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迷子の魔導書と王都の魔導師  作者: 藤本 天
17/29

16P迷子は帰る

 

 ――……こぽぽぽぽっ


迷路庭園をの奥、木立の中の隠れ家のようなログハウスの中、丸いテーブルの上でティーカップに緋色の液体がポットから注がれる。

たっぷりと紅茶が注がれたカップをアヴィリスは優雅に持ち上げ、口に含む。

テーブルの上の籠に入れられたビスケットを取ろうとした手は、細い手に叩かれて落ちた。

ムッと顔を上げたアヴィリスの目の前にはユーリが座っている。

アヴィリスの手を叩いたのも、ユーリだ。

ユーリはむっすりと黙ったまま、違うカップにお茶を淹れ、アヴィリスを睨んだ。


二人は険悪ムードでありながら、生きていた。


魔導書の暴走で命を落としてもおかしくない状況にあったにもかかわらず、最上階の植物園も、そこに建つユーリのログハウスも無傷だ。


しかし、ユーリは怒っていた。


「魔力を帯びた魔導書がどれだけ危ないか、魔導師なら知ってるはずですよね?」


「悪かった」


睨まれたアヴィリスは気まずそうに頭を下げる。

今回の事は自分が悪い。

探し求めていた魔導書を前にして、興奮し、注意を疎かにして危うく大惨事を起こすところだった。

足元には厳重に封印したトランクがある。




あの時。


(間に合わない!!)


何の魔導知識も身を守る術ない少女にアヴィリスが駆け寄った。

少女を背に庇い、魔力の嵐の下、なんとか魔導を発動させようと自分の魔力でもって魔導を紡ぐ。

だが、

魔力の嵐の前に自分の魔力は塵にも等しく、魔力の嵐に魔導は壊され、魔力は吸収され、成す術がなかった。


(もうだめか)


せめて潔く自分を消す魔導は何なのか見極めようとした。


「【 炎よ、大地よ、響け、響け、


   我らの敵が、迫りくる


   炎よ、大地よ、吼えろ、吼えろ


   我らの敵を、追い返せ


   ああ、どうか、我らに救いを


   ああ、どうか、我らに光を 】」



ユーリが聞いた事のない言葉を紡いで歌った。

聞いた事のない旋律が止むとともに、どこからか吠える声が聞こえた。


 

