第一章:逸れた者と避けた人
のど飴をとにかく舐めます、大好きなんですのど飴。
もはやのど飴とDr.ペッパーに支えられているような気がしてきました。
「楽しかったですか?」
「そりゃあ勿論、ちょっとずきずきしますけど」
目覚めてからはすぐに先生の説法かと思ったが、どうやらそうではないらしい。別に怒られている気はしないし、腹の上でころころと眠っているナナは随分気持ちよさそうだった。
「私も行けば良かったです」
先生は羨ましかったのかそんなことを漏らした。そしてコップ一杯の水を持ってきてくれるとそっと少し離れたテーブルに置いた。いぢわるだ。
ぬくぬくしているナナを寄せる訳にもいかず、しどろもどろな現状を先生に見せるハメになったが、先生は満足そうだった。やはり羨ましかったのだろう。
「そういえば、エヴァンジェさんと飲みました」
「………私は用事があります、昼過ぎにはまた荷馬車ですよ」
「またですか」
柔らかくシーツにナナを転がし水を手に取る。先生は「それでは」と言って部屋を出て行ってしまった。また一人取り残されたような気がしてしまうが、今度は酔いのせいか頭がまだどこかくらくらしていた。
何故先生はこちらの話を聞かずにそそくさと行ってしまったのか。
セプトお兄ちゃんが戻ってくるちょっと前のこと。
私は先生と一緒にお風呂で洗い合いをしていた、綺麗に整えられたお風呂と見たこともない洗剤ですっきりとして寝室に戻ってくるとお兄ちゃんはいなかった。
「……どうやらセプトは夜食に行ったらしいです」
「………行きたい」
「後悔しますよ」
「…?」
それからしばらくふかふかのベッドの上に並んで座って時間をつぶしてみたけれど帰ってくる様子もない。そこで先生がふぅと一息吐いた。
果実へ手を伸ばすとそれを何処から取り出した小さなナイフでさくさくっと切るとこちらへ差し出してくれた。とてもみずみずしく甘い果実を噛みながら、きっとセプトお兄ちゃんはもっと美味しいごはんを食べに行ったのだと思う。
「…暇ですか?」
こくりと頷く。
「お話をしましょうか」
くらりと首を傾ける。どんなお話が聞けるのだろうと、少しだけワクワクしてくる。
「おとぎ話が良いです?」
こくりと頷く。
「残念です、品切れですよ」
ぶんぶんと首を振る。それはあんまりだと思っても喉が細くなって言葉が出てこない。
「仕方ないですね……」
「それはそれは昔に、人々は大変な危機に瀕したそうです。瀕したってわかりますか、そうですか。そこで多くの人々は…死に、また数多の人は地下へ逃げ出しました。
ですがそれを目論んだ人たちは何処か他の人々と違う道を辿りました。彼らは人が人ならざる者になる事に反対し、強行した者たちでした。そして彼らは人間でありながら何とかできないかを考え行動に移したのです。
空へ、空へと逃げる道を彼らは見つけました。
……ナナは賢いですね、それとも知っていましたか?
