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夢の記憶


とろとろと、穏やかで暖かなまどろみの中、あたしは夢をみる。

甘く幸せで、この上なく暖かな、そんな夢を。


ゆるりと頭を撫でる手の感触が心地よくて、甘えるように擦り寄った。


声が聞こえる。


伏せていた顔をゆっくりとあげれば、琥珀に輝く瞳がこちらをみていて。


口を開くと、にゃあ、と、小さな鳴き声が、こぼれた。




それが、私がもつ「あたし」の記憶。


「あたし」は、子猫だった。

小さな、子猫だった。


暖かい場所で、優しい人に囲まれて、穏やかに緩やかに、日々を暮らしていた。


「あたし」に名前はなかった。


あったのかもしれないけれど、記憶の中の言葉は、私には全く理解できないものだったから、呼びかけられているのが名前なのか違うのかすら、区別がつかなかった。


「あたし」には、両親がいなかった。両親、と、いうのかどうかもわからないけれど、少なくとも母猫は、「あたし」を産んですぐにどこかにいなくなった。

寒い冷たい場所で、ひとり泣いているところを拾われ、いろんな人の手を介して、最後に箱に入れられて連れてこられたのが、琥珀の眼の人のところだった。


その人は男性だった。

その人は、優しい男の人だった。

その人は、いまの私の感性から言えば、美形だった。

けれど。「あたし」にとっては、それらはなんの意味もなくって。

ただ、撫でてくれる、甘やかしてくれる、暖かい人でしかなかった。

ご飯をくれるのは、別のおんなの人だったけれど、それでも、そのごはんは彼のお陰で食べられるのだということは、なんとなく曖昧な意識のなかでも理解してた。


彼は忙しい人のようだったけれど、それでも、仕事をする部屋の隅に、気持ちのいい布の入ったかごを用意してくれて、「あたし」はいつもそこにおかれていた。

時折手招きされては彼の膝にのり、撫でられたりじゃれたり、話しかけられたりして、彼の膝の上でうとうとするのが日課だった。


とてもとても平和だった。


彼の目は光に透けるととても綺麗で、きらきらしていて、彼の指はとても優しくて暖かくて、「あたし」は、この上なく彼のことが大好きだった。


平和で、平穏で、穏やかな日々。


じゃれて、彼が戯れにくすぐる指先にあまがみして、また、じゃれて。


まるで砂糖菓子のような日々は、ある日突然、終わりを迎える。



むせ返るような血の香り。


大きな怒鳴り合うような声。金属がぶつかり合う音。


彼の部屋以外でお気に入りの、物置の隅っこで昼寝をしていた「あたし」は、それに気づいて飛び起きる。

背中の毛が逆立った。空気が、びりびりとしていた。

怖くて怖くて、よくわからなくて、ただまっすぐに、彼のもとにいかなくちゃ、と、それだけを思った。


人を避け隙間をぬけ、見つからないように駆け抜ける。

小さな体がすり抜けられるような場所は、いくらでもあった。


倒れた人がみえた。ごはんをくれたお姉さん。お風呂に入れてくれたおばさん。それから、扉をあけてくれたお兄さん。


見知った顔があちらに、こちらに、と、倒れていたけれど、それどころじゃなかった。


彼は。

彼は、どこ。どこにいるの。


ひたすらに駆け抜けて、辿り着いた扉の前。


いつもは閉じているはずの扉が開け放たれ、血を流し膝をついた彼の姿と、鎧甲冑姿の複数の男達の姿。

周りには、彼の傍にいつもいた人たちが倒れて、いて。


にゃあ、と、声を上げて彼に駆け寄る。


場違いな声に驚いたのか、一瞬振り向いた複数の男たちは、次の瞬間、なんだねこか、という拍子抜けしたような空気になる。


必死に彼に駆け寄ると、彼がなにかを叫ぶようにいった。くるな、とか、そういうことだったのかもしれない。


彼しか見ずに、まっすぐに、駆け抜ける。


けれど。


がつん、と、衝撃が体を襲って、次の瞬間、体中が焼け付くような痛みに襲われる。


たたきつけられるように床にぶつけられる。


彼の悲痛な声が聞こえる。男たちの笑い声が聞こえる。


ああ、早く彼のもとに行かなくちゃ。


必死で起き上がろうとするけれど、前足は虚しく床をかくばかりで。


霞む視界の向こう、悲痛に叫ぶ琥珀の眼の彼が、いて。


薄れる意識の中で、私は、小さくないた。


泣かないで。

泣かないで、と。


それが、最後の記憶。





――するりするりと、髪を撫でる手が心地よい。

その手が、いたずらに耳をたどり、頬をくすぐる。


もう。

何をするの。


私は、唇をふにふにといたずらに触れるその指に、歯を立てる。


くすくすと、笑い声。低くやわらかな笑い声。

ゆっくりと目を開ける。真っ白なシーツ。窓から差し込む朝日と、揺れる白いカーテン。


顔を動かせば、私のくろく長い髪が、さらりと流れる。


「起きた?」


その低く甘い声のもとに視線を向ける。茶色の瞳が、朝日を受けて淡く琥珀に輝くのを見て、私は、うっとりと目を細める。


「ええ。おはよう、あなた」



――どこかで、小さな子猫が、にゃあ、と、なく声が聞こえた。




お題:「確かに恋だった」様 http://have-a.chew.jp/

「それは甘い20題」より 「19.甘噛み」


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