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追憶は珈琲と共に


苦い苦いブラックコーヒーを、飲めるようになったのはいつだっただろう。


砂糖もミルクも入れないと飲めなかった私を、いつも笑っていた貴方。


気がつけば私は、ブラックコーヒーばかりを飲むようになっていた。


それが大人になったということなのか、それはわからないけれど。


確かに、それだけの時間は過ぎていったのだ、と、めぐる季節に、思った。




――あなたとであったのは、青空に緑の映える季節のことでした。


まだ、夢と希望ばかりを胸に秘めていた私は、あの頃、どこかアウトローだった貴方の存在をしって、魅了されたのを覚えています。

どこか世の中を斜めにみていた貴方。それを、まだ幼い私は、ただ、かっこいいとしか思えず、ひたすらに慕っていた覚えがあります。


今思えば、ただ安定しない職業の人であり、夢を追いかけ続けていた人でしかなかったのでしょう。


けれど、年が5つ上の貴方に、私は憧れ続けたのです。


愚かなことと、言ってしまえばそれだけのこと。


けれど、その時の思い自体を、否定したくはありません。


時が過ぎ、大学受験という現実にぶつかった時、私は、貴方の様に自由に生きたいと、そう貴方に相談しましたね。


その時の、貴方の顔を、今でも忘れられません。


まるで、突拍子もないことを聞いたような、苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない顔で、濃く入れたインスタントのコーヒーを飲み干した貴方。


あの時、貴方が何を思ったのか、今なら少し、わかる気がします。


希望する道を選ぶために、進学ではなく行動を選ぼうとした私に、貴方は言いました。


「いけるんなら、学校いっとけ。それで損にはなんねぇから」


私は驚きました。貴方がそんなことをいうなんて、と。どこかいつも、学校教育なんて、だとか、俺は中退したぜ、とか、得意げに語り聞かせてくれていた貴方が、まさかそんなことをいうとはおもわなくて、唖然と見つめた記憶があります。


そんな私に、苦々しげに顔を歪めた貴方は、とにかく、学校へ行け、と。そして、もうここには来るな、と、そう告げました。


その時の私の気持ちが、貴方にわかるでしょうか。


まだ幼い心を持っていた私は、まるで世界が終わったかのような気がしたものです。



今思えば、なんと幼稚で、幼い思いでしょう。


それから、落ち込んだ私は、すべてを忘れるために勉強に打ち込みました。

ひたすらに勉強ばかりをする私に、両親はそれまで進学しないと言っていた私を諌めていたにもかかわらず、もう少し休むようにと心配してくれました。それでも、ひたすらに学んで、私は、望む道の助けになるであろう学部に、無事入学しました。


そして、大学生活を過ぎ、就職する頃になると、だんだんと貴方がどういう人であったのか、わかるような気がしてきました。


――貴方は、自由であるために、様々なものを捨てた人だったのですね。


安定も、保障も、何もかもを投げ捨てて、自由に生きる。それは言うことは容易いけれど、楽な道のようで楽ではない道だったのでしょう。

きっとあなた自身は、その生き方に満足をしていた。


けれど、そう、けれど貴方は、それを私に勧めようとはしなかった。

軽々しく、同じ道に入ることを勧めずに、最良の選択をするようにと、促してくれた。


あの時の貴方の気持ちは、どんなものだったのでしょう。


想像するしか、私には術はないけれど、それでも、今思えば、貴方は私につっけんどんに当たる割に、優しかったのだと、思うのです。


気がつけば、貴方の年を追い越し、ひとり、働く女として社会の中で生きています。


あの頃のような甘い心は、すでに持てないけれど、それでも、私の中であの思い出は、遠く儚く、けれど深く、それこそ甘酸っぱい思い出として、心の中に残っているのです。



――明日、私は嫁ぎます。


社会に出て、肩肘をはっていきてきた私を、気がつけば隣で支えてくれていた人です。

仕事が出来るわけではないけれど、誠実に日々のことをこなしていける、そんな人です。


貴方のように自由な人ではないけれど、それでも、どこか貴方に似てる気がするのは、気のせいでしょうか。



今、貴方はどこで何をしているのでしょうか。


一度、貴方の住んでいたアパートを尋ねたら、すでにそこには住んでませんでしたね。

どこかへふらりと言ってしまったんだろうと、大家さんが呆れたように、だけど少しだけ心配そうに仰っていたのが、印象的でした。


貴方は、そのいい加減さと自由さにもかかわらず、人に愛される人でした。


きっと、どこにいても、自由に奔放に生きながらも、周囲を人に囲まれて、笑っているのでしょう。


もう、貴方にまとわりついていた女子高生のことなど、忘れてしまっていることでしょう。いえ、忘れていて欲しいと思います。


大事な大事な、儚い思い出を、私はきちんと昇華して、彼のもとへと嫁ぐのです。



ミルクと砂糖をたっぷりと入れないと飲めなかったコーヒーを、今、ブラックで飲み干しながら貴方を思います。


これが、最後の、貴方への追憶。


ふと、思いついて、ほんの少しだけ、砂糖を足してみたのですが、苦く感じたのは、何故でしょう。


――もう会うことのない貴方へ、幼い恋慕の情の記憶を、捧げます。


貴方に会えたことに、感謝します。





カップから立ち上るコーヒーの香りに、目を細める。


窓の外には、緑の葉が青空に映えて輝いていた。


時計をみれば、待ち合せまであと少し。


視線を入り口に向ければ、どこか急いでこちらにやってくる、彼の姿。


どこか頼りない、けれど誠実で堅実な彼は、こちらを見ると破顔した。


それに笑顔を返して、手を振り返す。



――追憶の思慕は、どこか柔らかで慕わしいけれど。


今、ここにある幸せは、私にとって最高なのだと、そう、思った。



ミルクと砂糖を入れないと飲めなかったコーヒーを飲めるようになった私は。

実はミルクと砂糖なしではコーヒーを飲めない彼に、恋をして、そして、もうすぐ、結婚する。



幸せは、ここに、ある。




お題:「確かに恋だった」様 http://have-a.chew.jp/

「それは甘い20題」より 「11.微糖」


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