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夜のカナリヤは静かに唄う


大きく息を吸い込む。夜の冷えた空気が、じん、と、肺の中へと染み渡り、じわじわと体の中に浸透する。

ゆっくりとまぶたを閉ざして、それから、細く細く、息に音を乗せ、声を響かせる。


静かに、静かに。


体の中を音が反響して、そして、唇からこぼれて出ていく音が、じわりと大気にしみ出すすように。


小さな小さな音で。けれど、静かに震えるように響かせて。


ぼんやりとおぼろにかすむ春の月が、じっと私を見下ろしていた。



それがいつから習慣になったのか、覚えていない。


私は唄うのが好きで、ただ、歌いたかった。歌手になりたいとか、音楽を勉強したいとか、人前で歌いたいわけじゃなくて。

体の中で響かせた音が静かに外に流れだして、それに呼応して周囲の空気が震え出す、その感覚が大好きで。


ひっそりと唄うようになった私は、いつからか、夜、家を抜けだしては近くの寂れた、神主さんも常駐していない神社の境内で、静かに音をこぼすようになった。


月の光が周囲の木々を照らし、薄く濃く影を作る。雨の日も、晴れの日も。台風なんかじゃないかぎり、私はここにきて、静かに音を響かせる。


この神社に一本だけ、大きな木がある。その木の下に入れば、少々の雨では濡れないし、夏の熱い日も日差しを遮ってくれるし、寒い冬の日も大きな幹が風よけになってくれるから、とても過ごしやすい。


私はいつも、その木の下で歌を唄う。


震えるように染み渡る音が、微かに木の葉を揺らした、気が、した。



放課後の教室、2年の半ばともなると、来年の受験に備えて、みな、どこか進路のことを意識し始める。

今日は進路相談。まずは、先生と生徒の面談。出席番号の遅い私は、人が少しずつ減っていく教室で、ひとり、ぼんやりと夕焼け色に染まる窓の外を眺めていた。


――そう、一人だった、はずなのに。



「歌が好きなの?」


ふいにかけられた声に、はじかれるように顔を上げた。

面談を終えて戻ってきたらしい同級生が、がさがさとカバンの荷物を整理していて。私が顔を向けたのに気づいて、ちらりと視線をむける。


「……え?」


いきなりの言葉に、戸惑って言葉がでない。好きか、といわれれば、好きだ。けれど、好きとか嫌いとか、そういうことじゃなくって――私の中で歌は、呼吸なのだ。息をしないと死んでしまうように、私はきっと、歌わないと死んでしまう。ただ、それだけのことで。でも。なぜクラスメイトである彼が、いきなり、そんなことを聞くのか。なぜ、と、そう思ったことが顔にでてたのか、ああ、と、彼はひとつうなづいた。


「歌ってただろ、今。――ささやくみたいに」


どきん、と、心臓がなる。

そうだ、私は、歌ってた。無意識に、そう――ささやきかけるように、歌がこぼれ落ちていた。それはきっと、普通なら気づかないくらいの小さな音。小さな声。けれど、確かに空気を震わせる、小さな振動。そうだ、ささやくように歌っていた。それに彼は気づいたのだ、と、思うと、うれしいような恥ずかしいような――大事な秘密を暴かれて逃げ出したいような、複雑な思いに、とらわれる。


「ど、うして」


かろうじてこぼれた言葉は、途切れ途切れで。かすれたうえに言葉が足りなくて、これじゃ伝わらない、と、気持ちばかり焦る。そんな私をよそに、彼は小さく、笑った。


「ああ。お前、神社で時々歌ってんだろ。しってっか、あそこな、ある特定の方角にだけ、なぜか不思議と声が響きやすいんだ」


「――っ!」


誰にも聞かれてない、と、思っていた。誰にも気づかれていない、と。けれど――彼は、つまり、知っているのだ。


私がひとり、夜に歌っている、ことを。


苦しい。泣き出しそうだ。息がしづらい。はく、と、息を必死で吸い込めば、慌てて駆け寄ってきた彼が、申し訳なさそうに私の頭をなでた。


びくり、と震える。


「あ、その、ごめん。つい、癖で」


妹がいるんで、その、と、言い訳のように繰り返すのを聞きながら、ゆっくりと呼吸する。


「だい、じょうぶ。ごめん、ね」


驚いただけだ。そう、驚いただけにすぎない。そして――緊張してしまった、だけだ。

普段、あまりしゃべらないから、人と話すことはあまりないから、こうしてあまり知らない人と、しかも男の子と二人で会話している状況と、さらに言えばその会話の内容――知っている人がいるはずないと思い込んでたこと――に、驚いた、だけだ。


そっと、深呼吸を繰り返して、そして、少しだけ、笑う。

だいじょうぶだよ、と、伝えたくて。言葉を紡ぐのは苦手だから、せめて、と。


それを見た彼は、小さく息をのんで、そして。困ったように苦笑して、自分の髪をくしゃくしゃとかき回してから、ぽんと、私の頭をなでた。


「歌。うまいんだな。――しってっか、夜のカナリヤっていわれてんぞ」


主に我が家近辺だけだけどな、と、彼は笑う。カナリヤ。カナリヤだなんて。ただ、歌っているだけなのに。それもひっそりと、こっそりと、歌っているだけなのに。


「ありが、とう」


それでも、うれしくて。誰のためでもない、自分のための歌にすぎないそれを、けれど、誰かが聞いてくれている、その事実が、やっぱり少し、うれしくて。


そっと、ほほ笑んだ。



そのうち、順番が呼ばれて、そこで、彼とはわかれて。


だけど、別れ際に、彼がそっとつぶやいた言葉に、思わず、耳まで赤くなってしまって。


先生に、すごく心配されてしまった。



――いつも、あんましゃべんないからわかんなかったけど。

――すごい、いい声、してんだな。


ひとりのための歌が、誰かのための歌になる、少し前の、お話。


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