帰る場所
美穂奈はゆっくりと目を閉じ、深呼吸をした。
「ゆっくりで良いから。そう、自分の色を思い出して。」
ラズの声に、あの魔方陣で見た赤い光を思い浮かべる。
赤くて、キラキラとしたあの光の粒子を。
「想像出来たら、次は量だ。出し過ぎても少な過ぎても駄目だからな。宙に魔方陣を描ける程度の魔力を指先に集中させろ。」
リングの声に、紙に羽ペンで文字を書くのを思い浮かべる。
自分の指を羽ペンに見立て、魔力をインクだと思い……。
少しだけ指先が熱くなる。
そっと目を開けば、指先から赤く零れる光の粒子に、美穂奈は嬉しくて一瞬気を緩めてしまった。
その瞬間、ぶわっ!と美穂奈の体全体から赤い光の粒子が大噴出した。
「ひゃあ!!」
「バッ!止めろ!!」
「ミホナ、ミホナ!落ち着いて、とりあえずコレ止めて。ねっ?!」
止め処なく溢れ出る赤い光の粒子に、リングが焦った様にそう言い、ラズが青い顔で美穂奈の肩を叩く。
「そ、そんな事言われたって……!!」
先程と同じ様に意識を集中させ、止まる様想像する。
けれど、赤い粒子は全然勢いを緩めず、どんどん垂れ流し状態で溢れていってしまう。
「あー、もう!どうしたら良いの!!」
ヤケクソ気味にそう叫ぶと、美穂奈に応えるかの様に、魔力が更に勢いを増して溢れ出し、その場は一時騒然となったのだった。
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ややこしく面倒臭い手続きだ何だとゴタゴタした日々にようやくゆとりが出始め、リングは美穂奈との約束である魔法の実践に付き合ってくれたのだが、初日は散々なものとなった。
「……そうだな、一つ良い話をしてやろう。おまえの魔力の総量は桁違いに多い。さすが、赤の原色なだけある。」
リングがそう言って褒めてくれるのを、ベットでぐったりと横になりながら美穂奈は聞いていた。
たしかに、自分から溢れ出すあの赤い粒子が魔力だと言うのなら、大量にあったとそう思う。
「だがな……。」
リングは一度そこで言葉を切ると、キッと美穂奈を睨んで怒鳴った。
「最悪な事に、おまえはその魔力をコントロールするのが超絶下手だ!!どんなに魔力の総量が多くても、あんな無駄に放出すれば、すぐ切れるに決まってんだろ!!」
「リ・リング!ミホナにだって苦手な事の一つや二つ……。」
そう、美穂奈は今初めてラズとリングに会った時の状態に陥っていた。
赤い本からの攻撃を防ぐのに全魔力を注ぎ込んだラズとリングは、過労・疲労で倒れた。
魔力は生命エネルギーの様なものだと聞いたが、たしかにそんなものが体からあれだけ抜ければ身動きも取れなくなる。
実際、今美穂奈は指一本動かすのも億劫だ。
「まぁまぁ、リング。むしろここまで順調に事が運びすぎてたんだよ。ミホナは魔法を知らなかったんだし、むしろここまで出来て凄いって褒めてあげなくちゃ……。」
「ラズ。おまえ、アレ見て本当にそう思えるのか?」
リングに睨まれて言われた言葉に、ラズは視線を泳がせた。
美穂奈は声も出すのも億劫で、どういう事かと視線でリングに問いかける。
「一応、おまえだって魔力を抑え込もうと努力はしただろ。が、結局無理だった。それは、その魔力の性質にもよる。魔力にも性格があるって考えると分かりやすいか?そうした場合、おまえの魔力はものスッゲーじゃじゃ馬だ。」
「あ~、えっと。まぁ、じゃじゃ馬でもね、良い面はあるよ。この手の性質を持つ魔力は総じて強い魔力を持ってる事が多いんだ。」
「だが、抑え込むのが大変だ。それに、簡単な魔法を使う場合でも制御系の律がえげつない事になる。」
飴と鞭。
ラズとリングを見ながら美穂奈はそんな事を考えていた。
良く、褒められて伸びるタイプと、叱られて伸びるタイプと二通りあると聞くが、美穂奈はどちらかと言うと、褒められるだけだとやりがいがないし、だからと言って叱られてばかりではやる気は起きない。
つまり、中間が一番良いと思っていた。
(……そう言う意味では、この2人の教育方針って、私にピッタリよね。)
リングの「おまえはミホナに甘過ぎんだよ!」と、ラズの「リングが厳し過ぎるんだよ!」というのを聞きながら、美穂奈はゆっくりと目を閉じた。
(ううん……、ねむっ……。)
この気だるさには覚えがあると思いながら、美穂奈の意識は沈んでいった。
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ふと目を覚ますと、既に辺りは真っ暗で、ラズとリングの姿もなかった。
もそもそと布団の中で寝返りを打ち、美穂奈は大きく息を吐き出す。
(ダルイ……)
と言っても、死ぬとかそういう感じではない。
どちらかと、運動した後の様なダルさだ。
足も手も動かない、しんどい、寝る……と、そんな感じ。
そう言えば、意識を手放す前にも思ったが、この気怠さには心当たりがある。
(どこだったっけ……?)
