「あー、もういい。ファルム、もういいから……」
俺が定職についていないのは事実だ。
俺たち兄妹は、森からとれる自然の恵みと、なぜか巨額だった両親の遺産で日々を食いつないでいる。割合は圧倒的に後者の方が大きい。
幼いころに亡くした両親のうち、父親のファルダンは、ここから離れた都市にある商店で働いていた。そこまでの給金はなかったと思うが、山奥に別荘を持っていて、それでも余りある貯金があった。
母親はずっと家にいたし、内職をしていた記憶もない。二人とも逝ってしまった今、そのあたりの金銭事情は謎に包まれている。
「おっ、俺はちゃんと働いているぞ! ほぼ毎日、家に食料を持って帰ってるだろ!」
「それだからバカだというのだ、おまえは! 今は貨幣経済の時代だぞ!? このまま妹たちを養っていけると本気で思っているのか? おまえが苦労して捕った魚なぞ、市場じゃ二束三文で売っとる!」
「……じゃあ、どうすればいいんだよ……俺は他の奴みたいに街に出て働くことはできない。向こうだって、仕事で魔法を使ってるって聞いたぜ?」
若い奴は魔力が少なく、さほどの魔法は使えないとはいえ、火をおこす、水を出す、風を吹かせるなど、働く上でどのみち必要になる。
今のままの俺がそんなことをしたら間違いなく暴発する。街がいくらあっても足りない。あの大火の二の舞だ。
考えれば考えるほど不思議だ。俺がこの力に気づいたのは、村に引っ越してからだ。俺が本当に小さいとき、両親といっしょに街に住んでいたころはそんなことなかったのに……
うなだれる俺を見て、ランダンはため息を吐き、剣を肩に担いだ。
「この村で過ごすなら……畑仕事するか、狩人として生計を立てるしかない。儂、農業は無理だし……仕方ない。明日から儂の家に来い、剣と弓を教えよう」
「魔法もか!?」
「だからさっきも言ったろ! 儂は魔法の理屈がよくわからん! あんな鍛えもできないものを使って狩りをするなど、儂の美学に反する」
教えるという申し出に魔法も含まれるかと期待したが、あっけなく却下されてしまった。
木を倒せるほどの魔法が使えるんなら、他のだって余裕で使えそうなものだが、教示に関しては自信がないらしい。
それにしても剣と弓か……狩りってそういうものを使って獲物を仕留めるのか。なんにせよ学んで損はない技術だ。妹たちを確実に食わせていくためなら、俺はなんだってやれる。
俺はランダンに礼を言い、決意を妹たちに伝えようと家へ戻ることにした。彼も送っていくと言ってついてくる。
二人で歩きながら、俺はついでに長年の疑問をぶつけてみることにした。
「なぁ……結構前から思ってたけど、なんでランダンはそんな歳なのに、毎日身体を鍛えてるんだ?」
素人の俺でもわかる剣の腕、身のこなし、そして狩りに使うだけにはもったいない雷魔法。ランダンはこの小さな辺境の村には不似合いな、恐るべき人物である。彼ほどの武人はこの国最大の都市、王都にすらいるか怪しい。
少し前を歩いていたランダンは、俺を振り返り、簡潔に答えた。
「趣味だ!」
「あっ……お兄ちゃんおかえり! ずいぶん遅かったじゃない!」
昼に家に帰って来た時のように、アルナは戸口で待っていて、俺を出迎えた。ランダンとの話し合いが長引いたからか、傾いた陽は赤みを帯びており、妹の髪色を赤銅に照らしていた。小動物を思わせるくりくりとした目が、まっすぐ俺を見上げる。
「ああ、ただいま。なんだよ、また待っていたのか?」
「違うもん! 洗濯物を取りこんでいただけだから! そんなことより、お兄ちゃん。早くセリカお姉ちゃんを手伝ったらどう? 洗濯物を畳むくらいできるわよね?」
「ははは、わかったよ」
俺はまだ小さい末妹の頭を撫でて家の戸を開けた。そのまま中に招き入れようと、彼女の通過を待つ。
振り返って見たアルナの顔が、赤くなっていたような気がしたが、夕日のせいだろう。
「兄さん、おかえりなさい! あら、ランダンさんも」
「おお、セリカ。ファルムを借りておったぞ。そうそう、こやつは明日から儂と狩りをする。自力で獲物を狩るやり方は教える。ものになるかはわからんが、やっと働く決意がついたんだ。これでアルナも文句はあるまい」
「ありがとう、ランダンおじいちゃん。不出来な兄だけどよろしくね。役に立たなかったら囮にでも使っていいわ!」
「おいアルナ! 何言って……」
「わっははは!! そんなことは百も承知だ! アルナは本当によくできた子だのう」
「お兄ちゃんも三日で投げ出すとか、恥ずかしいからやめてね! まぁ、そんな期待してないけど」
「セリカー! 二人が俺をいじめてくるんだ!」
「うふふ、大丈夫よ。兄さんなら立派な囮になれるわ。さぁ、夕飯にしましょう」
「……セリカ、囮の意味わかるか?」
これから真面目に働くというのに、アルナたちときたら、ひどい言いようである。特に末妹の暴言は日に日にきつくなっている気がする。昔はもっと可愛いげがあったというのに。
