第7話 暇な一日
『ジャム』
果物の肉に砂糖を加えて煮詰めて作ることができる食品。
果実や果汁に含まれるペクチンに砂糖と酢が作用してゼリー状にやわらかく固まる作用を利用している。完成した時、比較的果実の原型が保たれている物がプレサーブ、オレンジやレモンといった柑橘類を原料とし果実が含まれている物をマーマレイドと言う。
非常に甘いためそのまま食べることは少なく、パンやクラッカーなどに塗って食べるのが一般的である。
「アレイ様、おはようございます」
寝ているアレイの部屋のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、エリーヌが魔法で作ったメイド人形だった。完全なる無表情で、全く感情が読めないのだがなぜかアレイには彼女がなんとなく焦っているように見えた。
「ど……どうしたのいきなり?」
アレイは体を起こすと一気に覚めた目でメイド人形を見やる。
「申し訳ありません。たった今奥様から連絡があったのですが、本日も帰れそうにないとのことであります」
「ええっ!?」
一体宮廷で何をしているのか非常に気なるアレイだったが、寝癖のついた頭を少しだけ掻いて、ゆっくりと布団から出た。
「あと奥様がアレイ様に困ったことがあったら、危ないから自分でやらないでメイド人形に頼むようにとおっしゃっておいででした」
「……心配しすぎじゃないかなぁ……はぁ、っていうか、おかーさんとどうやって連絡とってるのさ」
「私でございますか? 私は奥様に作られた魔法人形ですから奥様の思念が自由に伝わってくるのでございます」
「へぇ……じゃあ、今おかーさんが何を考えているのか分かるの?」
アレイの言葉に耳を傾けながらメイド人形はテキパキとアレイの部屋を片付けている。
「……すみませんアレイ様。奥様の思念は奥様から送られてきたときにしか分からないのです。奥様の方はいつでも私の行動を把握できているのですが……」
まあ、それはそうだろう。使う人間は自分の人形の状況を把握していなければならないが使われる人形が自分の主の状況を常に把握している必要などないのだ。主からの命令があった時だけそれを確実にこなせばいいのだ。
「アレイ様、朝食のご用意ができておりますので、着替えが終わりましたらどうぞ」
メイド人形はアレイの使っている毛布と、昨日脱ぎっぱなしだった服をかついで部屋から出ていく。窓の外を見るとまぶしいほどに太陽が輝いていた。きっとメイド人形はこの洗濯日和を逃すまいとしているのだろう。
「ん~……今日は何しようかなぁ」
食事を済ませたアレイが朝に自分の脱いだ服ををメイド人形の所へ持っていくとせっせと洗濯物を干しているメイド人形を見つけられた。
「あ、ねえ……これどうすればいいかな」
「アレイ様……わざわざこのようなお気使いをなさらなくても」
「いいんだよ。今日は特にやりたいこともないし……この水で洗えばいいの?」
アレイはすぐそばにバケツに汲まれた水を指差してメイド人形に尋ねる。メイド人形は複雑そうな―――と言っても表情に変化はないのだが―――様子でアレイに口を開いた。
「お待ちください。その水は何回か使ってしまっているのでアレイ様のお手を付けるのにはふさわしくありません。私が新しい水を汲んできますのでそれまではお待ちを…………っ…………アレイ様、何をしているのですか!?」
メイド人形の言葉もそこそこにアレイは勢いよくそのバケツに入った水に自分の服を手ごと入れた。
「だって、この水まだそんなに汚くないよ?」
「そういうことを私は言っているのではありませんが……」
メイド人形はアレイにゆっくりと近づくと、しぶしぶながら服の洗い方をアレイに教えてくれた。こういうことはあまり教えてもらったことのないアレイにとって新鮮で面白い事であったのは間違いない。
「……そういえばさあ」
洗濯物がひと段落ついたところでアレイはふとした疑問を口にする。
「なまえは? あるんでしょ」
