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泣き虫なきみ。

――まあちゃん、ねえ、まあちゃんまって。


夕焼けに周囲が薄紅に染まる中、子どもたちが掛けていく。


――やだよ、もうかえらないと。おいてくよっ


追いかける男の子が半泣きで告げるのをよそに、女の子はキャラキャラと笑いながら、公園から家へと掛けていく。


――まあちゃん、ねえ、まあちゃん、おいてかないでぇ。


必死で叫ぶ少年の顔が、涙に歪む。


まるで、世界に女の子しかいないかのように、置いていかれてしまうと一人ぼっちになってしまうかのように、ただひたすらに男の子は叫ぶ。


――もう、しょうがないなぁ。


小生意気な口調で、女の子は立ち止まり、ため息混じりに手を差し出す。


○○は、泣き虫だから、ずっとそばに居てあげないと。



「なんて思っていた頃も、あったあった、確かにありました」



ベッドの中、天井を見上げてボソリと呟く。

窓の外はまだ暗い。携帯を確認すれば、まだ5時前。起きるにはかなり早い。

しかし、なんとも懐かしい夢をみたものだ、と、真奈美は思う。


あの女の子は、おそらく5歳前後の頃の真奈美の姿。


ではあの男の子は――。


「間違いなく、ヤツだよねぇ」


ふう、と、夢見のせいか遠ざかった睡魔を名残惜しみながら、ゆっくりと体を起こす。


今日は日曜日。

大事な大事な、休日だ。


あとで昼寝をすることも可能なんだし、と、まだ布団から離れたがらない体を叱咤しながらも、思考はあちこちへと飛び回るのだった。



「おはよう、真奈美」


そういって、ハートマークがつかんばかりの笑顔で玄関にたつのは、真奈美の(一応)恋人ということになる男だった。


「おはよう。っていうか、なんでいるの?」


せっかくの休日、のんびりひとりで過ごそうと思っていたというのに、と、眉を寄せれば、男は大仰な程によろりとよろめいた。


「ひどい……っ。せっかく、愛しい恋人に会いに来たっていうのに、なんでいるのとか、ひどすぎる……っ」


よよ、と、壁になついてなき真似する男に、ふう、とため息が漏れる。

どこでこうなった。なんでこうなった。

色々とぐるぐる回る思考をえい、と、とりあえず抑えこんで、しぶしぶと口を開く。


「まあ、きたなら上がりなよ。飯、まだでしょ」


「うん、ありがとーまぁちゃん!」


――あの男の子は、いつしか、真奈美の背を追い越した。


泣き虫だったのに、泣かなくなって、真奈美より足が早くなって、気が付けば成績でも負けるようになった。


何をこのやろう、と、男女の差なんぞあってたまるかと、中学・高校と張り合って過ごし、そのおかげでなかなかの大学に進学。大学はさすがに同じ所ではなかったが、なんの因果か関わりの深いところだったせいで、あれこれとこの男の噂を聞くことになった。


曰く、モテモテ。曰く、教授の覚えめでたい。曰く、院を勧められてる。などなどなどなど、上げていけばきりがないほどの噂に、何をこのやろうと、また奮起している内に、大学でもそれなりの成績をおさめることができた。

お陰様で、希望の職種につくことも出来、それなりに平和な生活だ。裕福ではないが、切り詰めなければ行けない生活でもない、仕事にも貼り合いのある、悠々自適の独身生活。


感謝すべきところなのかもしれないが、さすがに感謝したくない。なんとなく。


そんなヤツと、恋人などというものになったきっかけは、なんだったのかは覚えてない。


大学在学中に、あっちも真奈美の噂を聞いたのかなんなのか、顔をだすことが増えて、そのうちほだされたように付き合うことになっていた。


告白? なにそれおいしい? ってなもんである。


部屋の中、奴がウキウキとごきげんな顔でダイニングテーブルについているのを横目に、さっさと適当に朝食を用意する。


というか、朝から来るのはどうなんだ。連絡くらいしろよ、と、思わないこともないけれど、それはもう諦めた。いったところで、だって会いたかったんだもん! と、どこのお花畑だと言いたくなるような発言が返って来る。実体験済みだ。複数回。


