日暮れ時の追憶
窓の外から、夕方の風にのって子供の声が聞こえる。
ゆーびきーりげーんまん
夕焼けの空に響くその声は、懐かしい思い出をじわりと蘇らせてくれる。
帰り道、漂う夕飯の香り、鳴り響く帰りの音楽。
もう、どれほど前のことになるのかと、指おり数えて苦笑した。
――もうすぐ、子供が帰ってくるだろう。
あの頃の私のように、お腹をすかせて、笑顔で、家の中に駆け寄ってくるのだろう。
それは、とても幸せなことのように、思えた。
小さな頃、私は一人ぼっちだった。
友達がいなかったわけではないと思うのだけれど、外で遊ぶよりも本を読む方が大好きだった私は、帰り道にそのまま遊びだす友達をよそに、さっさと家に帰ってはお気に入りの本を取り出して読むような、そんな子だった。
いま思えば、よくそれで疎外されなかったものだ、と、思うけれど、もしかしたら疎外されていたかもしれない状況すら、私にとっては本が優先で、どうでもいいことだった。
学校でも、暇があれば、教室の後ろに備え付けてある学級文庫から本を取り出して読み、図書室で本を借りられるようになればよみ、図書室が解放されれば放課後でも読み、ただ、頭の中は本一色だった。
教科書ですら、私にとっては読み物で、授業を聞いているふりして、教科書に書かれた文字を読みふけったり、高学年になれば辞書すらも、まるで本のように読みふけったりした。
遊ぼう、と、誘われていたのは、低学年の頃ばかりで、次第に、そういう声も掛けられなくなった。
それもいま思えばということで、当時の私はまったく、そんなことを気にもせず、普段は早く帰り、図書室が解放されれば入り浸り、といった生活を、ずっと過ごしていた。
母親がそんな私をどう思っていたのかは、わからない。
ただ、くらい中で本を読んだり、することをせずに読んでいる時には叱られたけれど、それ以外に本を読むことを咎められた記憶はあまりない。どうしても何をしていても、本が気になる私に、どこか母は諦め気味であったのかもしれない。それは、悪い意味ではなく、こういう子なんだ、と、理解してくれていたように思う。
――母が病気で倒れたのは、6年生の時だったか。
急に入院してしまった母の代わりに、仕事の忙しい父が色々と奮闘してくれたけれど、それでも限界はあった。必然的に私も、本なんかよりも母のことが気になり、家のことを手伝うようになった。子供一人では行けない場所に入院した母に会うことも出来ず、悲しくなった私に、ある日一通の手紙が届いた。
それは、入院中の母からで。
まいにち、はがきを書いて送って頂戴。まってるね。 と、それだけ書かれた手紙だった。
驚いて父に言えば、そっとはがきの束が差し出される。私はそれを受け取って、ぎゅ、っと握りしめた。
それから、私は、はがきを書くようになった。読んだ本のこと、学校のこと。書いては毎日、ポストに向かった。
ある日、通りすがりのクラスの子に、何してるの? と、問われた。その子は、クラスの中でも目立っている男の子で、私は一度も話したことがなかったから、驚いて、ビクビクしながら、はがきのことを伝えた。
へぇ、と、驚いたように目を丸くした男の子は、それから、どんなことを書いてるんだ? と、聞いてきた。私は素直に、ほんのこと、学校のことをかいてる、って伝えたら、男の子は、何かを思いついたように笑っていった。
じゃあ、明日は、俺らと遊ぼうぜ。そんで、そのことはがきに書いて送るんだ。きっとおばさん、びっくりするぜ。
私はとても驚いた。けれど、その意見はすごく、すごくいいもののように思えて、何度も何度も、刻々と頷いた。
じゃあ、約束な、と、彼が小指を差し出す。
ゆびきり、げんまん。
その魔法の言葉で、ゆびきった、と終わったそれは、なんだかとても心をぽかぽかさせてくれて、私は嬉しくて笑ってしまった。
男の子たち数人と、女の子と。公園に集まったメンバーは、最初、突然参加し始めた私を、排除しないまでもどこかよそよそしく、なんで? といった風に扱った。特に女の子は、少しばかり視線が痛かったのは、きっと、彼が人気者だったからだろう。
かくれんぼ、おにごっこ、色つき鬼、影踏み、かんけり、ケイドロ。いろんな遊びをした。
そのことをはがきに書けば、帰ってくる返事には驚いたようなうれしそうな母の言葉が並ぶ。
それがうれしくて、私は、その勢いのままに、彼の手をぶんぶんと振って、ありがとうと何度もお礼をいった。・
よかったな、と、ぶっきらぼうに言ってくれた彼の頬は、夕日に照らされてほのかに赤かった。
その後、無事母が退院してきて、また前の通りの生活が始まった。
けれど、私は、外で遊ぶことが少しだけ増えた。少しだけではあったけれど、変化、だった。
――幼い日の思い出は、時々、理由もなく思い出されて心をその時に連れ去ってくれる。
夕食の支度を整えながら、帰ってくる子供を待つ。
ゆびきりげんまん、の、約束を、我が子もしているのだろうか。
今日もいちにち、力いっぱい遊んで過ごしてくる子のことを思い、小さく笑う。
――あの時、指切りをした彼は、いま、私の夫となっている。
もしかすると、我が子もすでに、将来の相手と出会ってるのかしら、と、そう思うと、なんだかくすぐったいような気がして、キッチンで1人、小さく笑ったのだった。
お題:「確かに恋だった」様 http://have-a.chew.jp/
「それは甘い20題」より 「14.指切り」