メイド人形はピタリと仕事の手を休めると、アレイに向き直る。真正面から無表情に見つめられるというのはなんだか緊張感が半端ではない。
「私の名前……でございますか、……そうですね、奥様は私を急ごしらえで作ったようですので即席メイドとでもお呼びくださいませ」
「そ…そくせき!?」
「お気に召しませんでしたか?」
「いや……だって、それなまえじゃないよね?」
「そうですか……お気に召しませんか。では、欠陥人形、もしくは雌奴隷なんていうのはどうでしょうか?」
「ちょ、ちょっと……まってよ。どれもこれも変だよ。なまえがないなら、ないって言ってってば」
メイド人形は訳が分からないと言いたげな様子だ。そもそも自分に名前など必要ないと思っているのかもしれない。アレイはそんなメイド人形に向かって宣言してやった。
「なまえがないなら僕が付ける!!」
***
「アレイ様、別に私には名前など必要ないのですが……」
「……うるさいな、少し静かにしててよ」
「失礼いたしました」
アレイは自分の持つ書物を開いて唸り声をあげていた。メイド人形の名前を書物にある物語の登場人物の名前から拝借しようと考えたのだ。しかし、いかんせんこれと言ってしっくりくるものがない。
「う~ん…………」
「アレイ様、昼食の準備ができましたが?」
「いまはいらない」
「……そうでございますか」
アレイはメイド人形の言葉に適当に返事をするだけで、本から目を離そうとしない。しばらくはメイド人形もアレイのそばに控えていたが、あまりにも長いので自分の仕事を済ませるために今はアレイのそばを離れていた。
そうして、メイド人形が洗濯物をとりこみ、それをたたんで整理し、薄暗くなってきたので部屋に明かりをともし、夕食の準備に取り掛かり、良い香りを漂わせる料理をテーブルに並べてもアレイの目は本から離れなかった。
「アレイ様、お夕食のお時間でございますが……」
返事はない。メイド人形はゆっくりとアレイに近づくと素早く彼の読んでいる本を奪い取った。
「あっ!!なにするんだよ」
「いい加減にしてください、アレイ様。旦那様と奥様に言い付けてしまいますよ?」
「……うっ」
「さぁ、続きはお食事の後になさったらどうですか?」
アレイはテーブルに並べられた料理に目を向ける。アレイのお腹は小さく空腹を訴えた。
「うん……わかった」
さすがに空腹には勝てなかったのか、アレイはテーブルへと向かう。
焼き立てのパンに、暖かそうなシチューが何ともおいしそうだ。
「アレイ様、パンにジャムはお塗りになられますか?」
「うん、おねがい」
メイド人形は無駄のない動きで、ジャムの入った瓶のふたを開けると、パンの上にそれを乗せる。アレイはその様子を見ながらふと、ジャムの瓶に視線を持って行った。
そして……
「ああああああああああっ!!」
「ど、どうなさいました?」
突然のアレイの叫びにメイド人形もパンにジャムを塗るのを止めてアレイを見つめる。当のアレイはジャム瓶を持つとメイド人形にズイっとそれを差し出した。
「きまったっ!!」
「はぁ……一体何がですか?」
「これ見てっ!!」
メイド人形はアレイの持つジャム瓶を見やる。何年か前に街に来た商人からエリーヌが買い取った物だ。何でも腕のいい職人が作った物なんだとか。
「このジャムがどうかいたしましたか?」
「ジャムじゃなくて見てほしいのはこっち!!」
アレイは指で、瓶のラベルを指差す。そこにはしゃれたデザインの文字で商品の名前が記されていた。
「アネット!!今日から君のなまえはアネットだからね」
「……アネット」
「うん、よろしくね、アネット!!」
メイド人形の名前、読者の方から提案があったものを使わせていただきました。ありがとうございます!!
意外とこれからも名前が思いつかないキャラとかが出てくるかもしれないのでその時は、「俺が考えてやってもいいぜぇ」という寛大な方がいたらぜひ、御気軽に感想のところに書いてやってください。<(_ _)>