4P 後悔は大体役に立たない
「はぁ」
ユーリは専門階の休憩室のソファの上でぐったりと溜息をついた。
人員不足を補うようにユーリは図書館中を走り回った。
広大な図書館にある一般図書階、専門階、魔導階を駆け回るのは、あらゆる抜け道、裏道、隠し通路を知る司書といえど重労働で、閉館のアナウンスと音楽が鳴り始めるころにはユーリの足は生まれたての小鹿のようにがくがく震えていた。
閉館した図書館にはもう誰もいない。
盗難、不法侵入防止のために窓を木戸でふさがれ、カーテンをかけられたために図書館内は暗い。
ユーリの持っている角灯のみが今ここにある光だ。
魔導で動く角灯の光と鞄を片手にユーリは帰宅の途に就く。
ユーリの家はエリアーゼの好意によって住むことを許された王立学院図書館の最上階にある植物園のログハウスである。
何故そんな場所に植物園があるのかというと、百年前くらいにこの王立学院図書館の増改築に携わった魔導師が結婚を反対されていた恋人との逢瀬の場としてこっそり作ったものらしい。
屋根にマジックミラーのような魔導をかけ、水を引いて綺麗な花を咲かせて庭を作り、家まで作って。
………よくバレなかったものである。
しかし、王立学院図書館は百年前から事あるごとに増改築、隠し部屋、書架の増量を繰り返してきたため迷子が多発する大迷宮と化している。百年前ならいざ知らず、今ではもう最上階までまともに到達できる人は館長のエリアーゼとユーリしかいない。
ユーリはつり橋のような渡り廊下をひょいひょいと通り抜け、ルルジア教授を小部屋に閉じ込めた可動式の渡り廊下に乗る。
渡り廊下はぐるりと弧を描くように動く。渡り廊下が小部屋の前を通り過ぎ、別の廊下とつながる。
ユーリはそれを渡り、一番手近の書架にかけられた可動式の梯子を上って最上階を目指す。
本棚の一番上に着いたら、今は明かりの消えているシャンデリアの陰に隠れて天井に小さな扉がある。
ユーリはそれを開けて中に入るとまた次の扉をあける。
絵画がたくさん飾られた部屋の絵画の後ろの扉、タペストリーに隠された抜け道をくぐり抜け、ユーリは月の光が差し込む庭園にようやくたどり着いた。
色とりどりの花が月光に照らされながらふわりと揺れる様は幻想的だが、ぐったり疲れたユーリは家に着きたい一心で歩き続け、人の背丈ほどまでの高さの常緑樹で作られた迷路庭園を抜けて、森の中の隠れ家をイメージしたようなログハウスに辿り着く。
「疲れた。……引っ越し、しようかな」
でも、お金ないしなぁと諦めて溜息をつく。
ログハウスの中はワンルームマンションにロフトがついたのと同じ間取りだ。
梯子を渡ってベットに倒れこみたいのを我慢して、玄関のすぐ隣にあるキッチンに立つ。
今日の夕食は一昨日作り置きしたシチューとパン。
この世界に来て一番辛かったのは食生活だ。この国は基本的に洋食で、全体的にこってりしている。たまには日本食のようなあっさりしたものや魚料理が食べたいというのが小さい頃のユーリの悩みだった。
しかし、この学問と魔導の街チューリは日本料理に似た料理が豊富にあった。
はっきり言って、セフィールド学術院の入学試験の合格発表より、久しぶりの日本食のほうに感動したくらいだ。
しかし、近頃は仕事が忙しくてのんびり料理をする暇もない。けれど、外食をする暇とお金もない。
近頃のユーリの食事は仕事が休みの日にシチューや保存食をがっつり作っておいて一週間かけて少しずつ食べていく。休みが来たらまた一週間分の食料の買い出しと保存食作りに精を出して、少しずつ消費していく。それをローテーションで繰り返している。
冷蔵庫に似た魔導で動く箱形の保存機が床下についていてよかった。
ユーリが複雑怪奇な帰宅路に面倒くさい思いをしながらも、ここから離れられないのは、とっても便利な魔導機がこの家に備わっているせいでもある。
「いい加減ご飯食べたい。明日学食でランチ食べよう」
もそもそとパンとシチューを口に入れながらユーリはぼやく。
残念ながら炊飯器のようなものはないため、鍋でご飯を炊いているのだが、近頃そんな余裕はなかった。
それもこれもエリアーゼが言った、『この家に住む条件』のせいである。
「ああ~、憂鬱だぁ~」
ユーリは昼間、エリアーゼとした会話を思い出して溜息をつく。
『じゃあ、その王都から魔導師を魔導階に案内すればいいんですか?』
『いいえ。それは別にユーリさんがしなくても構いませんのぉ。ユーリさんにどうにかして欲しいのは魔導書のほうですのぉ』
明るい午後の陽ざしを浴びながら、エリアーゼはにっこりと微笑む。
男は隠し事をするとき、目を泳がせるか目線をきつくするが、女は笑う。
女の笑顔は、何億もの嘘と何百ものはったりと、何兆もの悪事が隠れている。