  ――……グォオオオオッ



「なっ!?」


振り返った先には白い獅子がいた。

生垣を割って、芝生庭園の青々とした芝生や小花を抉りながらこちらに駆けてくるのは、獣の王。

一直線にこちらに駆けてくる白い獣から小柄な少女を守るためにアヴィリスが前に出た。


その瞬間。


獅子はアヴィリスの前で高く跳躍した。


白い残像を残し、空を舞う獅子は、

      ――…………暴走して光り輝き、宙に浮いた魔導書の表紙を飲み込んだ。


「はっ!?」


白い獅子に魔導書の表紙が飲み込まれた途端、魔導書のページが静かにトランクの中に戻る。

白い獅子は一仕事終えて満足したような悠然とした姿で、自分が抉った芝生や小花の後を踏んで歩く。

その背に従うようにユーリが続く。


――……ぴー、ちちちちっ 


平和に小鳥が鳴き、草木の囁きが聞こえるなか、アヴィリスは、ぽつりと取り残された。

しかし、慌てて魔導書のページを数え、トランクに仕舞い、トランクに新しく魔導陣を描くと、ユーリと獅子の後を追う。




生垣の向こうには白い大きな噴水を中心に貴族の中庭のような豪奢な花壇が設えられていた。

噴水には水瓶を持った乙女、牝牛、そして尾が二つに分かれた魚の白い像がそれぞれ別の方角を向くように設えられてあり、四方の一角がぽかんと空いていた。

白い獅子はユーリに頭を撫でてもらうと、満足したように噴水の水の中を進み、白い像のぽかりと空いた場所に静かに佇んだ。

それと同時に獅子は白い獅子像となり、大きく開いた口から水を吐き出し始めた。



驚きの光景にさすがのアヴィリスも唖然としていると、むっつりと顔をしかめたユーリが振り返った。


「とりあえず、ついて来て下さい」


その言葉に従うままに迷路のような庭園を抜け、木立に隠れるように建っているログハウスに入った。



そして、いまに至る。


ユーリが溜息を吐くと、ピッと二本指を立てた。


「これから言う二つの事を約束してくれるなら、封印した魔導書の表紙を返します」

ユーリの言葉にアヴィリスは眉をしかめ、黙考する。


「……」


しばらく黙っていたアヴィリスだが、細く息を吐くと、口を開いた。


「内容にもよる。どんな約束か、聞かせろ」


ユーリは一本指を立て、


「ひとつ、この最上階の植物園とログハウスの存在を誰にも言わないこと」


もう一本指を立て、


「ふたつ、あの歌を調べたり、広めたりしないこと」


「その理由を聞いてもいいか?」


アヴィリスが訊くと、ユーリは溜息を吐いた。


「ここの存在の事は、まあ、あたしのためです。ここで住んでるのバレたらいろいろ面倒なんで」

でも、とユーリはアヴィリスをしっかりと見つめる。

「あの歌は、【語られてはいけない歌】なんです。歌を調べたり、歌を広めただけで死罪になります」


「どこかの部族の伝統歌か?」


「それすらエリアーゼ館長は教えてくれませんでした」



『知ってしまったら、ユーリさん。あなたも死刑になってしまいますよ?』


にこりともせずにエリアーゼ館長は言った。


「約束、守ってもらえますか?」


知られてはいけない歌を知らせてしまったユーリは悔恨の思いでアヴィリスを見つめる。


「守らなければ、表紙を返してくれないんだろう?」


アヴィリスは首を竦めて紅茶を飲む。


「今回の件は、俺に落ち度がある。魔導書の表紙を返してくれるなら、その約束、守ろう」

「約束ですよ?」

「ああ」


ぐっと握り合った手は初めてした握手とは違い、温かかった。





アヴィリスは恐ろしく集中していた。

力の循環を顕す円陣を何重にも描き、その中に魔導的な意味を持つ図形、力の在り様を示す魔導文字を踊らせる。

自分の望む魔力の道筋を描き、魔導として顕現させるそのためだけに、自分の持てる知識と魔力を込めて魔導陣を描く。


たとえ、

魔導陣を描いている場所が王家の庭園のように美しかろうと知ったことではない。


その結果、

対称に並ぶ美しい花壇、甘い香りを漂わせる薔薇園、噴水から湧き上がる水で作った小池に浮かぶ花々、その中心に立つ白い噴水の獅子像……のド真ん前に、巨大な魔導陣が描かれることになった。



「さて、と」


アヴィリスは魔導陣を描いていた絵筆を捨て、樫の木で出来た杖を持つ。

異常というか奇妙な光景の中、無駄に美貌な魔導師は噴水の縁に座っている少女を振り返る。

漆黒の髪に漆黒の瞳、顔立ちに特色することはないが、華奢で小柄な体つきに似合う幼さを残した普通の少女だ。

彼女は魔導師の綴る魔導を興味深げにただ見ていた。

しかし、魔導師は知っている。

彼女がこの『賢者の迷宮』と呼ばれる王立学院図書館の秘密を知っていることを。

そして、その神秘をいま、自分が欲していることを。


「始めようか、ユーリ・トレス・マルグリット」



その声に応じるように少女は歌う。


「【 我らは歓喜する、感謝する。


   炎のいと猛々しき恩恵によって


   大地のいと強き慈悲によって


   ああ、我らの敵は眠りについた


   ああ、我らの災いは鎮まった


  どうか、炎と大地の番人に高き感謝を


  どうか、我らのいとしき友に安らぎを】」


その旋律と歌によって獅子像が水を吐くのをやめる。

歌が終わると同時に獅子像は白い獅子となって、ユーリの隣に座った。


「出して。もう、大丈夫」


ユーリがそう言いながら、獅子を撫でる。

獅子は子猫のようにごろごろと満足げに喉を鳴らす。



 ――……グルルルウ



獅子が大きく喉を開け、唸るように鳴く。

それと同時にユーリの膝の上に深い臙脂色の魔導書、の表紙が乗った。


「それを渡せ、ユーリ」


「言われなくっても!!」


ユーリの膝の上に魔導書の表紙が乗ったとたん、ピンッと空気が張りつめた。

ユーリは慌ててアヴィリスに魔導書の表紙を投げる。



「『 ――…我は喚ぶ、我は告げる』」


でたらめに投げられた魔導書の表紙を魔導師は片手で受け取る。

それと同時にアヴィリスが朗々と魔導の詠唱を行う。

静かに開かれ、魔導陣の中心に置かれた魔導書の表紙を前に、樫の木の杖を持つ手とは逆の手で愛用のナイフを握る。


朗々とアヴィリスが歌うように唱える詠唱の意味がユーリにはわからない。

けれど、アヴィリスの声に合わせて魔導陣が輝き、形を変えていく。


「『我、アヴィリス・ツヴァイ=ネルーロウ・スフォルツィアがジオラルド・フォン=アルス・エックハルツの名の下に汝が銘『始まりの叡智』にこの場の力を捧げる』」


魔導書の表紙の奥、魔導陣の中の小さな円陣の中にあったトランクにアヴィリスがナイフを突き刺す。


「『されば、汝、『始まりの叡智』の血肉の欠片を解放し、開放し、この場の力と銘において、汝を在るべき姿に成す!!』」


詠唱と同時に魔導陣が強く輝いた。

目がくらむ閃光。


王立学院図書館の最上部が光に包まれた。



「あ」


光が消え、目が視力を取り戻す。

噴水庭園に描かれていた魔導陣は消え、いつもと同じ庭園の光景の中に魔導師が立っている。


彼の手に唯一在るのはナイフと深い臙脂色の本。


「元に、戻ったんだね」

「ああ」


アヴィリスは手の中の魔導書をぱらぱらとめくる。


「元に戻った」


アヴィリスがほっとしたように、魔導書に向かって微笑む。


いつか見た死刑宣告のような綺麗な笑顔でも、皮肉っぽい笑顔でもない自然な表情でアヴィリスは笑った。


ユーリはその一言にほっと息を吐く。

迷子の魔導書は魔導師の手の中に帰ることが出来た。


それは、ユーリに平穏の訪れを意味する。

明日から授業に出られるし、普通の生活が舞い戻ってくる。


それはユーリにとって喜ばしいことだ。


しかし。


がっしりと、誰かに手を掴まれた。


「え?」


顔を上げたユーリの上で、アヴィリスが無駄な美貌を引き締めてユーリを見ていた。


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