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あいたい


「声が、聞きたかった、から」


小さな機械から聞こえたその声は、周囲の雑踏の音に包まれて、消えそうに小さく聞こえた。



喧嘩をしたわけじゃない。お互いに何かがあったわけじゃない。

けれど、どちらかというと、どちらも覚めた部分が強いというか、それはそれ、という認識が強いのと、それなりに仕事が忙しい日々のせいもあって、会わない日が続くことも珍しくない。

ベタベタと付き合う方でもないから、それなりにメールはするけど、1日になんども、とか、そんなことはなくて。1日1往復すれば、まぁいいほうで、忙しければそれもなくなるのは、よくあること。電話なんていつ取れるかわからない、ということもあって、声を聞かないまま一ヶ月、なんてことも、ザラにある。


それでよく付き合ってるなんていうね、と、同僚の女性は呆れたようにいうけれど、それでも、俺にとって彼女は恋人で、彼女にとっても俺は恋人なのだ。


だから。

こんな風に、急に電話がかかってくることも、珍しくて。

しかも、声が聞きたい、なんて、彼女が言ってくることなんて、ほとんど初めてに、近いことで。


「いま、どこ」


問いかけながら移動して、財布と鍵をポケットに突っ込む。部屋の時計を見あげれば、21時。夜はこれから、ともいえる時間だ。今日は割りと余裕があって早く帰ってこれた日でも有り、ゆっくりとする予定ではあったけれど、そんなのは関係ない。


電話の向こうでは、小さな呼吸音。気のせいじゃなかったら、時折鼻をすするような音すら、聞こえていて。


じり、と、胸の中に焦燥が湧き上がる。


泣いているのか。

ひとりで。

彼女が。


いつも、まっすぐに前を見据えて、楽しそうに突き進んでくような、女性だ。何か辛いことがあっても、笑顔を絶やさずに、乗り切るような女性だ。

でも、その彼女の根っこには、とても優しくて柔らかなくて脆い心が隠れていることを、俺は知っている。

その柔らかな部分を、そっと守りながら、強く生きようとする彼女だから、その弱さを誰にもみせずに突き進む彼女だから、俺は惚れたのだ。


誰にも見せないその弱音を、出来れば俺だけに見せて欲しい、と、願いながらも、それでも、彼女が笑顔で隠すから、その強い心根で前に突き進むから、それが彼女だから、と、見守ってきた。


その、彼女が。


「ねえ、カナさん。いま、どこにいる?」


ひとりでなくなんて、許せるものか。それだけは、ゆるせない。


繰り返し問いかけた声に、ぽつり、と、返される。


「すぐにいくから。――まってて」


かけ出すように飛び出した。


――彼女に会うために。



夜の交差点。

駅近くのその場所は、まだ明かりに溢れている。

足早に帰宅する人、平日ではあるがどこかにのみにでも行くのか楽しげな集団、それらが、まるで水槽の中の熱帯魚のように、キラキラとした空間を自由に行き交う。


家から駅まではすぐだ。

10分もたたずにたどり着いた交差点は、夜にもかかわらずそれなりの人でで、ざわめきにあふれていた。


視線を周囲に走らせる。


いない。いない。

どこにいる。どこにいるんだ。


息が上がる。それでも彼女を探し続ける自分に、内心苦笑いが浮かぶ。必死だ、ああ、必死だとも。

会えなくても、声が聞けなくても、お互いが元気であるならば、それぞれの生活が大事だから、わかっているから、平気だった。

会いたくないわけじゃない。ただ、お互いがお互いを大事には思っていても、恋愛が生活の中で最優先でなかっただけのことで。

お互いが何よりも大事であることには、代わりがないのだから。


だから。


あんな声で、声をききたい、なんていわれて。

いつもなら、メールで日常報告をしあう程度の彼女に、そんなことをいわれて。


いくら、覚めた部分が多いと自覚のある自分だって、必死にもなるというものだ。


表通りには姿がみえない。

ならば、と、一本裏にはいれば、どこか空気が少し淀む。

キラキラと煌くネオンはそのままに、一気にあたりが、夜特有の世界に、包まれる。


たしか。

この先に。


飲み屋やクラブの居並ぶこの界隈に、ひっそりとある公園にふたり、立ち寄ったのはいつだっただろうか。

幼い頃からこの街で育った彼女にとって、その小さな公園も、昼の飲み屋街のどこか怠惰な風情も、すべて馴染み深いもので。


ひっそりとある公園は、こんな場所にあるにもかかわらずとても清潔で、心地よくて。そういえば、彼女は、嬉しそうに笑っていった。


――みんなで、だいじにしてるもの。


そうだ。


その思いのままに、公園へ向かう。

上がる息を必死にごまかしながら、ひたすら足を動かして公園へ走りこむ。


しん、と、先ほどまでの喧騒がうそのように、静まり返った場所。

ぽう、と、設置された街灯が、いくつかの空間を照らしだし、どこか幻想的ですらあるその空間。


ぎい、と、聞こえた音に、視線を向ければ、ブランコの上に人影。

安堵から深く息を吐き出して、ゆっくりと歩み寄る。


「ケイくん」


ざ、と、横にたてば、彼女が伏せていた目をあげる。

暗闇の中、街頭に照らされて、彼女の濡れた目元がみえて。


「ひとりでないたら、だめじゃん」


「ないてないよ」


「ないてるじゃん」


手を差し出せば、ぎゅ、っと掴まれる。その小ささと温もりを確かめながら、彼女の手を引いて立たせた。


「ちょ、ケイくん!」


そのまま、抱きしめた。

腕の中に閉じ込めるように。逃さないように。


「ひとりで、なかないで。なくときは、ここにいて」


この腕のなかに、いてほしい、と。

願うのはただ、それだけだから。


「……うん、ごめんね」


力を抜いてもたれかかってきた彼女の背を、そっと撫でる。


夏の終わりの公園には、どこか秋の気配を漂わせる風が吹き抜けるのだった。



――さめてる性格、だと思う。

――会えなくても、我慢できる。


でも。


「会いたかった」


君がここにいるから、俺はそう、思えるのだ、と。


君にどう伝えたら、いいだろう。





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