「働け!!」
「おい……なんで誰も何も言わんのだ、別に儂は怒ってるわけじゃないぞ! ただ急に魚が落ちてきたら誰でも驚くだろ? 儂はてっきりファルムがまたやらかしたと……もういいわい、帰る」
すっかりしょげている偉丈夫の姿に、俺たちはほぼ同時に吹き出した。
鈍く銀に光る重厚な大剣を肩に担ぎ、同じく手足に堅牢な防具をつけて、今から戦いに行くのかと思わせる装備の男。兵士と誤解されても無理のない格好だが、この国はどこかと戦争中ということはなく、三十年以上平和を保っている。村も盗賊に襲われたことは、俺の記憶の限りない。
訪ねてきた男は近所に住むランダン。幼くして越してきた俺たちに、いろいろとよくしてくれた恩人である。そしてこの姿は、体を鍛えるのが日課である彼の鍛錬用装備なのだ。
「急に入ってきたら反応できるわけないだろ。しかも、そんな格好だし」
「ふふっ、ランダンさん。私たちてっきり兵士の人が来たのかとびっくりしてただけだから、気にしないでくださいね」
「おじいちゃん、驚かせてごめんなさい! それはお兄ちゃんの仕業で正解よ」
やはりそうかと言って、ランダンは剣を下ろし、額の汗を拭った。白い頭髪が老境に入ったことを示す。彼の顔にも、長い風月に晒された岩石のような彫りが刻まれていた。
それなりの年月を生きてきた証拠となるが、日々鍛えているからか、老人と思えない恰幅のいい体つきだ。
「謝らんでもいいぞ、アルナよ。儂は原因が知りたかっただけだ、おかげで晩飯に一品追加できそうだわい……それにしても、なんでまたファルムは魚を飛ばしたのだ?」
「あっ、それは……」
ランダンはもちろん俺の力のことを知っている。優しく、面倒見のいい老人だが、ちょっと困った点があった。
魔法を使った事情を話していくうちに、ランダンの顔がどんどん険しくなるのがわかった。目立つような魔法は使わないという決まりは妹たちとだけでなく、彼との約束でもあったのだ。
「だって、全然釣れないもんだから……つい」
「馬鹿者!! 釣りを途中で投げ出して、魔力に頼るだと!? なんと堪え性のないやつだ! おまえは他とは違うという自覚が足りん! そんな調子では、いつか秘密がばれてしまうぞ」
ランダンの言い分はもっともだ。俺がとんでもなく大量の魔力を持っていると知られれば、俺だけじゃなく、家族まで災難に巻き込まれる。
だけど、使うなと言われたって、使えてしまうことは事実なのだ。俺たちを思ってくれているのはわかるが、ここまで言われると窮屈だ。普通と違っても俺だって自由に生きたい。
「でもさ、ランダン。使わなきゃ抑えようがないだろ? 俺のこの力さえ制御して使えるようになれれば、大概の問題は魔法でなんとかなるんじゃないか?」
「なんだと?」
「だからさ、俺の秘密を知った者の記憶を消したり、ここに近づかないように暗示をかけたり……他にももっとすごいことができるかもしれないんだぜ。俺だって、自分の力を試したいんだ」
「おまえというやつは……何もわかっておらん!! 魔力があるからなんでも解決できるとはよく言ったものだ! 表へ出ろ! その軟弱な精神を叩き直してやる!」
俺なりに自分の力への期待を語ったが、その主張はランダンを激怒させただけだった。
今にも掴みかかろうとする勢いだ。しかし、その間をセリカが割って入った。
「まあまあ、ランダンさんも、先にお昼にしませんか? アルナもお腹が空いていたわね?」
「ふえっ? ……え。ああ、うん! そうなの、ランダンおじいちゃんもいっしょに食べようよ!」
「おお、済まないのう。では頂くとするか」
「って、ちゃっかり食べてくのかよ! まあ、いいや」
妹たちのとりなしで、ランダンは落ち着いて席に座った。だが、俺と目が合ったときの眼光は鋭く、俺へ説教する気持ちを失っていないとわかった。
