序章 聖地ホルシオス(2)
まだまだ続きます。回想シーンです。
戦闘シーンあります。ご注意ください。
「あ、あなたが……」少年の声は震えていた。
「ホルシオス、あなたが父と母を殺したと言うのか!」
硬く凍りついた大地に視線を落としたまま、少年は拳をわななかせている。
「だったら、どうするというのだ?」
ホルシオスは淡々と、だが冷ややかな声で笑う。
許せない!
アルシオンの拳に力がこもる。
彼はすでに剣を抜いていた。
「兄と慕い、父に代わって育ててくれたあなたを、父として師として尊敬してきた!」
渇ききった喉の奥から、割れるような声で、アルシオンは叫び続ける。
その激しさに、気圧されるように、吹雪は衰えていく。
「それなのに……。あなたが、あなたこそが父を殺したと言うのか!」
それは裏切りだ。
ゆっくりと(おもて)を上げる、アルシオンの顔は涙に濡れていた。
吹きつける吹雪によって、それは音もなく凍りついていく。
銀髪の男に、憎しみに揺れる蒼影の眼光が向けられる。
「くだらん。憎しみに囚われ、己を失うとは」
怒りに震えるアルシオンを、ホルシオスはすっと睨みすえ、超然として嘲笑う。
「真に憎むべきは私ではない。情に流され、己であることを忘れた、己自身を呪うがよい」
淡々と、抑揚のない低音で語る。
「だまれ! あなたに何がわかる! 父も母も殺され、あなたに裏切られ、オレにはもう、何も残されてはいない!」
アルシオンは肺の空気をすべて吐き出した。
息苦しさを覚え、ひび割れた声が頭に響く。
血を吐くかのような、悲痛な叫び。
弟子の悲愴なまでの訴えに対してさえ、師は応えようとはせず、表情一つ変えない。
少年は忙しなく呼吸をし、息を整える。
ふっと、アルシオンの周りに、冷気が立ち込める。彼の美しい金髪が、その涼しげな風に煽られてなびく。
「ダメだよ、アルシオン!」
二人の周りを取り巻く吹雪の、僅かに離れた場所から、幻霊獣の少女は叫ぶ。
「スーン、おまえは下がっていろ!これはオレの問題だ」
アルシオンが制する。
「父と母を殺し、オレを欺き裏切った。それはあなたの罪だ。オレはあなたを……、父の敵として討つ!」
怒気と殺気を含んだ冷気が、ホルシオスを襲う。
「ダメだよ! アルシオンはそれを望んでいるの?」
ホルシオスの放った吹雪によってスーンは一撃で吹き飛んでしまった。
「こんなのずるい。アルシオンに介錯させるなんて……」
それきり、スーンは意識を失ってしまった。
もはや、アルシオンを引きとめる者は誰もいない。彼の敵討ちを阻止せんとする、邪魔者は消え失せた。
父の敵を討つか、返り討ちにあい、自らも父のもとへと赴くのか。
アルシオンには、もはやそれしか残されてはいなかった。
「オレはあなたを殺す!」
「まだわからぬとは、愚か者め。己が苦しむのは、己の弱さゆえ。きさまのその甘さで、私を倒せると思うのなら、やってみるがよい!」
もはや、こうなっては誰も止めることはできない。
宇宙の神そのものにも、止めることなどできはしない。
彼ら師弟の戦いは、神すら立ち入れぬ、宿命づけられたものであり、アルシオンにとって、それは最初の試練であった。
じりじりと、アルシオンは間合いを詰めていく。
「はあっ!」
凍風を刃に変え、ホルシオス目掛けて、無数の刃を撃ち放つアルシオン。
だがそれは、軽々と跳ね返される。
「ちっ」
後ろへ跳び、紙一重で避け、腰に差してあった剣で、刃を防ぐ。
剣闘士にとって剣とは、身を守る手段以外の、何物でもない。
小気味良い音を立てて、刃は振り落とされる。
剣から発せられる、凍気の壁が彼を守る。
「幻なる霧の僕よ!」
アルシオンが左掌を広げると同時に、辺りに深い霧が立ち込める。
何をしても避けられてしまう。ならば、霧で姿を隠して近づけば……。
そう、彼は思いついたのだ。
「霧の小精霊を呼んだか……」
ホルシオスは一笑する。
「考えたものだが……、私に小細工は通用しない。それはおまえが一番よく知っていることだろう?」
言う間に、彼は手刀を振り下ろす。
同時に繰り出される冷気。
その風圧だけで、アルシオンが霧の小精霊によって作り出した霧は消し飛んでしまった。
「私を殺すのではなかったのか?」
冷たい笑いが聞こえてくる。
アルシオンの拳が震えた。
……そうさ、こいつは敵なんだ。
――ホルシオス兄ちゃん。
かつて、そう呼んだ。
優しさとその強さにあこがれ、尊敬した。
その男を殺す……。
なぜ?
優しかった母。
強く、厳しかった父。
平凡な幸せを、この男は破壊した。
そう、裏切りだ。
――兄ちゃん。
心の中で、そう呟いてみた。
冷たい大地にただ一つの安らぎ。
その温かさをいつも感じていた。
それを……なぜ? なぜ殺さねばならない?
心には迷いがあった。
「ふん、何を迷う必要がある? 憎いのだろう?」
またも冷笑するホルシオス。
それが、アルシオンの心を逆なでした。
「迷ってなど……迷ってなどいない!」
アルシオンは剣を構える。
「あなたこそ、受けてばかりいないで、撃ってきたらどうだ! その聖剣で、父と母を殺したように!」
愛憎の間に、光は見えなかった。
彼はまだ、未熟だった。
「そうか」
諦めたように、ホルシオスは頷いた。
「私におまえを殺す理由はない。だが、おまえがそう望むのであれば、くれてやろう」
……望む? オレはこの男の死を望んでいるのか?
……わからない……
いや、望んでいなければならないはずだ。
なぜなら、この男は両親を殺したのだから!
「フィラ・デ・ルフィアよ!」
剣を抜きつつ、ホルシオスは召喚する。
両親を殺した、あの悪魔を!
瞬きする間もなく、ホルシオスの技は発動した。
だが、アルシオンも負けてはいない。
「鋭利なる氷の姫よ!」
裁きの三精霊のうち、氷の女王ヴェルトーシェの下位精霊を召喚する。
この星の周りには、数多の氷石がある。そのうち、特に有害な物質を含むそれを、死の水晶という。星の数ほどもあるそれを、雨のように降らせる。高等技術だ。
攻撃は最大の防御。
成功したことはないが、この男を殺すには、これしかないと思った。
二つの技は、ほぼ同時に、双方とも一刀のもとに繰り出された。
それは一瞬のことで……夢のようで……。
ただただ、冷たい風を感じていたら、アルシオンの目の前には死界が広がっていた。
水晶に囲まれて……それは美しい光景だった。
死に逝く時、彼――ホルシオスは笑った。
あの時の師の笑顔は、今でも頭を離れない。
あとに残ったのは、完全な虚無と絶望だけだった……。