17Pデッド・オア・ライフ
ユーリは『禁制魔導書』階に来ていた。
「魔導書に触らないでくださいよ?アヴィリスさん」
ユーリに肩越しに睨まれたアヴィリスは伸ばしかけた手を渋々引っ込めた。
未練がましく本棚に鎮座する魔導書達を見ながら、アヴィリスは古い魔力と魔導が溢れる部屋をぐるりと見回す。
そして、暖炉の中に油紙と布で厳重に保護した、5cmほどの厚さの四角いものを隠す。
王立学院図書館で迷子になっていた魔導書だ。
その厚さで2800枚が入っているのか疑問に思う厚さだが、何らかの魔導が働いて、大きさを一定に保っているらしい。
『禁制魔導書』階から出て、名残惜しげなアヴィリスを引っ張るように魔導階に戻るユーリは溜息を吐いた。
――……さらさら、しゃわしゃわ……
噴水から湧き出る水が優しい音を立て、美しい花壇の中で花々は春の栄華を誇って花開く。
どこかの城の中庭、そう言ってもおかしくない風景の中、手を取り合う男女の絵は傍から見れば一枚の絵画のようにも見える。
特に、男が美丈夫ならばなおさらだ。
たとえ、相手の女が女というにはおこがましい貧しい体型でも、顔立ちが十人並みで童顔でも。
そんな一枚の絵を演じる当事者たち、男のほうは切れそうなほど真剣なのに対し、女のほう、つまりユーリの顔は引き攣っていた。
……これを絵画の題材にしようとする画家はいないだろう。
「頼みがある」
真剣な顔で美貌の魔導師に言われたユーリは反射的に一歩引いた。
細いくせにがっしりとした骨格と硬い肌の手に囚われた腕はそれしきの逃げではユーリに自由を与えることが出来ない。
そんなユーリを知ってか知らずか、アヴィリスはユーリの腕を掴む力を強める。
「この魔導書を『禁制魔導書』階に置かせて欲しい」
「何でその必要が?その魔導書と一緒に王都に帰ればいいでしょ?」
(もう、これ以上の厄介事はご免なんだけど……)
そんな気持ちを込めてユーリは言う。
貴族、とはいってもほぼ平民に近いくらいの立場であるユーリにとって、ここしばらくのドタバタや胃が痛くなるような吊り橋渡りな日々は刺激が強すぎる。
(あたしは、平穏無事な日々が送りたい一市民なのに!!)
顔を上げると若干すまなそうな顔をした(?)アヴィリスがいた。
「それは出来ない」
「なんで?」
「この魔導書が元に戻ったということは、この魔導書をバラバラにした奴にも知られているだろう。……またこれをバラバラにされたり、利用されるのはご免こうむる」
「え?何で犯人も魔導書が元に戻ったって気づくの?」
「魔導書を元に戻すのに少しばかり特殊な魔導を使ったからな。あの魔導で魔導書を元に戻すときに、ここ以外にばら撒かれていた魔導書のページが無理やりここに戻って来たような感覚があった」
「つまり、犯人の手元にあった魔導書のページまで戻って来たから、犯人に気付かれたかもしれないってこと?」
「そうだ」
「だからって『禁制魔導書』階に隠さなくても……」
「いや、『禁制魔導書』階でないとこの魔導書の魔力は隠せないし、何より、お前の命を守るためでもある」
「え?」
何か、ついでのようにさらっとものすっごく重要なこと言われたような気がするんですけど!?
「命?」
「ああ」
「誰の?」
「お前の」
まるで落としたハンカチをさし出すような軽さで言い捨てられた。
そのせいだろう。
ユーリが言葉を飲み込むまで、数秒、沈黙が続いた。
そして。
「はぁっ!?何で!?何で魔導書が元に戻ったらあたしが他人に命狙われなきゃいけないわけ!?」
思わず叫ぶと、アヴィリスはおやっと眉を上げた。
「なんだ、知らないのか?お前が俺の手伝いをしていることは最早、学院中に知れ渡っているぞ」
「それくらい知ってるよ」
ふんっとユーリは鼻を鳴らす。
そのせいでセリーズやマイに詰め寄られたのは昨日の事だ。
ただでさえ、図書館で大騒ぎがあったのだ。
アヴィリスとユーリの事は知れ渡っているだろう。
「だから?それがあたしの命が狙われる理由にどう関係するわけ!?」
「俺の魔導書をバラバラにした奴が、このまま魔導書を完本のままにしておくわけがないだろう?……誰がこの魔導書をバラバラにしたのか、それはわからんが、魔導書が元に戻ったならば、自然、犯人の目はこの王立学院図書館に向くだろう?」
確かに、そうだ。
魔導書をバラバラにした理由はわからないが、アヴィリスがわざわざ魔導書を取り戻しに来たほど、この魔導書はアヴィリスにとって価値のあるものだ。
アヴィリスの事を面白く思わない人にとっては、この魔導書はアヴィリスと同じく邪魔だろう。
そうなると、と魔導師は意味深に口を切る。
普通の女性ならば老いも若きもうっとりしそうな流し目に、ユーリは背筋を凍らせた。
にやりと吊りあがった口元が悪魔の笑みに見えたのだ。
「魔導書を元に戻すことに貢献した司書を魔導書をバラバラにした犯人が捨て置くわけがないだろう?」
「え?」
それって、つまり?
「まさか、その魔導書を、バラバラにした犯人があたしの事を狙ってる、なんてこと言うんじゃあ」
おそる、おそる、信じたくない気持でユーリは言う。
「狙ってる。いや、いまから狙われる。だろうな」
アヴィリスはユーリの希望を一瞬で打ち砕いた。
「うっそだあああっ!!」
ユーリは叫んだ。
小さな親切。大きな後悔。
魔導書を完本に戻す手伝いをしただけだというのに、何故に他人から狙われるような事態に巻き込まれなきゃいかんのだ!!
