「ファルムさん……私……王都へ行きます」
セリカと俺が借りている部屋は、図書館の三階にある。こじんまりとした古い部屋だが、日当たりがいい。かつて物置きとして使われていた部屋で、館長がベラを引き取った時に改装し、家政婦をつけて住まわせたという。今は俺たちに譲ってくれた。
ベラは新たに別室をもらったが、ほとんど使っていない。俺たちのところに入り浸りになっている。
俺たちは今日雷撃のあと、初めてアルナとシェリーに会う。先にもらった手紙からは、ありありと心配の気持ちが伝わってきた。村人全員無事であると書いても、実際会わないと不安なのだ。
ベラと俺は同時に図書館についた。先に駆け出したベラと同じ時間に到着できたのは、俺も全力で走ったからだ。俺の分のおかずは渡さない。
「ぐぐぐ……ファルム、離してよ! 私は今すぐセリカのところへ行きたいの! おなかすいたの!!」
「ダメだベラ、おとなしく自分の分だけ食べるんだ」
「いやよ!」
「なんでだよ……」
俺は今、ベラの背中の服を掴んで抜け駆けを封じている。
図書館はすでに閉館の時間で、館内に利用者はいない。職員もそれぞれの家に帰った。館長は、いるかもしれないが、こういう集まりに加わる性格じゃないとベラは言い切った。まあ、部屋を貸してくれた礼を言いに行ったときも仏生面だったからな。あまり騒がないようにしよう。
俺は上階を見上げた。もうアルナたちは来ている時間だ。学院の事情で街についてすぐ会えなかったが、もうすぐあの明るい笑顔が見れる。
でも……思い出すのは、名簿に書かれた遺族の欄。"養女アルナ"の文字…
昼間、あの名簿を見なければ、もっと純粋な気持ちで会えたのに…
再び胸をよぎる思いを掻き消すように、心とろけるいい匂いが鼻腔をくすぐった。セリカの料理の香りだ。そういえば、俺は昼飯を抜いていた。猛烈に空腹だと胃が訴えてくる。
セリカは気合を入れて夕食を作ると言っていた。俺も会うまでに街で仕事を見つけると手紙で豪語した。俺の公約は守れなかったが、セリカは違った。
あのことを知って、俺と同じように疑いを抱いても、ちゃんと料理を作ってくれている。
"大丈夫よ"と、あの優しい妹が言ってくれた気がした。母によく似た、やわらかい笑みをもって……
こわばった顔が解けていくのがわかった。ああ、やっぱりセリカは強い。もしかしたら、家族を思う気持ちが一番強いのは彼女ではないだろうか。
向こうに家族がいる。楽しい食卓を用意して、俺のことを待っている。国が誇る図書館ゆえに複雑な作りになっているが、今は夕飯の匂いだけで迷わずに戻れそうだ。
すっかり和んだ俺は、身体の力も抜けてしまった。ベラを掴んで止めていた手が外れる。
自由になったベラは、うっひょーごはんごはん! と言いながら駆けていった。
橋の上の会話でちらりとみせた涙はなんだったのか。いつも笑っているのは自衛のためだと思ったが、あの明るい性格はやはり生来のものだろうな。
部屋で真っ先に目に入ったのは、末妹のアルナの小さな姿。
今日その髪にあるのは黒色のリボン。二つ結びを振り乱して、俺の元へ走ってくる。
「お兄ちゃん!!」
「ああ! アルナ、ただいま」
村の災害の後、初めて会う末妹は俺の姿を見るや、泣きながら抱き着いてきた。お兄ちゃんお兄ちゃんと俺を抱きしめるアルナ、その力も声も弱まっていない。
「お兄ちゃん! 本当に大丈夫なの!? 身体はどこもおかしくないのね!?」
「悪い。遅くなって心配してたか?」
腕の中にアルナが飛び込んだとき、俺の心の混沌は晴れた。
名簿にどう書いてあろうが、俺たちに血の繋がりがなかろうが関係ない。俺の胸に広がる暖かい感情が答えだ。俺はアルナを大事に思っている。
彼女は、俺の大切な末の妹だ。
「大丈夫だ、アルナ……俺はここにいる」