俺は覚悟を決めつつも、目の前の昼食に取り掛かる。
ランダンは俺を先導し、森の手前にある野原まで歩いた。そこは彼の家の裏側にあたる。ほとんどの村人もよほどの用がない限り近づかない場所だ。
「なんだよ、またあんたの自主練に付き合えっていうのか?」
「……ファルムよ、儂の歳はいくつだと思う?」
唐突な質問だ。言われてみれば、俺はランダンの正確な歳を知らない。顔を見ればそれなりの歳のような気もするが、鍛え抜かれた肉体はそこらの若者以上に機敏な動きを見せる。
年齢はすなわち魔力の量。その者が持つ力の指針。生きていく上で重要な要素だが、それは本人の自己申告か、外見で判断するのがほとんどだ。
「そんなの……えっと、五十代くらいか?」
「ハズレじゃ……」
ランダンの纏う空気が変わった。
彼は俺のななめ前に立ち、持っていた剣を構え、目を閉じて集中し始めた。でも、俺に何を見せたいというのだ。いくら気を練り、実力を見せたところで、俺の持つ魔力には到底及ばない。
面倒だから早く家に戻りたいと思いつつ、さっさと彼の気が済むように、真剣な表情を作ろうとし……
蓄えられた気迫が解き放たれる。彼は大剣を振った。標的も何もないが……真空を斬り、俺の邪念を残らず払ってみせる。
目を奪われた。ただ素早く、やみくもに切り下ろすのを目的とした剣ではない。重量のある剣を一糸の乱れなく、振り下ろす。精緻にして、美しい素振りだ。
剣風がランダンから周囲に発され……俺の身体も突き抜け、はるか後方に走っていく。
確かにランダンの剣はすごい。だからといって、今ここで俺に見せつけることに何の意味が……自慢か?
真意を問おうと、言葉を発しかけた瞬間、どこからか異音がした。ピシピシと小さなヒビが入るのに続き、はっきりとした破壊音になったところで振り返る。
背後の巨木が、こちらへ倒れてきた。
「うおおおおお!!!」
右へ体を投げ出して避ける。あと一秒でも行動が遅ければ、俺は巨大な幹に押しつぶされていただろう。ただ、着地を気にしなかったせいか、地面にぶつけた肩や腕が鈍痛を発している。
葉や枝が遅れて落ちてくるころ、俺の安堵は怒りに変わった。
「なにするんだ! 危ないだろうが!! ランダン、あんた一体何がしたいんだ!?」
「七十五だ」
「はぁ?」
「さっきの答えだ。儂は、まだたったの七十五歳。だが、おまえはあと少しで儂に殺されるところだった」
「ランダン……」
この老人は俺に、魔法がいかに危険なものか教えたかったらしい。
ちょっと楽したかっただけ、という使用目的であっても、すべての魔法が大げさに現れてしまう俺のことだ。もし、何かの拍子で魔法を人に当ててしまったら、甚大な被害が出るかもしれない。
だけど……
「これでわかったか? いくら魔力があっても、おまえには無用の長物。害あれど益なし! こんなもので家族など満足に守れるものか!」
「……す」
「反省したか? わかったら、家族のために少しは体を鍛えるなり、農作に励むなりすれば……」
「すごいじゃないか! ランダン、今のはどうやったんだ!? 素振りしただけなのに、なんで木が倒れるんだ? これも魔法なのか?」
俺の中にさっきまであった不真面目な思いは消え去り、今は彼への感嘆の気持ちと、魔法への興味でいっぱいとなっていた。
好奇心の向くまま、ランダンへと詰め寄り、今の現象の解説をねだる。
「……今のは、軽い雷撃を剣で飛ばして木に当てたのじゃ……いや、だからファルム。ちゃんと儂の話を聞いていたのか?」
「やっぱ魔法ってすっげー!! 俺だったらもっとすごいことができるはずだよな!? なぁ、ランダン、俺に教えてくれよ!」
「うるさいわい!! 儂は魔法なんぞ教えられん! いいか、儂がおまえに言いたいのはただひとつ……」
彼は一呼吸おき、俺に向けて咆哮した。
「働け!!」