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あなたに朝の挨拶を

住宅街を通り抜けて、交差点を渡れば、商店街の入口へとたどり着く。

その、住宅街と商店街の境目の角に、ひっそりと、小さなパン屋がある。


こじゃれた外観をしているけれど、建物はそれほど大きくなく、大きく表に掲げられた「ベーカリー」の文字が、そこはかとなく郷愁を誘うような、昔からそこにあるんだろうと思わせる、どこか古びた、けれどどこか暖かい空気の、店だった。



地方の大学に進学し、一人暮らしを始めて、数か月。ちょうど大学への通り道にあるこの店は、いつしか、僕にとって、なじみの店となりつつあった。


そして、そこを毎朝通るたびに、僕の目はつい何かを探すようにあたりを見回してしまう。


「おはようございますっ」


ちょうどこの時間、朝の掃除に出ている彼女の、朗らかな声がかけられた。


軽やかなその声に、戸惑いながら頭を下げていた最初の頃。


次第に、おはようと、返せるようになった、5月五月晴れの朝。


一人暮らしの寂しさもなにもかも、その一言で飛んでいくような気がする、毎朝の恒例行事だった。




今年の五月は、いつもより気温が高い気がする。

もともと住んでた地域との差もあって、夏物を出すのに少しばたついた5月のGW明け。

大学生のGWなど、教授によっては間の平日すら休みになってしまうわけで、ちょうど僕がとっていた講義もその例にもれず。

心配性の母親からの連絡で、地元に帰り、友人たちと遊んで過ごし、帰ってきた。


休み明けの通学は、どことなくおっくうで、アクビをかみころしながら、今朝はあのパン屋で昼ごはんを調達してから行こうか、と、まだ少し肌寒い朝の空気の中、のんびりと住宅街を歩いていた。


交差点にさしかかり、信号の向こう、店をみる。今日も空いている。

朝早くから開けてくれているあの店は、本当に助かる。そうだ、朝食も食べそこねたから、それも購入しよう、と、考えながら視線を向けて、違和感を感じた。


あれ。

彼女がいない。


信号が変わって、横断歩道を渡れば、店はすぐそこにある。


普段なら、店の外に出て掃除をしている彼女の姿は、今日はどこにもない。

思わずきょろきょろと視線をさまよわせていると、店のなかから、ほうきをもった店主のおじさんが、のっそりと出てきた。


「あ、え、あ、おはよう、ございます」


妙に焦って、つかえながらあいさつすると、おじさんは強面なその顔をわずかに緩めて、ああ、おはようと返してくれる。


「いまから学校か。パン、買ってくか?」


そう問われて頷けば、手に持った掃除道具を端に立てかけてから、店の扉を開けてくれる。

恐縮しながら店内にはいり、またつい、視線をさまよわせる。


いない。

どうしたんだろう、と、思いながらも、トレーとトングをとって、パンを選び始める。


その間も、気になって、もしかして店の奥にいるんじゃないか、とか、遅刻してるんだろうか、とか、休みだろうか、とか、視線を右往左往させてしまう。しかし、今まで休日以外に彼女が休みだったことはほとんどなく、たいてい店で見かけることが多かったから、おおかたこの店の店主の身内だろうとあたりをつけていたし、こうしてあえない日はなかったから、どうにも調子がでない。


いくつかのパンを選んで、レジに向かえば、おじさんが丁寧に袋に入れてくれる。


会計を済ませて、我慢できなくて、僕は口を開いた。


「あ、あの。彼女は、今日はどうかしたんですか?」


袋を手渡してくれていたおじさんは、唐突な質問に、お? と目を丸くして、そしてそれから、少し心配そうな表情になって、うなづいた。


「ああ、あの子か。このところの気温差で、風邪ひいちまったみたいでな。休みだ。まぁ、すぐに復活してくるさ。しかし――」


糸のように目を細めて笑いながら、うれしそうにうなづいた。


その表情に、照れくさくて気まずくなって視線をそらす。

おじさんは、くくっと笑うと、ちょうどレジの脇にあったクッキーをひとつ、手に取ると、ぽん、と僕に渡してくれた。


「あ、え? い、いいんですか?」


「おうよ。まぁ、あの子も親元離れてここに出てきて、知り合いもあまりいないっつーはなしだからな。まぁ、気にかけてやってくれ」


そう告げるおじさんの顔は、強面気味だというのにとても優しくて。思わず、僕はうなづいたのだった。



そして、次の日も、また次の日も、彼女はいなくて。

連絡先をまさか、おじさん経由で聞くことも出来ず、どこか悶々として、その数日を過ごした。


気になる彼女に会えないだけで、なんだか寂しい。

あの朝のあいさつがきこえないだけで、なんだか調子がでない。


どうしたんだよ、なんて、大学でつるんでる連中に問われたところで、答えることもできなくて。


そうして、過ぎた数日間。



そして。


「おはようございますっ。おひさしぶりですっ」


軽やかな朝のあいさつが聞こえて、僕の顔は緩む。


息を吸って。はいて。


「おはようございます。体の調子は、もうだいじょうぶですか?」


そう問いかければ、彼女はきょとんと僕を見返して、それから慌てたようにわたわたとほうきを振り回す。


「え、あ、おじさんが言ったんですね。うわぁぁ、すみません、ご心配をおかけしました! もう、このとおり、とっても元気デスっ」


ぶんぶんと元気さを主張するその行動が、見た目よりも幼い印象にみせて、僕はおかしくなって笑った。


は、とわれに帰ったらしき彼女は、ほうきをぎゅっと握り締めると、照れたように笑う。


さて。

ただ心配するだけ、なんて、もう、嫌だから。


「もしもよかったら、お友だちになってくれませんか?」


まるで小学生のような誘い文句で、声をかけてみた。


びっくりしたように目を丸めた彼女は、やがて楽しそうにうれしそうにほほ笑んで、強くうなづいてくれた。


「はい、こちらこそ、よろこんで!」


まずは、お友だちから。

すべての第一歩。


明日からは、朝一番に、「おはよう」をメールで送ろう、と、僕は心に誓うのだった。





お題:「確かに恋だった」様 http://have-a.chew.jp/

「それは甘い20題」より 「04.おはよう」


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