「でも!それじゃあ、お兄ちゃんが……!」
そして、食卓では例の話が流れた。学院への進学を止め、すぐに働きに出るという妹の選択。セリカは息を飲んでアルナを見つめ、反対に俺は顔を逸らした。
「……やっぱり、わたしがいないとダメじゃない?」
小さく笑ってアルナは言った。
「ほら、お姉ちゃんだって家のことで大変だし、お兄ちゃんは…わたしがいつもせっついてないと動かないじゃない! だから…進学はいいの、わたしは働きたいの!!」
「ダメよ、アルナ!お願いだから考え直して。私がこの家と兄さんのそばにいるって、アルナは自分のために勉強を続けるって決めたじゃない…あんなに、進学が決まったときは、喜んでいたのに…ほら、兄さんもなにか言ってあげて!」
セリカに急かされて、俺はやっと目の前のスープ皿から視線を外し、重い口を開いた。未来のことを考えるのは苦手だ、いつも自身の不幸を嘆くことから始まるから。
「セリカの言うとおりだ。進学はいつでもできるわけじゃない。この機を逃したら、もう二度と推薦は来ないかもしれない」
通常なら、お兄ちゃんに言われたくない! と速攻で否定される。しかし、今回ばかりは末妹の人生がかかっているのだ。ちゃんと聞いてくれるよう、必死になって言葉を探した。
「家計が苦しくなるとか、アルナは心配しなくていいんだ! そんなことでおまえの将来が制限されるなんて、あってはいけない! アルナは、俺たち兄妹の中で一番勉強ができた。おまえだって、あんなに楽しんで学んでいたじゃないか! だから……進学、諦めるなんて言うなよ…アルナはアルナの好きなことを、自分の未来を自由に決めてくれ」
アルナは静かに聞いてくれた。うつむいた彼女の、二つに結んだ髪が、しゅんとテーブルに垂れる。
わかってくれただろうか。俺たちの気持ちは届いたろうか。期待を込め、彼女を見つめる。
でも……という声が、俺の耳に飛び込んだ。
「でも! それじゃあ、お兄ちゃんが!!」
「アルナ、やめて!」
アルナは立ち上がって叫んだ。この俺が、どうしたと言うんだ? セリカは言葉の真意がわかったのか、続きを言うことを阻んだ。アルナは構わず、勢いのまま思いの丈をぶち撒ける。
「お兄ちゃんの面倒は誰が見るの? お姉ちゃんだって、ずっとそばにいるじゃない! わたしだって! わたしだって、お兄ちゃんを守れるんだから!」
「アルナ……」
目の前が暗くなった気がした。アルナは、俺の存在に縛られている。俺が重石となって、自由なはずの妹の将来を阻んでいる。
やはり、普通と違うから。まともに働けないから……そんな俺じゃ、家を任せられない。みんな、アルナが言ってきたことだ。
幼い妹の言うことと、聞き流してきた俺をぶん殴ってやりたい。もっと早くに願いを聞いてやれれば、彼女はここまで思いつめなかったろうに。
「……なんだよ。なんだよ、それ。やっぱり、俺は……重荷か」
「違うわ! 兄さん、そういうわけじゃ……」
「セリカも、そう思ってたんだな」
少し考えさせてくれと言い、夕飯も途中に席を立った。
セリカの引き止める声にも答えず、自室に引き込もった。
部屋は暗いが、明かりもつけたくなかった。ベッドに身を投げ出し、天井を見上げる。
アルナの本心から出た言葉は、俺の心を容赦無く掻き乱した。俺はこの魔力のせいで、学業を諦めた。もともと他の成績もあまり良くなかったし、さっさと働きに出たかった。妹たちの将来のためにも、遺産に頼らず、学費を出してやるために……
妹たちのためなら、なんだってやる。俺が勝手にそんな大義名分を掲げた一方、彼女らは俺のせいで人生を制限されている。なんて酷い兄だ。それもこれも全部、俺の異能のせいだ。
「なぜ……俺だけに、こんな魔力が?」
年不相応の能力が邪魔で仕方ない。生きていて何度も思った疑問が、今も胸中に反響する。解きようのない問いが頭の中でぐるぐる回る。いつもこの繰り返しだ。考えてもわからないことで時間をとり、結局俺は行動できない。
何のために生きるか。
どうやって幸せになるか。
待つだけで答えは来ない。きっとそれは、俺が自分の手で掴み取らないといけないものなんだ。
今日ここで答えを出そう。俺はどうするか。どうやって生きていくか――
「なんだ? 今日は来ないんじゃなかったのか?」
早朝に自宅の前で素振りをする俺に、起きたばかりのランダンは眠そうな声をかけた。昇りたての太陽が、俺を照らそうと光を伸ばしてくる。
「気が変わった! 俺は、これからっ、毎日来るぞ! 弱音なんて吐くもんか! どんな仕事だってやってみせる!」
素振りを続けながら、ランダンに昨日出した結論を告げる。彼は髪と同色の眉を上げ、奇妙なものを見るかのように首をかしげた。
「何があったか知らんが、朝食終わるまで待ってろ……」
出した結論はこれだ。俺は、家族のために生きていく。あいつらを幸せにする。今日から、なにがなんでもランダンの指導についていく。俺が一人前の猟師となれば、アルナだって安心して学院へ行けるはずだ。
しかし、どんな崇高な決意の前でも、身体は正直だった。
昨日、危機感にかられて体を責めた結果、目が覚めたときから凄まじい反動が俺の体を苛んでいた。
ランダンが奥に引っ込んでから暫くの間、素振りを続けたが、やはり昨日の疲れが残っている。膝が震える、腕の動きもおぼつかない。
「う……もうダメ、だ……ちょっと休憩……」
「ほらみろ、またサボっとる」
支度を整えたランダンが、ひょっこり顔を出した。
「違っ……休憩してんだよ! それも今日初めて……なんでそんな時に顔出すんだよ…」
「サボってる奴はみなそう言う。まあいい、今日から儂の本格的指導を受ける覚悟があるということだな」
「……そ、そうだ!」
息を切らせつつも、俺は応えた。
既に疲労困憊の様子に、ランダンは呆れた表情を見せた。
「ファルム、おまえ、既に一日分の体力を使い果たしたろ。鍛えるのは夕方から、それまでは儂の狩りでも見学していろ」
「俺は、まだ動けるぞ! 俺だって、役に立てる! 獲物を追いかけるくらい……!」
ちゃきん。
高い金属音が耳に入った瞬間、目を狙う鋭利な剣に気がついた。あまりの近さに思わず後退……し損ねて、地面に尻餅をつく。
「なんだよ、危ないな! いきなり刃物振り回してんじゃ……」
「やかましい。どうしておまえは、儂の邪魔になると思わないのだ? この先は危険なことばかりだ。逃げる体力くらい残してやろうと思ったが……わかった。おまえが、その場で腹筋二百回してから向かうとしよう」
「……ごめんなさい。どうか狩りに連れて行ってください」
伏して頼み込む俺を一瞥し、ランダンは腑に落ちない表情で、狩りの準備をしに家へ戻った。