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失われた思い出


 

「どうして、もぉぉぉ」


今日に限って、と、悪態をつきながら学校へと戻る。

折角早く学校も終わり、ウキウキと街に出かける途中だったっていうのに。


私はどうしても、取りに戻らなきゃならない大事なものを思い出して、本屋を諦め泣く泣く学校へと戻ってきたのだ。


セーラー服はまだ着慣れない。中学生になったら皆、これを着るという。標準服。

カワイイかなという気もするけど、なんだかまだなれなくて、困ってしまう。


既に周囲は夕暮れが近い。最近は暗くなるのも早いから、とにかく急がなくては、と、早足で学校の階段を登る。

遠くでは部活の声が聞こえている。みんな頑張るなぁと、そんなことをつらつらと思いながら、私は教室に駆け込んだのだった・



「――ない、ないっ、なんでっ」


教室の机の中、後ろのロッカーを探したけれど、見つからない。

教壇の周り、ついでにおとしもの入れも探したけれど見つからない。


ないはずはないんだ。忘れたのは間違いないんだから。

そう思って必死で探すんだけれど、どこにもなくて私は途方にくれた。


「もしかすると、階段、とか、中庭、とか……」


いつも通るルートを思い出しながら、教室から飛び出す。

移動教室で使う階段、それに、学校への登下校とのときに使う階段を調べ、そのまま中庭に走り出る。

昼ごはんをここで食べることが多いんだけれど、と、しゃがみこんで地面を探し、ないだろうとわかっていながらも木の上を探すけれど、見つからない。


――どこ、どこにあるの?


次第に強くなる焦燥を押さえ込みながら、次は、と、考えたときに、ぱっと、思い浮かぶ場所があった。


「――図書室!」


そして私は、図書室へ向かって走りだしたのだった。


――外は、すでに綺麗な夕焼けの朱に、染まっていた。



図書室は開いていた。

司書の先生はいなかった。


いつも使う机のところや、床の上、最近借りた本の棚のあたりを真剣に探す。


ない。ない。見つからない。


不安で心がグラグラする。

早く見つけないと、と、思うのに、見つからないことが不安で苦しくなる。



「――何を探してるの?」


と。


誰もいないと思っていた図書室の奥から人の声が聞こえた。


「っ、誰?」


驚いて激しくなった心音をごまかすように、問い返す。


「ん、誰って。ヒドイじゃん」


クスクスと笑いながら出てきたのは、クラスの男子。あれ、この子図書室に来るような子だったっけ? と思いながらも、見知った顔だったことにホッとする。


「なんだ。ああ、うん、ちょっとね」


大事なものだけど、いうのもなんだか恥ずかしいような気もして、私はごまかすように呟く。


す、と、隣までやってきた彼は、そっと肩をすくめて、探すのを手伝い始めた。


どうしようか、と、思ったけれど、いまは探すことの方が大事だったから、再び探す作業に戻る。


見つからない、と、必死で探す私に、彼はどう思ったのか。


「――よっぽど、大事なものなんだね」


そうだ、大事なものなんだ。だから早く見つけないと。うなづきながらも、ふっと、湧き上がった言葉に、手が止まる。



――私は、なにを、さがして、いるの。



顔をあげる。電気がついているはずなのに、どこか薄暗い図書館の中、外から差し込む夕焼けがほのかに朱にあたりを染めていた。


もう、部活の生徒の声も聞こえない。


どこか、遠くから聞こえるのは、かなかなとなくセミの声。


――夕焼けと、カナカナと。


私は、この風景を知っている。


私は、この風景を、以前にも見たことがあるはずだ。



体が震える。


思わず自分の体を抱きしめる。


焦燥は不安へと取って代わる。どこか肌寒くすらある空気に、体の震えが止まらない。


――ああ、私は、いったい、何を忘れているの。


――私は、いったい、何を探しているの。


と。


震えのままにうつむく私を、温かい体温が包む。


疑問に思う間もなく、耳元から低く優しい声が、聞こえてきた。


「――思い出さないで。思い出さなくていいんだ」


思い出さないで? 思い出さなくていい? ――忘れていろ、というの?


だって、大事なものだから、大事なことだから、私は必死に探していたというのに。


忘れられないから、忘れたくないから、必死で失われたそれを、探していたというのに。


たとえあなたがいうことだとしても、それはけして受け入れられない。


その思いのままに、勢い良く顔をあげる。


――まるで、泣いているかのように。


光の中で、切なげに目を細める、その顔に。


ああ、私が忘れていたものは、これだったのか、と。




パンッ! と、まるで閃光のように光がはじける。




眩しい光の中で、薄れゆく意識の中で、低く、悲しげな、だけど優しい声が聞こえた。


「――馬鹿だな。忘れていてくれてよかったのに。……幸せに、なれよ」




まぶたを開く。


目に映るのは、天井。私の部屋の、寝室だ。


窓の外からは朝の光が差し込んでいる。


夢、だったのだろうか。


起き上がり、呆然と、窓の外を眺める。


ここは私の部屋。私は既に中学生などではなく、一端の社会人で。


そして。あの夢の中に出てきた彼は。


私が忘れていた、彼は。



――私の、大好きだった人、じゃないか。


――まだ幼いお付き合いだったけれど、私が初めて付き合った相手、じゃないか。


そして。


中学卒業を待たずに、病に倒れこの世を去った人、ではないか。


大好きな、人だった。

初めての気持ちだったけれど、とてもとても、真剣に、大好きな人だった。


だから。


15に満たない心には、彼の死は大きすぎて。


私は、彼のことを忘れてしまった。そう――忘れて、しまったのだ。


なんということだろう。


そして、ああ、どうして、いまになって、彼のことを思い出したのか。



――幸せになって。


あの頃の声より、低く聞こえた、彼の声。

声変わりの途中だった彼の声は、あんなふうだったのだろうか。


涙が、一筋、頬を伝う。



「幸せになるに決まってるよ。――あの世で指を咥えてなさいってのよ」


小さく、呟いて、笑う。


幼すぎて受け止めきれなかった私は、社会に出て揉まれて変化した。

いま、彼を思い出して悲しくないわけじゃない。愛しいという思いも恋しい思いも、ないわけではない。


けれど、既に、時は流れて。


いまの私は、ひとりではない。そう。私はひとりではないのだ。


明日、私は、彼ではない男のもとに嫁ぐ。


今頃出てきても遅いのだから、と、幸せになってみせるわよ、と、微笑みながら、私は静かに泣いた。



忘れてしまっていた思い出の、弔いのために。



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