そしてそれから何百年も経って、彼らは色々失いながらも一番大切なものを守り抜きます、それが何かは後々言いますよ」
「先生! 先生、起きてますか?」
話の途中だというのに、ドアをうるさく叩く音が聞こえた。そのせいでもちろん話はと切れ先生は聞き覚えのあるその声へ向かってしまう。
むぅと頬を膨らませ、遺憾だとアピールしたが誰も見てくれはしなかった。
「ぅぉぉぉぉぉ…」
ふやけて伸びた布みたいなセプトがベッドへ倒れこむと、ナナはその背中に飛び乗る。ぐぇっと小さく漏らしたまま眠りについたセプトの上でナナもこくりこくりと誘われていった。
偉く上機嫌になったエヴァンジェと反して冷ややかな先生がぽつりとその静かさに残され、何かを話し合っているがエヴァンジェがくはくはと笑いそうになったり笑ってしまったりしてしまうせいで何を言っているのだろうかまったく聞こえない。
商談は上手くいったらしい。先生の無言の姿がそれを文字通り静かに告げていた。
荷物がなくなりスッキリしたかと思っていた荷馬車に寝っ転がると今度は運ぶ用の荷箱を積み込むのを手伝うように言われ心がげんなりした。行く時のような量はなかったのだが、からんからんと小さい箱をいくつも積み込むのは面倒というものだ。
こうしてまたガラガラと番兵に見送られてしばらくの旅が始まる。
…はずであった。それがあったのはエヴァンジェの元から出て三日も経たぬうちである、道中ガヤガヤとうるさくしょぼくれた集団が道を避けおっさんを引き留めた。
顔は苦虫でも噛み潰したかのようにしかめているくせに声はうるさい三人ほどの男性はどうやらここまで聞こえるような声で愚痴を零しているようである。
あの地区は栄えているだとかいう話が零れ聞こえたところ、彼らの正体に察しがついた。彼らはどうやらあの地区の近場にある別の地区の者なのであろう。ご愁傷様としか言えないのだが、男気なんてものも持っているおっさんは律儀に引き馬の脚を遅めてまで彼らの不毛な話を聞いている。
逆恨みに等しい話題が聞こえたところでなんの暇つぶしにもならないというのに。
それどころかおっさんは近いからという理由で荷馬車で送ると言い出した、なんたることかこのただでさえ狭い荷車にさらに三人の男がぎゅうぎゅうになるように入ってくるのか。
彼らもこちらに人がいることを足を踏み入れんとして初めて知ったらしかった。
「アンタが、有名な先生か」
一人が飛ばすように言った。
先生は返事もせずにふぅと隙間から見える雲に息を吐きかけた。
「アンタの恩恵、ウチにも欲しいんだが」
言いたいことがあればはっきり言えば良いのにそれができないらしい不器用な愚痴男の言葉は先生の耳に届いたかすらわからない。
ただそれでも傍からそれを見ていてもわかることがある。きっと先生はあの地区になんの力も貸しはしないということだ。先生は人の為にではなく何か自らの為にやっている、地区が栄えるとか新しい文化が生えるとかはその産物に過ぎない、そしておそらく利用価値の無い場所はバッサリと切り捨てるドライな心も持ち合わせている。
つまり無視を決め込んだ先生の心は動かない。
つまりつまり彼らの矛先はこちらに曲がるということだ。
「アンタらは?」
「『先生』のアトリエんとこのだろ、チャラチャラして」
何を言っているのかよくわからなかったが彼らの服装は袖のない運動するのによさそうな衣服であった。こっちはいつかも言ったように空から着続けている服装だ、これがチャラチャラだと言うなら彼らはパッツンパッツンだというところであろうか。
荷馬車がごろごろと少し道を変え彼らの地区を目指し始めた。
それまでの空気は最悪だったのはみんな知っているのだろう。
「これは……酷いな」
先ほどの活気付いた街並みをひっくり返したかのように薄暗くヒビの入った壁が並ぶ地区がそこにはあった。
畑もあるように見えるが緑は実っておらず土もひどく乾いているように見える。人々は羨ましそうに空の青とこちらを眺め、そして顔を地に戻した。
何か栄える取り柄を持つ地区があればその逆もまたあるということだろう。
不毛な土地に居を構えたのはなぜか…そこには広い土地があったそれだけであった。しかしそこは蓋を開ければ不毛で手の入れようがない土地であったのだ。
「余物ですが、要りますよね」