そんなに昔の話ではない様な気がする。
運動は好きで良くしていたが、ここまで自分を追い込んでまでしたりはなかった。
とすると、こっちの世界に来てから?
(……………………、)
「あ!」
思い至って、美穂奈はゆっくりと起きあがる。
「そうだ、初めてこの世界に来た時に似てる……。」
今日程酷いものではなかったが、ラズを殴り倒し、どうしようかと途方に暮れていた時、同じ様な感覚に襲われた。
思いっ切り運動した後の様な気怠さが睡魔を連れてやってきた、そう今の様に。
「で、色々考えなきゃ駄目なのに、眠くて眠くて寝ちゃったのよ……。」
リングが言った。
あの赤い本の色制約は赤であり、美穂奈は気付かない間にあの本に魔力を注ぎ込んだのではないだろうかと。
(知らない間に魔力を注いで、私の中の魔力の残量が少なくなったから、体が怠く眠くなった?)
そう考えると辻褄が合う。
と、いう事はだ。
「……今なら、あの赤い本が読める?」
あの時と違い、コントロールは出来ないにしろ意識的に魔力を注ぐことは出来、文字も読める。
(やってみる価値はありそうよね。)
頷いて、ラズとリングのところへ行こうと立ち上がった美穂奈は、地に足を着けた途端、“ドッタン”と派手に転んだ。
「……いった……。」
何事かと自分の足を見れば、思いの外回復していなかった様で、力が入らず小刻みに震えていた。
と、ドタドタと近付いてくる足音に、美穂奈は顔を上げる。
今日は他の泊まり客でもいるのだろうか?と思っていると、突然自分の部屋の扉を開けられビックリする。
そこには、何故か帰ったはずのラズとリングがいた。
「ミホナ、大丈夫?!」
「つか、ベットから落ちるとか、ヒデー寝相だな。」
「……落ちたんじゃないわよ。転んだのよ。」
さすがに寝相が悪くて落ちたと思われるのは心外だと、反論するとラズがゆっくりと助け起こしてくれた。
「というか、2人共帰ったんじゃないの?もう夜も遅いでしょ?」
ベットへ座らせてくれるラズにお礼を言いながら、美穂奈は窓の外を見てそう言う。
すると、ラズが少し心配そうに美穂奈の髪を撫でた。
「僕達が倒れた時、美穂奈はちゃんと看病してくれたのに、僕達が無視して帰れる訳ないでしょ。今日はここに宿を取って、何かあったら対処出来る様にしようって事になってね。」
「……ありがとう。」
正直、だるくて眠いだけなのでそこまでする必要はないと思うのだが、やはり心配されるのは嬉しい。
素直に、礼を言えばラズは優しく微笑んでくれた。
「……で?寝相のせいじゃねーってんなら、何でおまえはベットから落ちてたんだ?」
リングの言葉に、美穂奈は先程自分が思い至った事を思い出し、勢い良く顔を上げた。
「あ、そうよ!ねぇ、ラズ、リング。私思ったんだけど、今ならあの赤い本を読めるんじゃないかしら?」
美穂奈の言葉に、リングもラズも予想もしていなかった単語に少し驚いた顔をする。
「あ?」
「赤い……って、美穂奈が持ってた、あの本?」
「そうよ。リング、言ったでしょ?あの本は私が無意識に魔力を注ぎ込んで何かしらの魔法が発動した可能性があるって。じゃあ、今ならコントロールは出来なくても魔力を注ぎ込む事は出来るし、私もこの世界の文字を覚えたし、読めるんじゃないかしら?」
2人共、あの本の中身には興味があるみたいだったし、喜ぶだろうと思っていたが、予想に反し、2人は顔を見合わせ苦い顔をしていた。
「……あ、れ?結構良い案じゃない?」
美穂奈の問いに、リングは下を向きながらガシガシと頭をかいて、溜息を吐いた。
「いや、まぁ。予想通りっつたら予想通りだが、予想外だったな。」
「僕も。普通に考えたら当たり前なのに、何故か考えもしなかったよ。」
意味が分からないと首を傾げる美穂奈に、リングは顔を上げる。
「おまえが、元の世界に帰りたいっつー可能性を考えてなかったって話だ。」
「…………え?」
言われた意味をすぐに理解出来ず、美穂奈はポカンとする。
(帰るって……、何処へ?)
