エルドと緑の本
「名は?」
生まれたばかりの我が子を抱いていたモウズは、その声に振り返り、驚いた。
そこに立っていたのは、世界最高峰と謳われた大魔法使いである自分の祖父、エルドだった。
「……ラズです。」
「ラズ、ラズか……。」
エルドはそう呟くと、嬉しそうに顔を歪ませた。
「お前達は魔法の才能がからっきしだったが、この子なら…。」
そう呟いて、エルドはラズを優しく撫でた。
「ラズ。お前なら、きっとこの本を読み解いてくれるだろう、ラズ。」
そう言ったエルドの手には、緑の革表紙に金の飾り縁が付いた分厚い本が1冊、握られていたのだった。
■■■■■■■◆■■■■■■■◆■■■■■■
「僕の曾祖父は、若い頃とても強い魔力を持っていてね。S級はもちろん、SS級の魔法も少しだけだけど使えたらしい。」
ラズの言葉に、美穂奈は少し驚いた。
何故なら、SS級の魔法を扱える人はもういないと聞いたばかりだったからだ。
「ただ、歳と共に魔力は低下していき、晩年はA級の魔法を使うのがやっとだったみたいだけど。」
ラズの祖父、エルド=サプレーンは若い頃、とても優秀な魔法使いとして有名だった。
SS級の魔法を使える事から、生きる伝説とも呼ばれていた彼は、歳と共に自分の魔力が低下していくのをとても焦っていた。
後継者のラズの祖父もラズの父も、どちらも魔法の才能はあまりなく、C級の魔法しか使えなかった事に、いつも嘆いていたと。
「僕が生まれてすぐ、曽祖父は僕にこの本を渡し、亡くなったそうだよ。伝説と呼ばれた曽祖父が残した本だから、魔法関連の本かと思ったんだけど……。」
そこまで言って、ラズは肩をすくめた。
「読むのに凄い魔力と集中力がいる割りに、中身は普通の小説だったんだよね。曽祖父が何故こんな本を僕に託し、あんなに切実に読み解いて欲しいと言っていたのか分からないぐらいね。」
「本を読むのに、魔法がいるの?」
美穂奈の疑問に、ラズは緑の本を開いて見せてくれた。
「ごらんの通り、パッと見、中身は白紙なんだ。読む時にこの本に魔力を注いでやると、その間だけ文字が浮かび上がる仕組みなんだ。」
何かの暗号かとも思ったけど、多分違うだろうと話すラズに、美穂奈はそっと自分の腕の中にある本に視線を落とす。
赤い革表紙に、金の飾り縁のある中身が白紙な分厚い本。
それが、SS級の魔法を使える大魔法使いと呼ばれたラズの曾おじい様が残した本と良く似ている…なんて、出来すぎている。
そして、魔法だ。
美穂奈はもちろん、魔法なんて使えない。
魔法が本当に実在し、使用されている様な世界があるというのを今知ったぐらいだ。
なのに。
美穂奈は、ここに来る少し前を思い出す。
金色の白紙のページに、たしかに浮かび上がった金色の文字を。
ラズは言った。
魔力を注ぐと、文字が浮かび上がると。
美穂奈は、魔力なんてない。
本に注いでやった記憶もない。
なのに、何故……?
「ミホナ?」
呼ばれて、ハッと顔を上げる。
難しい顔をして黙り込んだ美穂奈を心配してくれた様だ。
「あ、えっと……。」
言い淀んで、美穂奈はそっとラズに本を差し出した。
「ねぇ。私のこの本も、やっぱりその魔力を注いであげると、文字が浮かび上がるのかしら?私は…、魔法なんてもの使えないから、ラズさえ良ければ、この本を読んでみてくれないかしら?」
「え……?じゃあ、その本も白紙なの?」
ラズの問いに、美穂奈はこくりと頷く。
「えぇ、白紙よ。何も書いてない。でも……。」
ここに来る前、私は確かに見た。
金色の文字を。
「そう言えば、ミホナはここに来る前に、その本に金色の文字が浮かび上がったって言ってたよね……。」
呟いて、ラズは少し考える素振りを見せた。
そして、美穂奈を見て、苦い顔をする。
「ミホナさえ良ければ、僕もその本は気になるし、読んでみたいとは思うんだけど……。今日は、ちょっと無理かな。こっちの本を読むのに、魔力使い果たしちゃって……。」
そう言って、ラズは緑の本を掲げて見せた。
「いつもは少し余力を残しておくんだけど、後少しで読み終わると思ってつい使い切っちゃったんだよね……。2~3日あれば回復するけど……。」
「2~3日……。」
言われて美穂奈は、当初の目的を思い出す。
ラズが言い淀んでいる原因は、多分、ラズが回復するまでの2~3日、美穂奈はどうするの?と聞きたいのだろう。
そして、美穂奈はどうやってこの世界に来たかではなく、どうやってラズを陥落するかを悩んでいたのだ。
「忘れてた。」
眉間に指を当て、美穂奈は呟いた。
異世界ってだけで脳内キャパオーバーだってのに、魔法とかなんか色々有りすぎて、つい失念していた。
まぁ、でも、これでラズには頼みやすくなった。
とりあえず、2~3日はラズが本を読みたがってるんだし、それをエサに泊めてもらえないか交渉しよう。
「ラズ。」
「ごめん、無理だから。」
交渉しようと、顔を上げて名前を呼べば、ラズから間髪入れずにお断りの返事が返ってきた。
「…………私、まだ何も言ってないよ?」
「ああ、うん。でも、無理だから。」
「……………………。」
今までお人好しすぎるぐらい、美穂奈の話を真面目に聞いてくれていた人とは思えない程の否定っぷりである。
女の子を1人、知らない土地に放り出したりする様には見えないんだけど……。
予想外過ぎると思いつつも、だからといってここで引き下がれば美穂奈は宿無しである。
なんとかならないのかと、美穂奈も食い下がってみる。
「えっと、理由を聞いても良いかしら?私、ラズが協力してくれないと、この世界に知り合いとかいないし、困るんだけど……。」
「わかってる、わかってるんだけど……。うーん……、弱ったなぁ。…………ここ、僕の家じゃないんだよね。」
「…………え?」