「もう、アルナったら。兄さんなら大丈夫だって言ってるでしょ、さあみんな夕飯にしましょう」
威勢良く言ったセリカはやっぱり笑顔で、不信や疑いは影一つない。
アルナが部屋の奥に走り食事の準備にかかるなか、俺はセリカに近づいた。
「なぁ、セリカ……ベラも言ってたんだけど、やっぱりあの名簿は……」
「……いいの兄さん。どんなに考えても仕方のないことなの」
やはりそうだ。セリカも何かを乗り切った顔をしている。
「そんなことで悩むよりも、今とびっきり美味しい料理を作るのが私の役目なの。みんなが幸せでいることが、きっと……お母さんとお父さんのなによりの望みなんだから」
部屋の奥、暖かな灯りがある場所にベラとシェリーがいた。ベラの元気な性格に照らされるかのように、シェリーの焦茶の髪も明るい色に見えた。
「えっ! まだ食べちゃダメだったの!?」
「だから言ったでしょうベラさん、今からでも遅くないからそのチキン戻してください!」
奥のテーブルにはセリカの手料理が彩り鮮やかに並んでいて、ベラとシェリーはその前に座っていた。
ベラは来たばかりだというのに料理に手を伸ばしてシェリーに窘められていた。ベラが持っているのは俺の皿にあったおかずだと思われる。間に合わなかった。
「こらベラ! シェリーも先にやってたのか。久しぶりだな」
「ファルムさん違います! 私はまだ……つまみ食いなんてそんな……!」
「ははは!わかってるさ、シェリーはそんなことしないよな……ベラ、わかったよ。それやるよ」
「えへへ」
「ほら、アルナも座って。長い話があるのはわかるけど、まずは美味しいものを食べてからね」
アルナはまだ泣いていたが、ようやく落ち着いたようだ。セリカは妹の肩を抱いて椅子に座らせた。涙を拭った腕の下に出てきた顔は、赤くなってはいたものの、いつものアルナの笑顔に戻っていた。
いつぶりだろうか、みんなの合掌の声を聞くのは。
この場にランダンがいないのが惜しいが、久しぶりに家族が揃ったのだ、楽しい夕食になるだろう。
いろんなことがあったけれど、こうやって顔を合わせるたびに、幸福とはこういうことだと思い知らされる。
食事が終わった後、セリカはベラに仕事のことで相談があると言い、別室に入った。俺のアルナとシェリーとの再会に水を差さないための気遣いだったのかもしれない。
二人は村の出来事とランダンの正体のことについてはセリカから聞いたようだ。彼女たちは、実は英雄だったランダンの事を驚いてはいたものの、どこか納得した風であった。
だが、不死者についての情報は俺しか知らない。俺は今まで知った事実を打ち明けた。
はじまりはベラから借りた一冊の本。それが図書館から持ち去られたこと、ある少年が慰霊祭の夜に黒髪の男へ手渡した。
そいつはおそらく、不死者。十三年前となんら姿が変わっていない。図書館の館長も、彼の姿を見ている。大火の真相はあの男ともう一人の不死者が出会い、戦闘を始めたこと……
「誰彼構わず巻き込んだりする……人の死を厭わず攻撃しそうな不死者って誰だ? 確か……"魔女"は"不死の王"を狙ってるんだよな。二人が出会って、戦いが起こったのかも」
「お兄ちゃんにしてはよく覚えているわね。不死の王は不死者のなかで最も危険と言われているわ。街にいたところに敵の不死者が現れたら、これまでの恨みだ! って襲いそうだもの」
「もし……ファルムさんの見た不死者が王だったら。もうひとりは対抗する人物でしょうね……王の天敵は魔女と"賢者"。そのどちらかがあの場にいたのかもしれません」
「ああ、そして…黒髪の男はこの近くにいる。村と、一年前にミラサルムに落ちた雷撃は、不死者の仕業と言われているんだ」
二人が息を飲むのがわかった。俺の見た不死者について憶測を述べるのとは別に、その人物がまだこちらを狙っていると知るのは……とても恐ろしい。