「ミホナ、元の世界の話とか、帰りたいとか、一言も言わなかったし何となくずっとココにいるんだって、そう思ってたんだ。ごめんね、でも普通は帰りたいよね?」
「ちょ、ちょっと待って!!」
なんだかドンドン進んでいく話に美穂奈は待ったをかけて、考える。
疲れて寝起きの頭をフル回転させて考える。
「帰るって……、私が?何処へ?」
「おまえが異世界から来たっていう与太話を信じるなら、まぁその元の世界っつーのにだろ?」
あぁ、うんそうだ。
美穂奈は地球から、この魔法がある『colors』という異世界に来た。
それは夢でも嘘でも幻でもなく本当だ。
けれど。
「私、帰るつもりないわよ?」
あそこで美穂奈を待っているものは、大嫌いな婚約者様と、その婚約者様との退屈で死にそうな結婚生活だ。
帰ろうなんて、これっぽっちも考えていない。
「え?でも……、ご両親が心配してるんじゃないの?」
ラズの言葉に、お義父様とお義母様の顔を思い出す。
1人で途方に暮れていた美穂奈に手を差し伸べてくれた。
例えそれが、美穂奈の為でなく、2人の今後の利益の為だとしても、美穂奈を選んでくれたその事にとても感謝している。
でなければ、美穂奈は今頃死んでいただろうから。
「おまえが赤い本を読む場合、コントロールも出来てないその桁違いに多い魔力を注ぎ込んで魔法道具が暴走しないかとか。注ぐ魔力の級(ランク)が足りずにまた本から攻撃されるとか。まぁ色々あるが、もし読む事に成功した場合、高確率でおまえは元の世界に帰れるだろうな。当たり前だろ?おまえがこの世界に来たのはその赤い本のせいってのが今のところ一番の有力候補なんだからな。」
(そうだ。あの赤い本を読めるって、そういう事だ。)
何故考えも付かなかったのだろう。
否、違う。
考えもしなかったのは、帰ろうとなんて全く思ってもいなかったから…。
(帰れる?……私、帰らなくちゃいけないの?)