『じゃあ、何ですか?その魔導師の探している魔導書を横から掠め取れと?』
『ユーリさん。一度じっくり話し合いましょうか?あなた、わたしを何だと思っているのですか?』
笑顔のまま、口調が間延びしなくなったエリアーゼにユーリはぶるぶると首を横に振る。
『冗談です。冗談ですってば』っと言いながら手を振るユーリにエリアーゼの冷ややかな目が突き刺さる。
息を飲んだユーリを見てエリアーゼは溜息をつく。
『まぁ、いいです。王都から来る魔導師さんは魔導書について何も言ってくれませんでしたの。魔導書がどんな形でどんな内容でどんな力を持っているのか、わたしは全くわからない』
『それって、すっごくまずいですよね!!もし、『禁制魔導書』並みの、ううん、『一級危険魔導書』並みの力を持っていたら……』
ユーリは冷や汗をかく。
魔導書とは簡単にいえば魔導師の書いた、魔導の研究書である。
平たく言ってしまえば魔導師が魔導について書けばそれも立派な魔導書だ。
どんなに魔導の腕がへっぽこで、魔導師としてまったく力のない魔導師が書いたものであっても、魔導書は魔導書だ。
しかし、力ある魔導師が魔導の神秘を帯びた言葉を紡いで織りあげられた魔導書は、魔力を帯びる。
そして、魔力を帯びたものは総じてさまざまな不思議を起こす。例えば、ユーリが日々使っている懐中時計も魔力を帯びた“魔鉱石”が魔導を発動させる原動力になっているし、魔導馬車や図書館の扉や専門階の渡り廊下もそうだ。
魔力の起こす不思議を知っているため、王立学院図書館では魔導書に記された内容や秘められた魔力量に応じて貸し出しを制限している。
魔導師でもない一般の人でも借りられるのが、人々が魔導階と呼ぶところに納められた魔導書。
魔導師しか借りられない魔導書は『一級魔導書』として、司書と魔導師しか立ち入れない隠し部屋に納められている。そして、一級魔導書と魔力量は変わらないが、記された内容に危険がある魔導書が『一級危険魔導書』。
『一級危険魔導書』より上級、魔力量も内容も普通の魔導師の手に負えないような魔導書が『禁制魔導書』。『禁制魔導書』専用の部屋に納められた、閲覧にさえ制限がかかる魔導書の事である。
『ユーリさんも知ってのとおり、この王立学院図書館では多数の『禁制魔導書』が保管されていますぅ。何かの拍子に見ず知らずの魔導書が王立学院図書館に入り込んだと知れば、あの『禁制魔導書』階にいる『禁制魔導書』達はどんな反応をするかしらぁ?』
『……………大激怒の後、不届きな魔導書に天誅、ですか』
『市民の憩いの場たる王立学院図書館でそんな大惨事困りますのぉ。……ですから、ユーリさん?わかってますねぇ?』
『修繕の終わった魔導書と新聞を持っていきます。今夜』
ユーリが何かを諦めた様に溜息をつくとエリアーゼは今思い出したかのように付け加えた。
『あ、そうそう、ユーリさん。わたし、明日からしばらく有給休暇でぇ、死ぬほど嫌ですけど旦那の家に行かなければいけませんのぉ。問題はなるべく未然に防いでくださいねぇ』
『……………はい』
『副館長の胃が無くなる前には帰ってきますからぁ、よろしくお願いしますねぇ』
にっこり笑った見た目は美女な女性に、単身赴任で王都にいる旦那とセフィールド学術院の託児所に預けている娘と息子がいるなんて、何だかとっても非現実的な気がするのは何故だろう。
「“人生は小説よりも奇なり”ってとこ……、かなぁ」
異世界からの転生者であるユーリに言えた言葉でないことは確かである。
そして、現実には恐ろしく奇想天外な出来事が起こりまくることも、確かである。
「でも、まぁ、しょーがないっか!!」
ここに住むことを決めたのは、自分。
王立学院図書館の秘密を知っても、ここで働くことを決めたのも、自分。
「さ、行こっか」
鞄を持って、ユーリは立ち上がると迷路庭園をするすると進み、白い小さな東屋の中心に立つ。
大きく息を吸って、吐き出す。
そして、ユーリは歌い始めた。
「【 さあ、集まれ、集まれ、夜の秘密。
日の下では明かせぬ真実を語ろう
月明かりの下で、語れぬ真実を記そう
星々のきらめきに託して真実を紡ごう
同胞たちよ、ここにある真実を誇ろう
ああ、歌え、歌え、命のままに、人生をかけて
ああ、踊れ、踊れ、心のままに、あるがままに】」
エリアーゼより『住む条件』と一緒に教えられた歌はユーリを王立学院図書館の秘密に導く、秘密の歌。
東屋の床に魔導陣のような不思議な文様が浮かび上がり、ユーリを包み込んで消えた。
はい、全国の女性の方々、すんません。
心の底から綺麗な笑顔を見せてくれる女性もいますよ男性陣!!
ちなみに“人生は小説より奇なり”ではなく、“事実は小説より奇なり”byバイロン(英国の詩人)です。