2P 図書館に行こう
……―コローン、カラーン
最後の授業の終了を告げる鐘の音にユーリはふっと肩から気を抜いた。
がたがたと椅子と机が動く音とざわざわと生徒たちのおしゃべりが波のように湧き上がる。
「ユーリ!!」
その波の中に耳慣れた声を聞いてユーリはふと顔をあげる。
「アリナ?」
きつく波打つ金色の髪をさらりとゆらし、意志の強そうな青の瞳をキラキラさせてこちらに近づいてくる少女をユーリは目を丸くして迎える。
「どしたの?魔導科から普通科にわざわざ来て」
きりっと姿勢よくユーリの前に立ちはだかったアリナをユーリはまじまじと見る。
セフィールド学術院の生徒であることを示す、制服はユーリが纏う物と一緒だが、枝分かれする巨木に巻き付いた蛇を描くエンブレムの台座の色が違う。
ユーリのエンブレムの色が緑であれば、アリナのエンブレムは紫。
前者はセフィールド学術院の普通科、後者はセフィールド学術院の魔導科の生徒であると示している。
セフィールド学術院は十歳で初等科に入学した後、三年間は初等科で基礎的な学問と礼儀作法を学ぶ。
その後、自分の学びたい分野や学力に応じて普通科、魔導科、医療科、騎士科、芸術科に分かれる。
学科別に分かれた後は、それぞれ興味のある科目を選択して卒業を目指す。
ユーリが選んだのはセフィールド学術院で最も在籍数が多い普通科。
一方、立ち姿に気品があり、凛とした顔立ちのアリナは最も在籍数が少なく才能と努力がなければ入れない、セフィールド学術院のエリート中のエリートである魔導科の生徒。
セフィールド学術院の魔導科は魔導科の生徒専用の寮があり、学院からちょっと独立している挙句、騎士科の校舎と医療科の校舎、さらに広い中庭を抜けてようやく普通科に辿り着けるが、在籍数と学部数がやたらめったら多い普通科、もちろん校舎も最大。
よって、ユーリはこの親しくなった友人とは広い中庭の中心あたりにある王立学院図書館で会うことにしている。
それなのに、どうしたことだろう?
ユーリが首をかしげると、いささかぐったりしたようにアリナは溜息をつく。
「ええ、こんなに遠いなんて思いませんでしたわ。普通科の学部数の多さは知っていましたが、こんなに校舎が広いなんて」
「だから、図書館で待ってたらいいのに」
ユーリが呆れたように歩きだすとアリナはきっとユーリを見据えた。
「いいえ!!最新の『ルキアルレスの占星魔導』が蔵書されたと聞いては待っていられません!!ユーリ!!きちんと取り置きはしてあるんでしょうね!?」
美少女の気迫にユーリはこくこくと水飲み鳥のおもちゃのように首を振った。
「ああん、ルキアルレス先生の占星魔導書。読まずして星が語れますか?いいえ、語れませんわ。星占の神秘をぜひともわたくしも身につけたいものですわ」
うっとりと酔うようにあらぬ空間を見つめるアリナからユーリは目をそらす。
『ああん、なんだこの変な本は!!』
『星の解釈が根本的に間違っています。え?ちょ、西と東が間違ってる!!』
『え?これが魔導書?ご冗談でしょう?』
『ちょっとぉ~、ここにこんなの置く気なの?私達の価値まで落とす気?』
『あの、この本の貸し出しは控えたほうが……、図書館の品位が損なわれますよ?』
『おいおいおい、間違ってもわしの側にそれを置くなよ!!』
ぎゃいぎゃい、やいのやいのと我儘たっぷりに魔導書の蔵書を嫌がる声が脳裏によぎる。
貸し出し予約が付いたのは良かったのか、悪かったのか。
「…………………あはははは、死ぬっほどこきおろされてたな~、あの魔導書」
「ユーリ?何か言いました?」
はっと顔をあげると数メートル先でキョトンとしているアリナ。
「ううん、何にもない。あは、早く本引きと……じゃない。取りに行かないと!!」
普通科の大玄関を抜け、外に出ると真っ青な空と柔らかな緑に包まれた木々、青い芝生と綺麗な花壇、煉瓦で舗装された馬車道がある。
広い学院内を徒歩で進めば日が暮れる。別の学部に行くときは馬車を使ったほうが便利だし早い。
「あ、ラッキー!!今日は魔導馬車が来てる!!」