俺はさらに、村に訪れた将軍レジオスからの説明を二人に話した。彼は助力を求めてランダンに語った。仮にも将軍という立場から発された情報だ。本人は不死者からの攻撃というのはエドラのはったりだと断言していたが、彼は黒髪の男の事を知らない。奴はすぐそばまで来ていたのだ。
「……俺の出番じゃないのか?」
妹たちは言葉もなく、俺を見た。
「ランダンという、つてがある。王都に行って彼らと相談して……軍で俺を鍛えてもらうんだ。そして、ルトワの兵といっしょに戦う……俺たちの両親の仇が隣の国にいてまだこちらを狙ってるんだったら、やっぱり立ち上がって対抗しないといけない! それに俺にはこの力がある。もう使いこなせるようになったんだ、俺の魔力はやっぱりこのためにあったんだよ!!」
「……でも、お兄ちゃ……」
「ダメです!!」
アルナよりも大声で叫んだのはシェリーだった。
ここまで自分の意思を主張する彼女を見たのは、一年前の春以来だ。
「ファルムさんは、もうこれ以上、辛い経験を重ねなくていいんです! 大火や、雷撃からも生き残ったのに……これから幸せな未来が待ってるんです! ファルムさんの力のことはまだ知られていません。こんな状況で秘密が暴かれたら……国の術士はどんな手を使ってでも利用したいと思うに決まってます!!」
「でも、こんな……国の危機じゃないか! アルナも、シェリーにも……俺の大切な人に危険が迫ってるんだぞ!? 俺の力は、みんなを守るために使うべきなんだ!」
「そうです……本当に大変な事態なんです! だから、私……」
「シェリー!! まさか、あの話を受ける気じゃ……!?」
「なんだ? シェリー、国が大変なのはわかるがどうかしたのか?」
シェリーは急に椅子から立ち上がり、硬く目を瞑った。手を握りしめ、震えながら立つその姿は、恐れている何かに立ち向かうような、悲壮な決意を感じさせた。
「ファルムさん……私……王都へ行きます、戦うんです……この国を守るために」
戦う……?
シェリーの小柄な身体から発せられた言葉とは思えなかった。戸惑って見上げた彼女の顔に、普段は前髪で隠している火傷の痕が見えてしまい、俺は視線を外した。
「シェリーが行く必要なんかないわ! どうして!? だって、そんな! 村を吹き飛ばそうとした敵がいるのに……シェリーにどうにかできる話じゃないでしょ!」
「待ってくれアルナ、シェリーも! 一体どういうことなのか、ちゃんと説明してくれ!」
シェリーはごめんなさいと呟いて、椅子に座り目線を床に落とした。その背をアルナが優しく、いたわるように撫でる。
彼女からの手紙には、戦いに行くなどと一言も書かれていなかったが、アルナは事情を知っているようだった。
「……数日前、術士長のギルエリ様から至急の通知が来たの。学院の教師及び、優秀な学生をこの事態の解決に当たらせる、王都に来るようにって。わたしは選ばれなかったけど……シェリーが……」
「大丈夫ですよ……アルナちゃん、ファルムさんも……王都での、ちょっとしたお手伝いでしょう。術式構築の助手として、暫く働いてくるだけですから……」
信じられなかった。シェリーの選択も言葉の意味も。
彼女は俺が守るべき人だと思っていた。俺のせいで半死半生の目にあったというのに、さらに危険な道に飛び込むという。まだ、俺は彼女との約束も果たしていない。彼女の傷跡を消してみせるという誓いに、一つも近づいていないのに。
「……ファルムさん、私、王都に行ってきます。でも、ファルムさんはこの街にいてください。アルナちゃんの、そばにいてあげてください。私は……少しでも、どんな形でもいいから、ファルムさんを守りたいんです」
俺は彼女に何をしてあげただろう。
何も返せない、何もできない俺は、シェリーをまっすぐ見続けることができなかった。彼女の瞳は決意に輝いている。 それはとても澄んだ色をしていた。