あなたに会いたい
数日に一度。
酷い時は、日に数度。
私は、激しいめまいに襲われる。
ぐらりと世界が揺れ、視界が暗くなる。どんな時になる、と決まっているわけではないそれは、今のところ事故には合わないで済む程度の場所でおこっているけれど、それも偶然ではないかと思われるほど、突然はじまる。
物心ついた時から繰り返されるそれは、原因がわからないまま、心理的要因による発作だろう、と、病院からはいわれている。
必死になって治療に駆けまわってくれた母も、今では疲れはてて、心のせいなのかと逆に母が参ってしまうような状態で。
家族は少しばかり、崩れかけていた。
父と、母と、私と。
3人だけの世界はとても小さくて、成長しても、すぐに倒れかける私では友達もなかなかできず、小さく切り取られた世界で、私は、ずっと生きていた。
否。
――両親は、そう、信じていた。
めまいの原因も、その瞬間私に何が起こっているのかも、彼らは何も知らない。
これからも、きっと、知ることはない。
誰もに言わない、私だけの、秘密。
その日も、視界が回った。
どこか冷静な思考が「あ、はじまったな」と考えてる間にも、すぐにたっていられなくなる。
ちょうどその時は、学校の廊下で、すぐそばに壁があったから、片手をそこにつけてずりずりと座り込む。
めまい。
暗闇。
驚いたような他の生徒の顔と、慌てて駆け寄ってくる教師の姿。
それを目にして、私の視界は、さっと膜がかかったように暗くなる。
――そして。
「……待っていた」
背中から抱きしめられる。伝わる厚い胸板の感触。香る草原の匂い。
暗かった視界が、じわりと視野を取り戻せば、そこはいつも同じ場所。豪奢でありながらも実務的な佇まいの、執務室であるその場所で、私は、金の髪に青銀の瞳を持つ美丈夫に抱きしめられていた。
わずかに首をずらして、逆さまに見あげれば、その強面の顔にとろけるような笑顔を浮かべて、こちらをみる男の姿。
ラージャ・フォレ・フリエンティア。それが、彼の名前。
フリエンティア王国の国王にして、なぜか私がめまいに襲われるたびに出会う、男、だった。
一番最初は、いつだっただろう。
もうかなり幼かったあの頃、最初にここに現れた時、この部屋は真っ暗で、ほこりくさい場所だった。
何がおこったのか分からず、めまいを起こしてる間に運ばれたのかと、そこまで考えられるほどの年でもなかった私は、見知らぬ場所にいることが怖くて不安で、ただ、泣いた。
大声をだすことすらも怖くて、小さな声で泣いていたとき、そっと、重そうな扉が開き、うっすらと光がさした。そこから覗いていたのが、当時まだ第二王子だったラージャであり、彼もまた、なく場所を探してあちこちをさまよっている途中で、泣き声を聞きつけてここに来たらしい。
なにもの、と、その幼い風貌に関わらず威厳有る口調で誰何してきた彼は、いま思えば、目元が涙をこらえて真っ赤に染まっていて、それどころじゃなかったんだろうな、と、思う。答えることも出来ずに震えていれば、こちらに歩み寄ってきた彼が、私が泣いてることに気づいて、眉をしかめた。そして、しばらく逡巡したあとに、数度頭を撫でてくれた。――ぎこちないその手つきが、とても暖かかったのを覚えている。
その次の瞬間、気がつけば私は、家のリビングにいて、母に支えられていた。青ざめ心配そうな母に抱きしめられながら、アレはゆめだったのかしら、と、思ったその頃。――けれど、その後も、なぜか私は、めまいのたびに見知らぬ場所にいくようになり、なぜか戻ると意識を失っていたわけではなく、ほんの一瞬にも満たない時間しか経っていないという状況が、繰り返された。
誰かに相談したい、と、思わなかったわけではない。けれど、誰かに話したところで信じてもらえるだろうか。それが解っていたから、私は沈黙を守った。それは、自分を守るためでもあったけれど、あの見知らぬ世界――窓の外を翼竜が飛ぶような世界――のことを、そして、出会った彼のことを、自分だけの宝物の様に思っていたからかもしれない。
季節はすぎ、年は流れ、私は18になった。
第二王子だった彼は、政局の紆余曲折の末、王太子だった兄を廃して、王になっていた。
王妃と即妃を抱える、それなりに大国の王たる彼。
なぜか現れるときは、彼が1人でこの部屋にいる時のみのためか、元々場所自体は悪くなかったらしいこの部屋を、彼が執務室のひとつとして使うようになったのは、いくつの時だっただろうか。
――その時には、すでに、王妃がいた。即妃がいた。
それでも、彼は、私が現れると、まるで愛しいものをみるかのように抱きしめる。
この上なく大切なもののように、抱きしめて語りかける。
それ以上をするでもなく、求めるでもなく、ただほんのひととき、現れる私を抱きしめ語り、そして、不意に私は消えてしまう。
――彼が何を求めているのか、私にはわからない。
そして、私もまた、彼に抱きしめられることを嫌だと思わないけれど、だからといって会えない現実の時間の中で、彼を思い出すことはあっても恋い慕う思いに辛くなるようなこともない。
彼は王で有るけれど彼でしかなく。
私は渡り人であるけれど私でしかなく。
互いにそのひとときだけを至上としながら、それ以上を求めずに、ずっと、この誰も知らない逢瀬を続けてきた。
めまいが起こらなくなればきっと、二度と会えなくなる。
それでも。
いまこの抱きしめる腕の温もりは、ほんものなのだから、と、そっと目を閉じる。
愛してる、と、囁かれる声に、けして答えることのないままに。
――ふいに、音が戻る。
目を開けばやはり教師が駆け寄ってきているところで、大丈夫か、と、声をかけてくる。
だいじょうぶです、と、答えながら、教師の手を借りて立ち上がる。
保健室に連れられていく道すがら、また不意に掻き消えた私に、彼は何を思うのか、と、そんなことを考える。
ふわり、と、窓から風が吹き込んでくる。
――彼と同じ草原の匂いがした気が、して。
果たしてそれが幻想か、妄想か。はたまた私の幻覚か。わからない、けれど。
あの感じた温もりだけは、真実だと、そう思いたい私がいて。
小さく、笑った。
――めぐるときの中で。
いつしか出会う時を待ちながら、違う時空を渡る夢の、物語。
お題:「確かに恋だった」様 http://have-a.chew.jp/
「それは甘い20題」より 「17.めまい」