馬がいるはずの場所に馬はなく、日本に居た時に観光地で見た人力車のような形をした乗り物がバス停ならぬ馬車停に止まっている。
人力車の前に立つと、ことんと踏み台が下りてきた。
それを踏んで乗り、二人が座ると同時に人力車のような乗り物はひとりでに動き出した。
「相変わらず、惚れ惚れするほどの魔導構造原理ですわ。馬車のように煩くもないですし、静かで」
馬車の壁に書き込まれた魔導文字や魔導陣をアリナはしげしげと見つめる。
一方、ユーリは中庭の庭園の花々やのどかに空を舞う鳥、のんびりと庭園を散策する生徒を眺めながら、この魔導馬車の苦い思い出を口にする。
「でもさ、重量制限が厳しいのが難だよね~」
この馬車は魔導で動く分、あまり重いものは運べないらしい。
ユーリは何度か本の運搬にこの馬車を使おうとしたが、重量オーバーで普通の馬車を待ち続けたことが何度もあった。
「目的地にまっすぐ進んでくれるのは画期的でしょう?」
「まぁ、そうなんだけど」
ふっと二人の頭上に濃い色の影が差す。
『知識の塔』、『賢者の迷宮』と呼ばれる巨大な塔がユーリ達の眼前に迫る。
「毎度のことですけど。この塔の前に立つと厳粛な気分になりますわ」
「そうだね」
塔をぐるりと囲う蔦に覆われた赤レンガの塀、卒業生が作ったといわれる鉄の門扉は美しい文様を描いて知識を求めて訪れた者を出迎える。
門を抜けるとささやかな庭園が今の季節によく咲くフォールの薄紫色の花を際立たせ、来訪者をもてなす。
遠い昔、このあたりで最も権威を振るっていた王家が自分たちに反抗する反逆者を一生涯閉じ込めておくために作った牢獄だったという謂れを持つ王立学院図書館。
大きな入り口は立派な木材と鋼鉄製の巨大な鋲が打たれ、その重厚さを見せつけている。
しかし、市民が利用するのにいちいちこのどデカイ扉を開けるのは面倒くさいし無駄な労働を司書に強いるわけにいかないので百年くらい前に扉に新しい扉を作り、ユーリが入学する前に行われたという大改修の時に新しい扉はおしゃれな回転ドアに変った。
回転ドアをくぐった先は広々とした大ホール。
チューリ一番の学校内にある、そして国一番の図書館である王立学院図書館に恥じない気品と豪奢さと新しさを取り入れた、ゆったりとした空間だ。
談話室としても使われる大ホールのソファはもうすでに生徒や市民、観光客が集まって各々ゆったりとくつろいでいる。
大ホールの大階段の側には回転ドアが三つ並んでいる。
その一つをユーリは潜り抜けると、古い紙とインクの匂いが出迎えた。
大ホールの温かな喧騒など届かない静寂と声をひそめた話し声、紙をめくる音と高い天井を覆い尽くすほどの書架が並んでいる。
ユーリにとって馴染みの深い、一般図書階の光景だ。
「ユーリ!ちょっと来て!!」
名を呼ばれたユーリは何事かと振り返る。
壁際に半円状にオーク材のカウンターがあり、一段ほど低くなっているそこには司書たちがいて、働いている。
その中でユーリに向かって手招きをしている鳶色の髪の女性がいた。
「こんにちは、リリーズさん」
柔和そうな笑みを浮かべると目尻に綺麗なしわが浮かぶ彼女はユーリの仕事仲間で一番最初にお世話になった女性。
優しい笑顔を浮かべたリリーズはユーリの肩に手を置くとアリナに向き合った。
「突然で悪いんだけど、ちょっとユーリを連れていくわね?あなたの図書の検索は私が責任もってさせてもらうから」
「え?」
キョトンとした顔のアリナと共にユーリも驚く。
『館長が呼んでるの』
ひそっと耳打ちされた言葉を聞いてユーリは神妙にうなずく。
「ごめん。アリナ、取り置きしてある本はカード見せたら渡してもらえるから」
「え、ええ。構わないけれど……」
ちらりとリリーズを見上げたアリナに彼女は三児の母の母性全開の笑顔を見せた。
「そちらは、魔導科の子ね?ようこそ、王立学院図書館へ。私は図書館の案内・受付担当司書のリリーズ・サラッドよ」
「アリナ・ユニ=セイス・ヴィ・エリメルバですわ」
よろしくと握手をする二人に謝り、ユーリはカウンター内に入り、司書と図書館関係者のみしか入れないバックヤードに足を向ける。