(助けるんじゃなかった!!)
とほほほ。と泣きながら、ユーリは膝をついてがっくり項垂れた。
「まぁ、そういうわけで、安全そうな場所にこれを安置したい。手伝ってくれるな?」
一方、アヴィリスはしれっとした顔でユーリを見下ろす。
罪悪感の欠片もない澄ました美貌が腹立たしいほどに麗しかった。
「手伝わなきゃいけない事態に巻き込んどいてよく言うね!!」
ユーリの呪いを含んだ目を魔導師は笑顔で受け流した。
「事態が収束するまで、この魔導書を守ってくれ。ユーリ・トレス・マルグリット司書」
「難題がさらに難易度を上げた!!」
「ちなみに、この魔導書を守ってくれないなら、俺はお前の命を守らんぞ」
「え?あたしの命が魔導書と同レベル!?ってゆーか、むしろ魔導書のほうがあたしの命より上!?」
思わず噛みついたユーリにアヴィリス魔導師は大きくうなずいた。
「当り前だろうが」
さも当然のようにさらっと吐き捨てられた!!
「このっ!!」
大きく息を吸ったユーリが吐き捨てた声が、王立学院図書館の最上階に響き渡った。
「陰険鬼畜魔導師がっ!!」
(あ、思い出したら腹が立ってきた)
魔導階のホールでアヴィリスと向かい合ったユーリは、その秀麗な美貌を睨む。
そんなことを毛ほども気にしていないアヴィリスはユーリを下ろし、詰襟の制服の首元をいじり始めた。
「これをお前に渡しておこう」
アヴィリスが差し出したのは、絹製の青いタイとそのタイを留めていた銀の丸い金具。
それだけで、上等な首飾りのようなタイと銀の丸い金具を受け取る。
ループ・タイのような青い絹製のタイには何の変哲もないが、そのタイの先についた金具を見てユーリは目を見張る。
己の尾を噛む竜に守られるように中心に描かれた五芒星と、その五芒星の上で吼える翼が生えた獅子。
それが描かれるモノを掲げられるのは、魔導師のとある互助組織しかあり得ない。
「<クラン>の紋章!!」
この国で、いやシオン大陸一、有能な魔導師が多数所属し、数多の魔導結社と同盟を組んでいる、最大の組織。
大陸中の魔導師たちの憧れの的ともいえる組織の会員の証がこの紋章だ。
「こんな、大事な物、あたしなんかに渡していいの?」
ユーリが手の中の紋章と澄ました顔の魔導師を交互に見る。
「これは、そのお守りより強い護符になるからな。念のため、持っていろ」
「これが必要になるような事態に巻き込まれる事前提!?前提なの!?」
あっさり言い捨てられた爆弾発言に思わず噛みつく。
「ああ、一度俺は王都に戻るからな」
「え゛?」
あっさりと頷かれたユーリは固まる。
「あの、耳が遠くなったのかな?おーとに戻るって?」
「ああ、調べることがあるからな。王都に戻る」
「はぁ!?魔導書をここに置いて行くつもり!?」
「だから、お前にあの魔導書を守れと言ったんだ」
批難の声をあげたユーリをアヴィリスが鬱陶しげに見下ろす。
馬鹿にしたように見下ろすアヴィリスに、これ以上の抗弁は無駄だと判断した(というより叫びすぎて疲れた)ユーリは溜息を吐いた。
「で?王都に戻って何するんですか?」
「魔導書をバラバラにした犯人を叩きのめす」
「……」
さらっと吐き捨てられた言葉にユーリは固まる。
あの、アヴィリスさん。吐き捨てられた言葉が凍りつきそうなくらい冷たいんですけど?
いつもと同じような無表情がものっすごく不穏なんですけど?視線が切れそうにヤバいんですけど?
「あの~。お手柔らかに、……この件で死人が出たなんて嫌なんで……」
青褪めたユーリが一応、忠告してみる。
魔導書は元に戻ったんだし、アヴィリスの個人的な恨みによる殺人に関わるのはご免だ。
夢見が悪くなる。
その気持ちに気付いたのか、アヴィリスはわずかに表情を緩ませた。
「ああ、安心しろ」
その言葉に安易に安堵した自分を、ユーリは一瞬で後悔することになる。
「死んじまったら、苦しみを味わえないだろう?」
にっこりと口角を上げ、笑みを形作る目。
笑顔のような顔なのに、目の奥が笑っていない!!
吊りあがった口が獲物に食らいつく肉食獣の口に見える!!
「安心しろ。死ぬ一歩前まで追い詰めて、いたぶり倒すのは得意中の得意だ」
「あの~、……宮廷魔導師っていつの間に拷問官まで兼任するようになったんですか?」
(余計に不安なんですけど!?)
ユーリが恐る恐る訊くと、アヴィリスは意味深に微笑んで魔導階に背を向けた。
「あの魔導書を守れ。俺にお前を虐めさせないでくれよ?」
魔導階から一般図書階に通じる扉が閉まった。
アヴィリスの言葉を残して。
アヴィリスは自分にユーリを虐めさせるな。と言った。
つまり、それは。
あの魔導書に何か起こったら、ユーリもただで済まないということだ。
「あ、悪魔」
朝から走り回り、いろんな意味で叫んだユーリは疲れ果ててその場に座り込んだ。
(なんて厄介な迷子なのよ)
探すのにさんざん苦労した挙句、保護者は悪魔のような魔導師。
そんな魔導書に関わってしまったことに今更ながらに後悔した。