変質者さんと家出少女2
僕の住むアパートはいわゆる1Kというやつで玄関を入るとすぐ右にキッチンがあって左にはトイレ。その少し奥に風呂がある。そこで部屋に連れてきて初めて気づいた問題があったんだけどさ。僕の家は基本的に来客を想定していないから家の中にはモノがすべて一つずつしかなかったんだ。仕方ないから二人してベットに腰かけることになったよ。
カレンダー的にはもう春になってはいるけれど、まだまだ外は寒かったから僕は帰ってきてからコーヒーを入れたんだ。マグカップは一つしかないから僕は味噌汁用のお椀でコーヒーをすすったっけ。
少女に「なんですかそれ」って言われたのを覚えてるよ。
僕の部屋にはテレビがない。代わりにバイト代を貯めて買った無駄に大きいコンポがあった。僕はジャニス・ジョプリンのパールを流した。
「この曲知ってます」
「有名な曲だからね。」
「洋楽好きなんですか?」
コーヒーをちびちび飲みながらあまり興味なさそうに聞いてくる。
「別に。好きってわけじゃないよ。好きな作家の小説によく出てくるんだ。ジャニス・ジョプリンやジョン・レノン。アレサ・フランクリン、ビリー・ホリデイ、ベッシー・スミス」
「その作家さんは結構暗い人なんでしょうね」
「そうだね。僕もそう思うよ」
二人並んで音楽を聴きながらただただコーヒーを飲んだ。
「私の父親と呼んでいる人はお酒に酔うと暴力をふるうようになる人なんです」
四曲目のHalf Moonを聴き終えたあたりで突然少女が語り始めた。
「さっきの話の続きです。」
コーヒーを一すすりしてまた話し出した。
「私は家族が仲良くしているところを一回も見たことがないんです。物心ついた時から私の家族はもう荒れていたと思います。おぼろげですけどお酒に酔った父が母を殴りつけているのを見た記憶もあります。それに耐えかねた母は家を出て行ったんでしょうね。もちろん母はきっと被害者ですから責めることなんてできないんでしょうけど、それでも一つ文句があるとしたらどうして私を連れて行ってくれなかったのかってことですかね。あの家に残さる娘の気持ちも考えてほしかったです。母がいなくなってから父の暴力の対象は姉と私に移りました。毎日体中が紫色になるまで殴られて蹴られてを繰り返されました。姉は外で友人を作り家に寄り付かなくなりました。私もそうしたかったんですけどどうしてか私は人づきあいが苦手みたいで友達ができなかったんです。それでも少しでも家にいる時間を減らしたくて学校が終わると図書館に行くんです。この町の図書館ってCDの貸し出しもしてるのでたいてい閉館時間まで音楽を聴いて眠ります。家じゃきちんと安眠できないんです。それで家に帰るとまた父親に暴力を振るわれるのでできる限り父が眠る時間帯まで外で時間をつぶすんです。私が今日、公園のブランコに一人でいたのはそうゆう理由ですよ」
少女の話を終わった後に最初に思ったのはやっちまったって感情だったね。
自分が想像しているよりもはるかに深く難しい問題だったもんでどう答えてやればいいかわからなくなっっちゃったんだ。言ってしまえばこれは完全に家庭の問題だから僕自身が何かをアドバイスしなきゃいけない義務なんてないんだけどさ。それでもどうにかしてやりたいと思う気持ちが全然ないというわけじゃないんだよね。
「君のお姉さん。素行はあまりよくないようだけど、家には帰ってこないんだろ?ならそのお姉さんと一緒に家に帰らなければいいんじゃないかな?」
しかし、少女はゆっくりと首を振る。
「私は姉が嫌いですから。」
「それでもそんな父親のところにいるよりはましなんじゃない?」
「姉も私に暴力を振るうことを楽しむことができる人間なので一秒たりとも一緒にいたくないんです」
つまりこの少女にとって家族は全員憎むべき対象ということになるのかな。
「学校も私の居場所じゃないんです。私の学校生活は登校してまず自分の上履きを探すところから始まります。次に教室で机の上の落書きを消して、休み時間ごとに図書室に行きます。教室にいると何かしらの嫌がらせをされるので。体育の日には必ずジャージがなくなってごみ箱から拾いますし、私の私物は毎日ゴミ箱に何かしら入ってます。あ、もうわかったと思いますけど、私の体はあざだらけなのであまり期待しないほうがいいですよ」
僕はもう何も言えなくなっていたね。その時の僕はそれなりに悩んで生きていたつもりだったんだけどこの子に比べたらどれもこれもくだらない悩みのように思えたしね。人間ってのは残酷な生き物でさ、自分より劣っている生き物を見るとかわいそうって感情よりも先によかったって思うんだよね。下にはまだ下がいるって。そう思うことで自分自身を守るんだ。だからきっとこの時の僕も安心したんだと思うんだ。僕なんかより不幸な子はいるんだから僕はまだ全然大丈夫だって。でもやっぱりそれと同時にどうにかしてあげたいって思うのもやっぱり本当の気持ちなんだよね。でもその時の僕はどうしてあげればいいのか全然分からなかったんだ。
だから僕は冷蔵庫からウィスキーを持ってきた。
「なんですかこれ?」
「ウィスキー。嫌なことは飲んで忘れろなんていわないけどさ、それでも飲んで気がまぎれることはたしかにあるんだよ」
「私、未成年です」
「見ればわかる。でもそれがなんだい?そんなことは対して重要なことじゃない。いいから一緒に付き合ってよ」
「未成年にお酒をすすめるなんてダメな人ですね」
「よくわかったね。そう。僕はダメな人間なんだ。だから君も一緒にダメな人間になろうよ」
「そうですね。今はもうわりとどうでもいい気分ですし。いただくことにします」
グラスは一個しかないので僕はまた味噌汁用のお椀をすすいでウィスキーを注ぎ、サイダーで割る。
「ではいただきます」
少女はグラスを傾けると一気に飲み干した。
「おお。いい飲みっぷりだね」
「姉に無理やり飲まされるんです。正直お酒にいい思い出なんてないですけど今はとても気分がいいです」
そのまま少女は立て続けに五杯ほど飲みほした。少し頬のあたりが赤くなり始めて色っぽいななんて考えてたっけ。
僕も少女にはかなわないけど四杯目に入っていたのですっかり酔っていた。
「こんなに楽しく飲むお酒は初めてです」
「そうなの?」
「はい。普段は姉と、ガラの悪い姉の友人たちに無理やり飲まされるんです。私を後ろからこう、羽交い絞めにして口を無理やり開けさせられて一気に大量のお酒を飲まされるんです。もちろん私はその場で吐いてしまうんですけど、姉達はそれを見るのがどうも楽しいらしくて、続けざまに何回もお酒を飲まされるんです。だから今みたいに飲むお酒は初めてなんです。とってもいいものですね。気分が高まります。」
この時僕は初めてこの少女が笑うのを見たんだっけ。すごく控えめだけど可愛い笑顔だったのを覚えてるよ。そのまま僕たちはたわいもない話をして過ごしたんだ。少女の話は暗くなってしまうから大抵が僕の話だったけどね。
それで気づいたら少女は眠ってしまっていたんだ。僕は少女をベットに寝かせて毛布を掛けてあげた。僕は床で眠った。床の硬さと冷たさを今でも覚えてるよ。