さよならと、そして。
失いたくない、と、思っていた。
もし、失ってしまうのならば、きっと、泣いて喚いて、みっともなくすがりついてしまうだろうと、ずっと思っていた。
――なのに。
「うん。分かった」
幸せにね、とは、さすがにいえなかった。
申し訳なさそうな、けれど、どこかホッとしたような顔をした男に、小さく笑う。
さよなら、先輩。ずっと、大好きでした。
先輩と私が、付き合うようになったのは、卒業式のあと。
ずっとずっと、大好きで、憧れていて、それなりに仲良くしてもらっていた先輩と、このまま会えなくなるのがいやで、卒業式、こっそりと中庭で、告白したのが始まりだった。
必死で紡いだ言葉に、驚いたように目を見はって、そして、くしゃりと顔を笑顔に変えた先輩は、ありがとう、と、返してくれて。
そして、私と先輩は、彼氏と彼女になった。
高校3年生と、大学1年生。
それまでは、高校2年生と、高校3年生、ただの先輩後輩、たったひとつの歳の差、と思えていたものが、大学と高校と別れた途端に、なんだかすごく大きいものように思えてきたのは、なぜなんだろう。
大学の1年生って意外と忙しいんだな、と、メールやたまのデートで交わす会話で気づいて、そして、その内に今度は、私が受験で本格的に忙しくなって。
時々、先輩の電話の後ろに、同じ大学の同期らしき女性の気配がしたりとか、デート中にメールが来たり、とか。
なんとなく、そんなふうな予感は、あったし。なんとなく、そんな気配はあった、ような気がする。
受験生に年末年始はない、と、去年の夏から通っている進学塾の、年末年始強化コース、なるものに参加するために、先輩とあけましておめでとう、のやり取りもなかなか難しかったお正月。
うん。
その頃には、なんとなく、わかってたような気もする。
迎えに来てくれた父の車にのって、帰り道。
確かに、先輩の姿をみた、と、思う。
楽しそうな、表情。
隣に立つ、一人の女性。
車道から彼女をかばうような立ち位置、そして、そっと寄り添う、頼りきったような風情の、女性。
ほんの一瞬、すれ違うだけの間だったというのに、それだけを見て取った私も、たいがいだな、と思う。
こう知るオトメって、我ながら怖い、と、ひとり部屋にこもってから、笑った。
涙が、両目から溢れるのを、止められないままに、笑った。
好きだった。
先輩のこと、大好きだった。
ずっと好きで、会うたびにどきどきして、もっと好きになって。
失いたくないと、わがままも言わないで、一生懸命だった。
きっと、別れようといわれたら、泣いてしまう。
泣いて喚いて、すがりついて、みっともないことになってしまうだろうな、と。
はらはらと涙をこぼしながら、そう思っていた。
――どこかで、もう、これ以上は続かないんだろうな、と、思ってた。
久しぶりに会いたい、と、言われた日。
電話で告げられたそれに、明るく嬉しそうに答えながらも、私の心のどこかは、キンと冷たく凍りついていたような気がする。
嬉しい。会えるのは嬉しい。
でも、同じくらい、悲しい。
いつもどおり、待ち合わせて、少しだけまちを歩いて、本屋さんによって。
カフェで、お茶をする、私が受験生になってからは定番になったちょこっとデート。
その、カフェで。
「――ごめん」
先輩が、そういうから。
苦しそうに、申し訳なさそうに、そう、いうから。
私は。
――私、は。
失いたくない、と、思っていた。
もし、失ってしまうのならば、きっと、泣いて喚いて、みっともなくすがりついてしまうだろうと、ずっと思っていた。
――なのに。
「うん。わかった」
そう言って微笑む私の笑顔は、ちゃんと笑顔になってただろうか。
もうすぐ受験だし、とか。勉強に集中したいから、とか。思っても居ない言葉が、ほろほろ、ほろほろ、口からこぼれ落ちる。
ああ、そうだな、と、応援するよ、と、そう告げてくる先輩は、穏やかな笑顔で。
――先輩、苦しいよ。
――先輩、捨てないでよ。
私は、笑顔の奥で、ただほろほろと涙をこぼす。
「じゃあ、元気で」
そういって右手を差し出す先輩に、はいっ、と元気よく返事を返して、右手を握り返す。
伝わる温もり。私が大好きな人の、温もり。――これで、最後の、温もり。
じゃあ、と、そのまま別れて、反対方向に歩き出す。
振り返ることはしなかった。
だって。涙が止まらなかったから。
ずっと、ずっと好きだった。
誰よりも何よりも、大好きだった。
だから。
失いたくない、と、思っていた。
もし、失ってしまうのならば、きっと、泣いて喚いて、みっともなくすがりついてしまうだろうと、ずっと思っていた。
――なのに。
ぐっ、と目元を荒く拭う。
悲しくて。辛くて。――悔しくて。
「負ける、もんか」
負けるもんか。これ以上、ないてなんかやるものか。先輩が、驚くくらいいい女になってやる。後悔するほど、いい女になってやる。
「――負けないっ」
ぐっと拳を握って、そう呟いて。大きく息を吸って空を見上げた。
1月の青空は、キンと冷えた空気に青く透き通っていて。
私は、ちょっとだけ、笑うことができた。
――高校3年の、センター試験前の、思い出。
「考えると、ヒドイよね」
「確かに」
からりと、グラスに入った氷を揺らし、男は笑う。
「まあ、無事大学も先輩より上の学校に合格、会社もいいところに入れたし、奮起できたって意味では、よかったんだけどねぇ」
ゆっくりと、喉を焼くアルコールを楽しみながら、ため息を漏らす。
いったい、どうしてこんな話、私は今してるんだろう。
目の前で、男が、楽しげに目を細めて、グラスを傾ける。
「まあ、良かったじゃないか。――それに」
「……それに?」
「俺の時は、縋ってくれるんだろう? 泣いて、喚いて、すがりついて」
リズムを付けて、そう告げる男の様子に、ふん、と鼻を鳴らす。
「その前に、潰す」
「は、ヒドイなぁ、それは」
くすくすと、笑えば、同じように男も笑う。
「まあ――失わせることなんか、ないけどな」
そんな風に、男がいうから。
「さて、私が捨てるかもしれないけど、ね」
小さく、そう、笑い返してみる。
くっ、と笑みを男は深め、て。
「その時は、俺が、泣いて、喚いて、縋ってやるよ」
「あっは、本気?」
小さな行きつけのバーの、カウンターの片隅で。
いつものように、交わす会話。
――若いころの恋の思い出は、甘く切なく、胸に残って入るけれど。
「ああ、本気。まあ――これからもよろしく、ってことで」
「ええ、まぁ、よろしく」
かちん、と、グラスを、合わせる相手と。目を合わせて、微笑んで。
今が幸せなんだから、それでいっか、と、ひとり、小さく笑ってみた。