「まったく、俺は明日から働くのに、がんばれの言葉ひとつないのか?」
「だってお兄ちゃん、普段は寝てばかりじゃない! いい歳なんだから仕事するのは当たり前よ。もっとしっかりしてもらわないと困るんだから。家のお金だって……わたしが学院に行ったら、どんどんなくなっちゃうし……」
「アルナ、兄さんはそのままでもいいの。昔から私たちを守ってくれたじゃない。あと、魔力もいっぱいあるじゃない」
「使えもしないけどね!」
「では、儂はこれで……」
夕飯の支度をする妹たちに背を向け、ランダンは出口へ向かった。
「あら、夕飯はいっしょになさらないの?」
「そうだぞ、食べてけよランダン」
「いいや。儂はこれから明日の支度をするのでな、これで帰るわい。また明日会おうぞ、ファルム」
俺は外まで彼を送っていき、仕事の日時を話し合った。
夕日に向け歩き出す彼に手を振り、長くなる偉丈夫の影を見送った。それから、家に入ろうとするも、遅い! と様子を見に来たアルナが勢いよくドアを開け、思いっきり頭をぶつけた。
「あー、もういい。ファルム、もういいから……」
ランダンの待ち合わせは早朝だった。俺は寝過ごしてセリカに起こされ、朝食を食べる間も無く彼の家の前まで走った。彼から渡されたのは、摸擬刀。
素振りをしろと言われ、ランダンに止められるまで、ざっと三百回ほど続けたが……
「……はぁ……ちょっと、待て……休憩……」
汗がだらだらと顔を流れる。いやきっとこれは朝食を抜いたから。だから力が出ないとか、きっとそういうやつだ。昨日、セリカはランダンの分まで夕飯を作ってて、結局俺が食うことになったから、朝食は最初から無理だったのだが……
確かに俺はあまり運動しなかった。しかし、ここまで体力がなかったとは!
「……儂も、悪かった」
俺は首を巡らせ、ランダンを見た。体のそれ以外は地面に張り付いて動かせない。俺の体力のなさは彼の予想をも越えていたようだ。この軟弱さに怒るよりも頭を抱え、自身の判断が間違っていたと後悔していた。
「ろくに、おまえの実力を見ずに、軽率な誘いをしてしまった。こんな有様のおまえを……あろうことか、狩りに誘うなどと!」
「ちょっと、馬鹿にしすぎだろ……それ」
「はっははは! 悪かった、悪かった! ファルム、おまえはとにかく体力をつけることだな! 剣はその後で、狩りはその遥か後だ!」
俺はもう、その場で呻くしかできなかった。
「もう日が落ちる、いい加減帰るがいい」
俺は必死に走った。悔しくて情けなくて、いてもたってもいられなかった。自身の不甲斐なさを埋めるように、ひたすら体を責めた。
「いや……だから、一日でどうこうできることじゃないと、わかっているよな?」
「うるせぇ……わかってるよ! 俺がどんなにダメな奴かくらい……! でも、力がないと……アルナとセリカを守ってやらないと……」
「今日と同じことを、明日もできるか? その次の日も、さらに次の日も、毎回今ほどの苦しみを得る気があるのなら、おまえは変われるかもしれない」
「ランダン……」
「明日も来い。おまえの特訓に本気で付き合おう」
「……ちょっと、明日は……動けそうにない、かなぁ……」
「這ってでも来い!!」
ランダンは俺を乱暴に立たせた。一瞬でもおまえを見直しかけた儂が馬鹿だったと嘆かれる。そして、ふらふらと帰路につく俺を、追い立てるようにして怒鳴った。
「もういい! さっさと行け! アルナが帰ってくる時間じゃ、家に帰れ!」
「……わかってるよ。あんま大声出すな! ああ……やばいなこれ、明日絶対筋肉痛で動けないぞ……」
◇ ◇ ◇
「もう許さんぞ。明日からは情け容赦なしだ! ファルム、なんという意志薄弱な奴……」
ファルムは去ったが、ランダンの憤りは消えなかった。根性のなさを叱り飛ばしてやりたかったが、本人がいない以上どうしようもない。こういう時は身体を動かすのが一番だと思い、大剣を振り回している。
重量のある鉄塊を振るたびに、剣風が草木を凪ぐ。近隣の木の枝が、折れんばかりにしなる。誰もいないのをいいことに、遠慮のない、自由な太刀筋だった。
ふと、ランダンは手を止めた。
「しかし、儂は……なぜ、こんなことを? ……なぜ、ここにいる?」
ファルムたちの家族と共に、ずっとこの村に住んでいるのだ。他の生き方を知らないはずなのに、ランダンには自分自身への違和感を拭えないでいた。大事なことがあったはずなのに、靄がかかっていて思い出せない。
そのうち彼は、思案を放棄した。もともとランダンは、わからないことを複雑に悩み続けるのができない性格だった。
「そうだ、疲れているのだ、儂。寝よう」
違和感を疲労のせいと片付け、ランダンは装備を外し始めた。
振るっていた剣が、かすかに光を帯びていたことに、彼は気づかない。