「ミホナ?」
固まってしまった美穂奈を心配そうに呼ぶラズの声に、顔を上げる。
「お義父様とお義母様は……、多分心配してるわ。私の事も、家の事も。」
「ミホナ?」
とつとつと、聞かれてもいない事を話し出す美穂奈にラズは訝しげに眉をひそめるが、リングがそれを手で制した。
「で?心配してる親がいるし、帰るんだな?」
そう聞かれ、美穂奈は迷って首を振る。
「いいえ。帰りたくない……。お義父様とお義母様は、私が死にそうになってる時に手を差し伸べてくれたし、本当の子でない私に最高級の教育をしてくれた。それが、私の為だったのでなくとも、とても感謝してるわ。でも……。」
この世界に来た当初は、たしかに色々不安もあった。
それでも、あの世界へ『帰りたい』とは思わなかった。
何故なら、あの世界は退屈で死んでしまいそうだったから。
毎日毎日、お義父様とお義母様の為に、型にはまった優等生を演じ、やる事なす事全て決められ、美穂奈がやってみたいと思っても、それが相応しくない、利益にならないと判断されれば何もさせて貰えない。
やりたくもない事を毎日強要され、覚え、こなす。
友人も、結婚相手も、美穂奈の限界さえ、全て決められ、自分では何一つ決められない退屈な世界。
美穂奈自身、仕方がないと諦めていた世界。
それが、この世界に来て変わった。
やりたい事をして良いし、落ちこぼれと呼ばれるような人と友達になろうと、口の悪い不良な様な人と仲良くなろうと、誰も何も言わない。
そんな人達に関わってはいけないと誰も美穂奈を咎めない。
魔法という未知のものに挑戦し、知らない知識を吸収する喜び。
忘れていた美穂奈の中の向上心が蘇る。
「帰りたくないわ……。」
真っ直ぐリングの瞳を見て言えば、その青い瞳がスッと細められた。
「それは、全てを捨てる覚悟があって言ってんだな。向こうの世界の親も、友人も、おまえの居場所も全部捨てる覚悟があるんだな?おまえが親と血の繋がりがないのなら余計、一度捨てたらもう元には戻らない可能性が高い。この先何があるか分からないんだ。もし何かの弾みでおまえが望んでもいないのに元の世界に戻れる日がくるかもしれない。その時、全てを捨てたおまえに何も残っていなくても後悔しないんだな?」
「リング。」
「うるせー。帰らないって言うなら、それくらいの覚悟が必要だろ。中途半端な覚悟である日後悔してからじゃ遅せーんだよ。優しい言葉で誤魔化すより、ちゃんと現実は直視させるべきだ。」
嫌な事ばかりを並び立てるリングに、ラズが言い過ぎだと咎めるが、リングはそれを一睨みして黙らせた。
そして、そのままの厳しい瞳で美穂奈を見て、リングは聞く。
「ミホナ。おまえは、全てを犠牲にしてでも残るのか?向こうの世界でのミホナっつー人生全て犠牲にしてでも、ここに残るのか?」
美穂奈は目を瞑る。
(ごめんなさい。)
お義父様とお義母様の顔をもう一度だけ思い出し、心の中で小さく謝った。
そして、目を開け、リングの瞳を真っ直ぐ見据え返事をする。
「えぇ。私は何を犠牲にしても後悔しないわ。この世界に残る。残って、魔法を覚えて、リングを負かしてやるんだから!」
その言葉に、ずっと眉間に皺を寄せていたリングが一瞬だけ笑った。
「魔力の制御も出来ねー奴がぬかせ。」
「だから、もっと勉強するのよ!もっと学んで、もっと沢山の事に挑戦して、いつか成し遂げてやるんだから!!」
「あー、はいはい。とりあえず、まずは魔力を早く回復させろ。話はそれからだろ。ほら、寝ろ。」
意気込む美穂奈の頭をポムポムと乱暴に叩きながら、リングはそう言ってあっさりと部屋を出て行った。
その背中をクスクス笑いながら見送り、ラズも美穂奈の頭を撫でる。
「リング。何だかんだ言ってミホナが残ってくれるのが凄く嬉しいみたいだよ。」
貴重なものを見たと笑いながら、ラズも「おやすみ。」と部屋を出る。
元の世界が恋しくないかと聞かれれば、少しだけ寂しいかもしれない。
あまり良い思い出はないが、生まれてから16歳の誕生日を迎えるまで過ごした世界だ。
情はある。
けれど……。
美穂奈は頭を手で触る。
リングに叩かれ、ラズに撫でられた頭を。
嬉しくて、胸がほっこりと温かくなる感覚なんて、向こうの世界ではとんとご無沙汰だった。
それが、この世界では沢山溢れているから。
退屈で死んでいた美穂奈の心を蘇らせてくれる、この世界が好きだ。
「ん~!今なら何でも来いって感じ!!じゃじゃ馬だろうが何だろうが、従えてやるわよー!」
叫んで、ベットに倒れ込む。
とりあえず、リングが言ったように魔力を回復させなければ話にならない。
明日からまた始まるであろう魔法の勉強に胸を高鳴らせながら、美穂奈はゆっくりと目を閉じるのだった。