21P闇の中、駆ける
ユーリさんが活躍(?)します。
………タタタッ
ユーリは赤い夕陽を浴びながら、走っていた。
彼女を追うのは、二つの影。
カラメルのような褐色の長い髪を項のあたりでひとつに結い、緑の目をもつ柔和な顔立ちの男性。そして、鳥の雛のような髪を持つ可愛らしい女性。
二人はこれからどこかのパーティに出てもおかしくないような品のある格好と容姿をしているのに、夕陽の赤い光を浴びて走ってくる姿は、この世のものでない生き物に見えた。
特に男のほうは獲物を見つけた肉食獣のような目をしている。
彼がアイギスという魔導師なのだろう。
ユーリはそれだけ確認すると足をさらに速く動かす。
あっちは二人がかりで追って来ているが、エイリーは小奇麗なワンピースに踵が高く細い靴を履いているし、アイギスらしい魔導師も綺麗なクラバットで首元を飾り、凝った装飾がされた綺麗な上衣を纏っている。
そのせいか、二人とも動きが悪い。
一方、ユーリは機能性重視の制服姿で、丈夫で走りやすいと定評を受けている学院指定の編上げのロングブーツだ。
(魔導師のほうは魔導が使えないみたいだし)
背中を見せて走るユーリに攻撃ひとつ仕掛けずに闇雲に走って追いかけて来るのがその証拠だろう。
(だったら……)
ユーリはいきなり方向転換して本棚の角を曲がる。
「待てっ!!」
慌てて声を荒げた魔導師の視線の先で、セフィールド学術院の制服のスカートの裾がくるりと本棚の角の向こうに消えた。
(くそっ!!)
さっきから魔導の詠唱を行っているのだが、どれも発現しない。
おそらく、魔導がうまく発動しないように細工がされてるのだろう。
だから、走って追いかけているのだが、少女はすばしっこいうえに本棚の小さな隙間を縫う様に走る。
わずかに差し込む夕陽の不気味な光の中、ちらり、ちらりと見える制服の裾を追ううちに、方向感覚すら怪しくなってくる。
認めたくはないが、地の利は少女のほうにあるらしい。
「仕方ない。資料階の入り口で待ち伏せをしよう」
どうせ出入り口はひとつしかないのだ。
少女もそこを通らなければ外には出られない。
そう考えたアイギスは少女を追うのを諦めて踵を返す。
「ま、待って下さいませ!!アイギス様!!……きゃあ!!」
短い悲鳴にとっさに足を止めたアイギスは、暗い道の真ん中で振り返る。
数エートル先でエイリーという女司書が倒れている。
攻撃を受けたわけではなく、ただ単に転んだらしい。
早く立つように命じようとしたアイギスは、ふと、あたりを見回す。
黒い大きな柱のような本棚が乱立し、アイギスとエイリーを取り囲んでいる。
夕陽の赤い光が消えて行き、天井や足下から柔らかな光が落ちて来る。
月明かりを集めたかのように優しい光は、王立学院図書館のみで使われる、セフィールド学術院で開発された特別な照明だと聞いた。
柔らかな光が絶対なる威厳をもって、王立学院図書館が誇る膨大な数の図書とそれを内包する書架を照らす。
ぞくりとアイギスの背中に寒気が走った。
王立学院図書館は『賢者の迷宮』。
「ここは、どこなんだ?」
呆然とした彼の声がむなしく響いた。
「はぁ……っ!!……はあっ!!」
資料階から学習室に逃げ込んだユーリは、椅子に座り込んだ。
(やった……)
とりあえず、魔導師とエイリーを撒く事が出来たらしい。
(でも……)
荒い息を整えながら、ユーリは立ち上がる。
残念ながら魔導師の側にいるエイリーは一応司書だ。
例え、資料階にあまり顔を出さなくても、一般図書階の司書ならば本棚の迷路を抜けるコツくらいわかっている。
(たいした時間稼ぎにはならないよね……)
本を回収して、足早に学習室を後にする。
茶色の革靴に包まれた足先が向いたのは王立学院図書館の不思議の一つに謳われる、『一般図書階二階の階段踊り場の大鏡』の前。
(この時間なら……)
森の植物や花々を意匠にあしらった楕円の鏡。
鏡はいま夕陽の赤い光を浴びて鏡面に写る全てを緋色がかって見せている。
その緋色の世界に栗毛の小柄な少女が写る。
少女は緋色に染まる自分の姿をその星夜のような漆黒の瞳で見つめ、装飾のひとつに手を伸ばす。
その瞬間。
鏡面がぐにゃりと歪む。
その歪みは一瞬で元に戻り、鏡面は赤い世界の中にまた少女を写す。
しかし、少女の姿は鏡面の外にはない。
ユーリは真っ直ぐに目の前の光景を睨む。
王立学院図書館の一般図書階二階の階段踊り場に似た風景。
階段を上ると、また一般図書階二階の階段踊り場と似た風景が広がる。
ユーリはその鏡に次は何もせずに飛び込んだ。
鏡面は少女を飲み込み、彼女の真っ直ぐな背中を鏡面に写す。
鏡の中の世界を、小柄な少女が走っていく。
<むっ?>
<おやあ?>
『禁制魔導書』階の魔導書達がさわりさわりと騒ぎ始める。
<誰かが魔導を使っているようだねえ>
<ふむ?何者かな?>
<ここでは魔導が正常に働かないというのに無駄な……>
さわさわと魔導書達は己達の領域を乱す者を探る。
<うん?魔導師は二人か?>
<一般図書階でうろついている奴と、一級魔導書階の罠にはまっている奴がいるね>
図書館内を探っていた魔導書達はふと、こちらに向かって来ている気配を感じる。
