくの火"、"夜道を照らす松明"、"暖炉で躍る炎"」
簡単な詠唱を唱えるたび、火は少しずつ、大きく具現化されていく。ランダンも真剣な表情で聞き入っていた。
「私の魔力だとここまでが限界です。でも、ランダンさんは私の倍以上の魔力を持っていますから、いろんなことが出来るはずなんです! 改めて魔法って簡単でしょう? 生きているだけで経験は積み重なりますし、魔力は歳をとるたび増えていきます。だから、魔法を使えない人なんていないんです!」
「なるほど。今までなんとなしに使っていたが、話を聞いて合点がいった。そうか、儂の経験したことをか……では、こういうことも」
そう言うと、ランダンはおもむろに剣を抜いて天に翳した。
「……"あの灰色の夜"」