先生はおっさんに話をつけ交換とキャラバンに漏れた余り物の木箱を彼らに渡していた。彼らはその決して多くのない物資に群がるとそれを取り仕切る一際立派そうな男に怒鳴られ列を作っている。
彼はオーランド…ジャック・オーランドと呼ばれていた。
海も山も高い草木もサバンナもないこの地区で必死に生きる道を探している男であった。この地区を生きながらえさせる為に自分の人生を擲つ姿勢は次第に住民に好まれ、今ではこのように地区のリーダーを任されているらしい。
それを先生は寂しそうな虚の目で見つめていた。ナナもこの暗く沈んだ空気に怯え足にしがみ付いて離さない。おっさんも俺もどういう表情をすればいいのかわからない、とにかくここを去りたくてしょうがなかった。
「ありがとう。何も返す事は出来ないが…」
オーランドは申し訳なさそうに礼を言う。それを先生が「いえいえ」と返すとおっさんを馬車へ戻るように促した。だが当の先生は戻らずに彼と話を続けている。
それを隣で聞かせてもらった。別に戻れとも言われなかったからな。
「興味でお聞きしますが、なぜこの土地に?」
オーランドは渋い顔をした。
「私の先代あたりかな、ここを選んだのは。何の話も残されちゃいない、すまない期待に応えられなくて」
「いえ。言わせてもらうなら移住なりするべきだと思いますがね」
渋い顔のオーランドはその言葉を喰らいさらにつらそうな顔をする。何の躊躇いもなく腫物をなでる先生は常人と違うのだろうな。
先生は逆撫でをしたまま流れるように荷馬車へ戻った。その背中を追う途中、背中に突き刺さるような多くの視線を無視することが辛かったのは言うまでもない。ナナを優しくゆっくりと抱いてやると少し心の中のざわつきが収まったような気がした。
「あんな土地に根を下ろすのは何処からか逃げ出した者だけです」
先生は戻るなり早々そんな冷たい言葉を吐いた。
つまりは先生曰く、大半の地区のそばには拠点とする意味がある何かがあるらしい…例として遺跡や鉱山・海のような資源源。あの地区には不毛な土地しか無く、キャラバンの順路からも外れ道からも見えない。彼の先代はどこかの地区から追放されるなり逃げ出すなりして隠れたのだろうとのことだ。
おそらく先生は二度と彼らに関わらないつもりだろう。
「故郷も忘れたのですから、それが一番です」
忘れた故郷に帰りたいのだろうか…そんな考えが過ると必ず空中構造体の事を思い出す。別に嫌な思い出ではないのだけれど、覚えている故郷に帰れないのは少し気持ちが盛り下がるのだ。
ナナはそんなこと露知らずと先生の膝の上に転がって行った。
誰も知らないような故郷を見上げると薄らまぶしい白の中にその影が見えたような気がするのは、気のせいだろうか。
帰路もやはり節々が痛くなるような旅だった、もうできればこの道は勘弁願いたい。先生曰くこれが嫌ななら馬でも飼ってそれを使いなさいとのことだ、馬なんて構造体には一頭もいない生き物なぞ飼いならせるものであろうか。
帰り着きばたりと倒れたベッドの上でもあのはぐれてしまった人々のしょぼくれた顔が瞼の裏に残っていた。
思い返せば馬車に相乗りしてきたあの男達も先生のことは噂程度にしか知らなかったのだろう。嫉妬なのだろうけど、それで辛さを当たり散らすのも当然なのだろうか。
ナナは何処だろう、もう眠ってしまったろうか。それともまだ先生の膝の上で本を読んでいるのだろうか。
独りの暗がりはどうもつまらないことを考えさせてくれるようだ。
「セプトォ、ちょっと手伝ってほしい事が…」
そんな暗闇にひょっこりと顔を出してきたのはモリだった。
彼はそのままベッドで横になっている俺の衣服の端を引っ張るように急かす、仕方ないなと足を運んでやると一回には先生もナナもおらず、ちょこんとした明かりと本が乱雑に広がっていた。
「片付けなら一人でやれよ」
「違うッスよ」
開かれたページをとんとんと叩くとモリは得意げに鼻を鳴らした。
そこに何が書かれていたかというと、またよくわからない設計図である。これをどう手伝えというのかは想像に易いが、如何にも聴けと言わんばかりのモリはそのまま硬直していてどうしようもない。
「……これはなんだ?」
呆れたので聴いてやることにする。
「これは飛行機の設計図なんスよ! たまげた!」
何がだ。
「ド偉い発見スよ!」
どうやらモリは顔に飛んだ油を拭うこともなくコレを先生の本棚から探し当てたらしい。そしてどうせ見つかったら面倒になるからといなくなるまで何処かに隠し、手っ取り早く手を貸してくれそうな俺に話を持ち掛けた……と言ったところだろう。
