指先から恋をした
気がつくと、目で追っていた。
まるで変態だ、と、思いながらもそれでも、視線が向くのは、その指先だった。
すっと伸びたその爪先までのラインが、誰よりも美しい気がした。
伸ばしておらず、短く切りそろえられたその爪も、形よく指の先にあるのが、美しかった。
気がつくと、僕は。
ただひたすらに、彼女を、その手を、指先を、追っていた。
――気がつけば、彼女に恋焦がれる、ひとりの男ということでうわさになっていた。
そのじつ、こがれてるのは彼女の指先に、だなんて、誰にもいえるわけが、なかった。
不思議なもので、それなりに異性にもてていた彼女が、彼氏として選んだのは僕だった。
僕の視線は、いつでも彼女の指先にこがれていただけだというのに、彼女はどうやら僕に好意を持ってくれたらしい。
僕自身も、確かに、視線で彼女を追い続けた中で、なるほど彼女がもてるわけだと理解できるだけの、彼女に関する知識は持っていた。
押し付けがましくない優しさと、その笑顔が、特に美人というわけじゃない彼女を魅力的に見せていた。
なんのきっかけだったか、二人で何の気なしに会話をした時、髪をかきあげる彼女の指先をつい、熱く見つめてしまった僕に、彼女が笑いながら、付きあおうか、と、いったのが始まりだった。
一瞬、悩んだけれど、髪をかきあげた指先の魅力に参っていた僕は、すぐにうなづいて、そうして、僕は幸運な男として彼女の恋人となった。
それから、デートをしたり、時折彼女の部屋に招かれたり、自分の部屋に招いたりと、ごく普通の大学生らしい恋人として付き合った。
その手に触れることが出来る幸運と、幸いに、脳が溶けるのではないかと思うほど、歓喜を覚えた。
キスは、指先に。
唇よりも先にそこにくちづけた僕は、かなりおかしな部類だったろう。
けれど彼女は楽しそうに笑うだけで、何もいってはこなかった。
唇へのキスも、ほとんどしない。気がつけば指先に触れる僕は、客観的にみればこの上なくおかしな人間だったろうに、彼女はただ笑うだけで、それ以上は何も言わず、そっと、手を握り返してくるばかりだった。
もともと、気になり始めていた彼女に、のめり込み始めるのには、そう時間がかからなかった。
普通ならおかしいと言われるであろう僕の行動を、拒否するでもなく気味悪がるわけでもなく、疑問視するわけでもなく、ただ受け止め楽しげに笑ってくれる、そんな彼女の、指先だけではなくその存在そのものに、焦がれるようになるのはすぐの事だった。
その指先にふれて、手を握り返されるたびに。
その指先が、僕に触れるたびに。
湧き上がる思いを押しこめることは難しくなっていって、けれど、どこかで僕は、最初が指先からだったという事実と、彼女に恋して付き合い始めたのではないという、勝手な負い目から、彼女にキス以上の手を出すことはできなかった。
それでも、彼女は何も言わなかった。付き合いだして三か月、一年とたっても、僕は彼女にキス以上のことをしていない。
それでも、彼女は何もいわなかった。次第に、僕のほうが、彼女がどう思っているのか疑問に思って不安を覚えてしまうようになったのは、いつからだろうか。
ちらり、と、酒の席で、気心の知れた友人たちと飲む中で気が緩んで、ぽろりとこぼれたその悩みは、どこか愚痴めいていた。それを聞いた友人たちの驚きは、半端ではなかった。――少なくとも、割りと落ち着いた連中のはずであったけれど、それでも、一瞬驚がくの声が、居酒屋の個室にあふれた程だった。
ありえねぇ、のコールの中で、唯一、俺の指フェチ具合をしっている男が、なんとも言えない表情でこちらを見ているのが、妙に気にかかったのだった。
そして。
2年目の記念日のこと。
大学も、今年で卒業する。それぞれに就職の内定も得て、遠く離れることはないけれど、生活のリズムも変わり、会うことも減るだろう。そう思うと、僕のなかの不安は、はっきりさせないと落ち着かないほどに大きくなり、その日、彼女に問いかけた。
僕のことを、どう、思ってるの? と。
まるで女の子のセリフのようなことを告げた僕に、彼女はきょとんと目を丸くさせ、それから、一瞬で破顔した。
軽やかな笑い声さえ漏らしながら、バシバシと僕の肩をたたく。その指先が相変わらず奇麗だな、と、思う反面、触れられた場所が熱くなったような気がした。
やぁねぇ、と、笑い過ぎでにじんだ涙を拭いながら、彼女は僕をみた。
深呼吸をしたあと、そうねぇ、と、切りだされた言葉は、僕にとってあまりにも衝撃的で。
呆然と彼女を見返したのは、仕方がないことだと、思う。
僕が指フェチだと気づいたのは、視線を向けるようになってそう間もないことだったという。
最初は、大学最初の頃の講義中に、視線を感じて、振り返ると僕と目が合う。
今よりまだ多少は初々しかった(と、彼女がいった)ので、当初は、その視線にかち合うたびに照れくさく何とも言えない気分だったという。
けれど、こがれるような視線を向けられて、それが印象の悪くない相手からであれば、悪い気はしない。
なんとなく、気になっているうちに、その視線の先が指先だと、気づいたという。
最初は、腹がたったらしい。
それはそうだ、ひたすらに指先にこがれている男、彼女自身をみるでなく、ひたすらに指先を眺める男など、腹立たしいに違いない。
けれど、そのうち、そこまで指先に焦がれられているという事実が面映く、さらに、これまでの友人のような付き合いの中で僕に好意をいだいてくれはじめてた彼女は、こうなれば、指先から自分に意識を向けさせていってやろうじゃないか、と、長期戦を覚悟して、僕に付きあおうと告げたのだという。
それからも、僕が、指先に視線を囚われるのをみては、なんだか楽しくなって、いつになれば彼は私の存在をみるだろうと、そう考えると、その指先に向けられる視線すらうれしくなって、そうして、今まで過ごしてきたらしい。
ハッキリとしない不安に、囚われたことがないわけじゃない、と、彼女は言う。
それでも、徐々に、僕の中で彼女に対する思いが、向けられる視線の位置が、視線の割合が、変わっていくに従って、彼女は勝利を確信したと、いう。
そして、今日。
僕は、彼女に、問いかけた。
彼女はかけにかったのだ、と、そういって笑う。
僕は。
やられた、と、片手を額にあてて、空を仰ぐ。
そんな僕に、クスクスと笑いながらよってきた彼女が、指先で、僕の頬をたどる。
「聞かせて。あなたは私をどう思ってるの?」
そんなこと。
答えは、ひとつしかないに、決まっていた。
――指先から、恋をした。
これからも、指先を見る回数は減らないかもしれないけれど、それでも、彼女を愛しいと思う心は、確かにそこに、あるのだった。
お題:「確かに恋だった」様 http://have-a.chew.jp/
「それは甘い20題」より 「03.指先」