ご飯に野菜たっぷりの味噌汁、焼き魚におひたし。以上。シンプルで何が悪い、な朝食を出してやれば、嬉しそうにいただきます、と、早速食べ始める。


静かな朝の時間。

向い合ってこうして食べる時間が、嫌いじゃない、とは思う。


ただ、素直になれないのは。


――まあちゃん、まってよ、まぁちゃんっ。


泣き虫だった彼が、追いかけてきていた彼が、いつしか自分を追い抜き、先にたつようになったことが、悔しいから、か。


ゴキゲンで味噌汁を飲む男の姿に、そっとため息を付く。


いい男になった、と、思う。思うんだけれども。


あの泣き虫な男の子は、もう、いないのか、と、思うと、少しさみしい気がした。


ぼんやりと、そんなことを思っていた、のだけれど。


「ああもう、まあちゃんの味噌汁最高っ。――ずっと俺のために味噌汁を作ってくれ」


「――はあ?」


突然、キリッ、と表情を切り替えたヤツが、そんなことをいうから。


思いっきり眉根を寄せて、そう返してしまう。


「ちょ、ヒドイ、ヒドイよまぁちゃん! 俺、真剣に言ってるのに!」


「や、まって、ちょっとまって」


おおう、と、ダメージを受けたようにのけぞりながらいうやつに、ストップをかける。


律儀にぴたり、と、動きを止めたヤツを、まじまじと見つめて、言葉を反芻する。


ええと? 味噌汁? 作ってくれ?


「……古っ」


「ちょっ、待てって言うから待ったのに、それはなくない?!」


がーん、とショックを受けたような表情のヤツの様子から、マジでそういう意味だったか、と、逆にびっくりする。


じわり、と、心のおくから、嬉しいような感情が湧き上がるのは、否定出来ない。

でも、どこかで、この男に追いつくことが出来ない不甲斐なさが邪魔をして、表情は複雑に歪む。


沈黙が、落ちる。


言葉が出なくて、黙ってしまって。

うつむいてじっと、白いご飯を眺めていたら。


「う……っ、グス……っ」


鼻をすするような音と、嗚咽のような声が聞こえてきた。


はあ?! と顔を上げれば、涙目でグズグズ泣きながら、握った拳を膝の上にぎゅっと押し付けて、じぃぃぃっとこっちを見つめる奴の姿。


「ま、まぁちゃん。ダメ? ダメなの? 俺と結婚、してくんないの? 俺、頑張ったけど、ダメなの?」


ひぐひぐと、お前はどこのオトメだ、むしろどこのがきだ、と、呆れるのと同時に、その涙目の面影に、あの幼い頃の男の子の顔が重なる。


ああ。


変わってないじゃん。

こいつは、いつでも、何もかわってなかったんだ。


――まあちゃん、まってよ、まあちゃんっ。


ふっ、と、息を付けば、びくりと目の前で男が震える。その状態がなんだかおかしくて、笑みが浮かぶ。


「うう、まあちゃん、笑うなんてヒドイぃぃ」


えぐえぐと泣くヤツを横目に、やれやれと席をたてば、じぃぃっと恨みがましい視線が追いかけてくる。

それを無視して、脱衣所へ向かいタオルを一枚。そして深呼吸して、また戻れば、えぐえぐと盛大に涙をこぼす、ヤツの姿があって。


「泣くな。男だろ」


べし、と、タオルを顔に投げつけてやれば、あうう、と情けなく眉をたれさせて、ゴシゴシと顔を拭う。


その間にコーヒーを用意する。砂糖とミルク多め。そういえば、このへんの思考も、ずっと変わってない。


「ありがとおぉぉ」


情けない声でそういいながら、カップを両手で掴んでずずっとすするヤツをみながら、心を決める。


「なあ。嫁には行けないよ」


「えええっ」


愕然とした表情でこちらを見上げ、再び泣きそうになるやつに、そっと笑う。


かわいいじゃないか。アレだけ、評判で、いい男で、もててて仕事も出来るくせに。こんなに、自分の前では泣き虫だなんて。


楽しくなって、そっと、額にキスをひとつ。


呆然と赤い顔でこちらを見上げるやつに、艶やかに笑ってみせる。


「あんたを嫁にもらってやる。幸せにしてやるからね」


そういえば、一瞬で沸騰せんばかりの顔になったやつの目から、再び滂沱の涙が溢れる。


「まぁぁぁちゃぁぁんっっ!」


ひしっ。と、腰に抱きついてきた男を宥めながら、小さく笑う。


「あんたは、泣き虫だから、ずっとそばにいてやらないと、ね」


言い訳するようにつぶやけば、奴は嬉しそうに笑って、何度も頷いた。


「――だって、約束だったもんね」



――まあちゃん、ねえ、まあちゃんまって。


――やだよ、おいてくよ。


繰り返した幼い頃の言葉は、思い出の中に遠く。



さて。


――捕まったのは(捕まえたのは)


どっち?



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