バックヤードのカウンター業務用の部屋を抜け、廊下を歩いていると前から本が詰まったカートを押している男の人に会った。
「こんにちは、ロランさん」
「よう、ユーリ」
「これ、全部破損した本なんですか?」
「ああ。ったく、骨が折れるぜ。受け取りと保管業務の奴らさぼりやがったらしい」
ユーリの先輩司書のロラン・カイロープは破損した本の修繕がうまい司書だ。
しかし、これだけの量をこなすのは彼も久しぶりなのかうんざりした表情でぼやく。
「まぁ、罰として地下の大倉庫の大掃除をさせるらしい。さすがにギズーノン爺さんも怒ったらしくてな」
「うわぁ」
ギズーノンは、見た目は好々爺としているが齢60間近にしてユーリよりも強靭な肉体と怪力を誇る司書である。
普段は日向ぼっこをしながら孫が遊ぶのを見守る優しいおじいちゃんのような風貌なのに怒ると鬼と化す。
その迫力は自分が怒られているわけではないのに思わず土下座したくなるくらい。
そして、地下の大倉庫。
司書でさえ迷子になるほど広大にして大量の本を保管している大倉庫は普通の掃除でさえ重労働なのに、大掃除となると大変で済まされない。きっと終わったころには灰になっている。
ロランと別れ、ユーリは『館長室』と書かれたプレートが付いた扉の前に立つ。
そこで深呼吸をして手を組んだ。
(ああ、どうか。おかしな部屋へのお遣いじゃありませんように。特級危険魔導書の部屋の掃除じゃありませんように、ええと。あとは、あとは……)
居るかどうかわからない神様にお祈りをユーリはしながら、過去の悪夢がフィードバックしてうんざりしていた。
このまま回れ右ができるなら、是非そうしたい。
しかし、ユーリにはそうできない理由がある。
「ユーリさん?そこにいるんですかぁ?」
チョコレート色の扉の向こうからおっとりとした声がユーリを呼ぶ。
「………はい。失礼します」
ユーリは覚悟を決めて扉に手をかけた。
扉を開けた先には執務用の大きな机と資料を置いておくための本棚、やわらかそうなソファと低いテーブル。低いテーブルの上には小さな花を生けたカップが可憐にテーブルを飾っている。
金髪を綺麗に纏め上げ、エメラルドのような瞳をもつ女性がソファにゆったりと座っていた。
「こんにちは。ユーリさん」
「こんにちはエリアーゼ館長」
座るよう促されたユーリはエリアーゼの示したソファに座る。
エリアーゼ・ルナ・レーヴェルはこの王立学院図書館の女性館長であり、ユーリの大家でもある。
ユーリは正面に座ったエリアーゼを見つめた。
アリナの鉱物的な金の髪とは違い、エリアーゼの金髪は例えるならば太陽の金。
聖母のように清純な顔立ちの中、垂れ気味の碧の瞳の目尻にぽつりと浮いた泣きぼくろが色っぽい。
女性司書たちの垂涎の的ともいえる、形のいいたわわな胸元とたおやかな肢体を襟元からつま先まですっぽりと覆い隠す品のいいシンプルなワンピースで装っている。
見た目だけはどこぞの貴婦人といってもおかしくないというのに、中身が微妙に残念なことをユーリは知っている。
「単刀直入に言わせてもらいますねぇ」
にこりと微笑んだまま、エリアーゼはユーリを見つめた。
思わずユーリは身構える。
脳裏に思い出す悪夢に必死で蓋をしながら。
「ユーリさん。王都から魔導師が来ることになりましたの」
「はぁ?魔導書ではなく。魔導師が、ですか?」
問いなおすと、エリアーゼはこくりとうなずく。
「セフィールド学術院ではなく?」
「はい。この王立学院図書館に」
「王都には立派な王立魔導図書館があるのに?」
そう、王都にはこの王立学院図書館に負けない蔵書量を誇る魔導書専門の大規模図書館がある。
わざわざ片田舎の街、チューリの王立学院図書館に王都の魔導師が来る必要はないのだ。
「う~ん。わたしも訊いてみたんですけれど、何だかその魔導師さんが個人的に持っていた魔導書がどうにも、迷子になっちゃったそうなんです」
「はぁ!?魔導書が迷子ぉ!?」
ユーリの素っ頓狂な声が執務室に響いた。
説明ばかりですいません。
四月二十一日に最後のほうちょっと書きなおしました。