隠し通路や隠し部屋、たくさんの罠を紙一重でくぐり抜け、正しい道を進む者は自分達がよく見知っている気配を纏っている。
<おや、ユーリだ>
<随分焦っているようだねえ>
<魔導師に狙われているというのは嘘ではなかったようだの>
<ふむ、という事は>
どこか嬉しそうに魔導書達は口を開く。
<我らの手で魔導師を懲らしめる事が出来るのだな!!>
<やっぱり、七大惑星の魔導を使おう!!>
<いやいや、闇の魔導で精神崩壊をさせたほうがいい、命は助かるかもしれんが、二度と魔導が使えん苦痛は魔導師には痛手だろう?>
<うわっ、ねちっこい!!それなら、ずぱっと七大地獄の魔導が良くない?>
<いやいや、ここは伝統的に四大元素の魔導で……>
その言葉を皮切りに魔導書達は嬉々として魔導師の懲らしめ方を話し続ける。
ふと、魔導書達は一瞬おしゃべりをやめる。
その瞬間、『禁制魔導書』階の扉が派手な音と共に開いた。
「や、やっと着いた……」
見慣れた『禁制魔導書』階の光景に、足の力が抜けた。
(久しぶりに違うルート使うと、想像以上に疲れる……)
へろへろといつもの定位置のソファに座りこんだユーリに視線が集まる。
<今日はいつにまして騒がしいな、ユーリ>
<おかしな魔導の気配を感じたが、魔導師が来たのだろう?>
嬉々として問う魔導書達に、ユーリは諦めの溜息を吐く。
どうやら、彼らに隠しておく事は出来ないらしい。
「『始まりの叡智』をバラバラにした犯人の魔導師がここに来たの」
<やはりか!!>
<『飛んで火に入る夏の虫』とはこの事だな>
<これで奴に始末をつけれるというものだ!!>
<そうと決れば、話は早い!!ユーリ、我らを外に出すのだ!!>
魔導書達が剣呑な口調で騒ぐのを聞きながら、ユーリはむっくりと体を起こす。
「うん。まあ、そうなんだけど、いま魔導師がどこにいるのか、わかる?」
<うん?ユーリ。我らをここから出してくれるのか?>
「まさか。あたしはこのまま二日間、あの魔導師から逃げ切って、エリアーゼ館長の帰りを待ちます」
魔導書達の期待をユーリは一言でぶった切った。
<何とやる気のない!!>
<情けないぞ、ユーリ!!>
「うるさいなあ。あたしは普通の女学生なの!!あんた達だってあたしの魔導の成績が最悪だったの知ってるでしょう!?」
ぎゃんぎゃん不満をたれる魔導書達を一喝する。
ユーリは魔導が使えない。
魔導というものの仕組みと概念はわかる。
けれど、魔力が魔導として発現させる事が出来ない。
だから、初等科の最終学年の時に魔導科に進む事は全く視野に入れていなかった。
むしろ、初等科に実技試験があったらユーリは初等科卒業すら出来なかっただろう。
<だから、我らを連れていけばいいだろう?>
<そうだ!!お前が危なくなったら、代わりに我らが魔導師を成敗してくれる!!>
(あたしが危なくなる事、大前提かい!?)
思わずムッとしたが、大きく息を吸う事でやり過ごす。
「じゃあ、訊くけど!!あたしはあんた達の中からどの魔導書を選べばいいの!?」
ユーリの問いに魔導書はぐっと黙る。
<それは……>
お互いに最強の魔導書であるという自負がある魔導書達。
『自分が行きたい』、『いいや自分だ』、と言い合う魔導書達に呆れた視線を投げかけながら、だらりとだらしなくソファにもたれかかった。
<ユーリ!!>
<起きろ!!ユーリ>
魔導書達の声に気付いて、ユーリはソファから体を起こす。
どうやら気付かないうちに眠ってしまっていたらしい。
<外に出る魔導書が決まったぞ!!>
「え゛?」
ヤケクソで言い放った言葉を、魔導書達はまともに受け取っていたらしい。
<『始まりの叡智』殿を連れて行け>
「ええっ!?だって、魔導師がここに保管してろって……」
<その魔導師は一級魔導書階の罠に囚われているぞ>
「え゛?」
どうやらアヴィリス魔導師はここに来てはいるが、一級魔導書階の罠に嵌められていたらしい。
<ちなみにもう一つの魔導師の気配はまだ資料階だ>
「まだ迷ってるんだね……」
ポケットから丸い懐中時計を出す。
王立学院図書館から支給されている懐中時計を開くと、閉館時間をとっくに過ぎている事を知らせてくれた。
窓を見てみると月が半分だけぽかりと闇の中に浮いている。
いつからアヴィリス魔導師が罠にかかってしまったのだろうか?
アヴィリスが王都に旅立ってから今日で二日目。
(ぎりぎり、かな?)
あの部屋には光が一片もささないし、温度の変化もない。
その上、ある一定以上の時間をあの部屋で過ごすと、じわりじわりと五感が麻痺していくよう魔導が仕掛けられている。
光もなく、音もなく、温度の変化のない部屋に長時間閉じ込められると、人は精神の崩壊を起こすと聞く。
精神の崩壊した人間はどれほど強大な魔力を持っていても魔導は使えない。
あの部屋は対魔導師用に特化した部屋なのだ。
「ああ、もうっ!!」
ユーリは頭をがしがし掻き毟ると、足音も高く暖炉の中に手を突っ込む。
取り出したのは布でしっかりと保護された魔導書。
「一緒に来てくれますね?『始まりの叡智』」
ユーリの声が届いたのか、布の中で魔導書がふわりと輝いた。