「ずばり言ってくれるッスね」
「まだ何も応えてないが」
先生とナナがいないのをいいことにモリは設計図を広げ、用無しとした本をそこらじゅうに積み上げていく。手伝わねばコッチがめんどくさいし、手伝えばコイツがめんどくさい。
それからの間は割愛だ、ゴネたように設計図を指さし熱弁するモリと呆れるまで聞き続けた自分自身しかなかったのだから。
結果、モリは内緒で飛行機とやらを作ることを決意し、俺もその手伝いを少しだけすることとなった、最低限責任を負わない形で。
「ユウ、いますか?」
「いるよ……今日はその可愛い子も一緒?」
「今日は中止です」
そこはボロボロでコンクリートが剥がれた遺跡の名残だった。彼はその中の崩れ落ちた天井の欠片に座り込み火を焚いて鍋をぐつぐつと煮ていた。
「それがいい、食事取ってないから」
彼は鍋の具を匙でかき混ぜ掬い美味しそうに啜る。ここからじゃ空は見えない、今はもう夕頃なのだろうか。彼の陰には開けられた缶詰がいくつか転がっておりそれを使ったのだと子供心にすぐ思いついた。
トマトの良い臭いが埃っぽい場所に広がる。
「どうせ、またやっていたのでしょう?」
ユウさんはこちらの視線に気づき、小さくて硬そうなお椀に綺麗で真っ赤な鍋をくんでくれる。
アツアツの鍋を食べながら二人の話を聞き取る。先生のお知り合いもやっぱり古い道具をいっぱい持っているらしく、鍋を焚いているのは焚火ではなくどうやら昔の機械のようなものらしかった。
「…別に、何を言われるようなことはしてない」
先生の顔が少しだけ哀しそうな顔に変わる。
遺跡にいっぱい行っていっぱい発見した人、それぐらいの認識でしかなかった。だからこの会話もわけがわからないものとして聞き流していたのかもしれない。
でもユウさんが何か悪い事をしたのかなと思ったけど、それより細かいことは全然想像つかなかった。
「で、今日はなんでまたその子と一緒なの」
鍋かともったら粥であったのに口の中で気付き、喉に詰まらないようにと咀嚼をする。
「この子らの事、お話しましたよね?」」
「いや全然」
「じゃあまたの機会に」
空になった器にユウさんがおかわりを注ぐ。
先生は器も持たず、何か察しているのかユウさんも器を渡そうとしない。ただ淡々と二人は話していた。よくよく見れば焚かれた鍋も初めて見るキンキラの金属製だ、どこからかの遺跡から持ち出したのだろうか。
「とっても重要ですよ、大鳥ですから」
「あっいいや、察し付いたよ」
少し陽が暮れてきた。斜めになった光がぼろぼろの窓から差し込んでくる、割れたガラスがぴかぴかして綺麗だなと思ってしまう。温かいトマト粥も美味しくって、色々なことが何処かへ逸れていった。
皮の水筒を取り出して水分補給をするユウさんもその外から見える外へと目をやった。
それはまるで大海原のように風に揺れながら、夕日に照らされ赤々と映える草原だった。もしかしたらその中には作業をする誰かが居て、また自然に生きる動物がいるのかもしれない。そう思うと一層その景色が美しく思えるのだろう。
でもユウさんは無表情に近い顔でそれを眺めていた。
寂しく……そして遠く遠くを見つめた目立った。
「………写真、どうなった」
ぽつり、火が揺らぐ音を取り残した空間に声が舞う。
「……まだ。でもきっと出来るよ」
ユウさんは瞳だけを先生に向け、水筒を握る手を止めた。その手に力が入ったのか、頬に水滴が小さな道を描いて零れていく。
火か鍋がジッと音をたてた。
水筒をよせたユウさんは天井を見上げぽつりと「そうか」と呟いた、とっても寂しそうな声で。
でもその声にはちょっぴり嬉しさがあったような気がする。
「それじゃあ、これで戻ります。また、会いましょう」
先生は私を優しく抱いて、その日は彼の元を後にした。
立ち去ってもまだユウさんは天井を見上げ続けていた。落ちていた雫は頬を伝う、それは水筒の水なのかそれとも…それはまだ私にはわからなかった。
最近パスタも食えていません、フランクを加えたアラビアータ…堪りません。キッチンの扱いというのはかなり重要ですね。
とまぁドえらいボヤキから入りましたがこれを書いている中ミステリーを読みふけりました、変に影響したらどうしましょうか。
それでは少ない大事な読者さんへ、また次章お会いしましょう、卯月木目丸でした。