第2話『開幕戦』
朝、いつも通りに家を出て、いつも通りに授業を受ける。いつも通り昼食を食べ、授業が終わればいつも通り家へと帰る。
見慣れた光景。見飽きた光景。
アパートの階段を昇り、部屋の側まで進むとそこには、
「やっほー。おにいちゃん」
「何見てんだよ」
いつもとは違う、新しい光景が広がっていた。
数日前、あのふたごが引っ越してきた日以来、あの子達の事が怖くなってしまった僕は、どうにかあの子達との接触を避け続けてきた。時折、すれ違ったり目が合うと、ニヤリと笑うさくらちゃん。目で殺すと言わんばかりに睨んでくるももちゃん。しかし話をしたりすることはなく、いままで過ごしてきたのに……。
「あれ? 聞こえなかったのかな? やっほー」
「だからいつまで見てんだよ。あぁん?」
「いや、えっと……なんていうのかな」
別にさくらちゃんの声が聞こえてなかったわけじゃないし、そんなにマジマジと見ていたわけでもない。と、弁解したい事はたくさんあるのだが、その前に、
「何で二人は僕の家の前にいるのかな?」
そう、この二人は何故か、自分の家に入らず、何故か何故か自分の家の前ではなく、僕の家の前に座り込んでいるのだ。
「夜這いにきました~」
「殴りこみだよ。コノヤロー」
うわー。どっちも嫌だなー。
「フフッ。実はわたし達、家の鍵を部屋の中に忘れてきてしまって、入れないんですよ」
「そうだったんだ。咲さんは?」
「咲お姉さんは、いつも仕事で夜までかえってこないの」
『咲お姉さん』って事はやっぱりこの二人は咲さんの子どもじゃないんだな。まあ、パッと見の年から計算するだけで分かることだけど、最初にあった時は動揺してて気付かなかったな。
夜まで帰ってこないって事はこの二人はいつも咲さんが戻るまで家で留守番しているのか。じゃあ鍵を忘れちゃったこの子達は夜までこのままここに……?
そんな事は絶対に駄目だ。
「良かったら、家においで」
まだ、この二人に対する恐怖感が無くなったわけじゃないけど、そんな事よりこの子達の事が心配だ。これをきっかけに仲良くなることもできるだろうし――。
「当たり前ですよ。そのためにここで待っていたんですから」
「いいから早く開けろ。こらぁ」
……仲良くなれるのかな?
「へぇ~。おにいちゃんは年上の方が好きなんですね」
「ちょ!? 何見てるのさああ!」
「ナニって、そんな事小学四年生の女の子に言わせる気ですか?」
「ち、違う! そんなつもりじゃ――」
「さくらに変な気起こしたら、ドタマかち割るぞ、こらぁ」
「ももちゃんまで何言ってるのさ! っていうかいい加減僕の部屋を物色しないでよおお」
二人は僕の部屋に入るなり、すぐさま物色を始め、僕のプライベートのありとあらゆる面が覗かれていってしまっていた。さくらちゃんは本棚の奥に隠していたエロ本を難なく見つけて、見せつけるように広げて読んでいるし、ももちゃんはももちゃんで、ジュースやお菓子を取り出し、寝転んで我が家のように振舞っている。
「もう! そんな事ばっかしてると、咲さんに言いつけちゃうよ!」
「なっ……」
「くっ……」
咲さんに言いつける。
その言語を効いた瞬間、二人の顔はみるみる青ざめていった。自分で言っておいてなんだが、これは予想外の反応だ。きっと咲さんのこと大好きだから嫌われたくないのだろう。
これはしめた!
「どうしよっかな~? 咲さんに言っちゃおうかな~?」
「お、お願い! それだけは……」
「……ちくしょう」
ど、どうしよう。なんだか面白くなってきた。
……ってダメだダメだ! これじゃあまるでイジメっ子――いやいや幼児虐待だ!
でも、このまま引くのは癪に障るし、やっぱりここは大人らしい対応を取っていかないと。
「さあ、悪いことしたらなんていうか分かるよね?」
これでいいんだ。これで素直に「ごめんなさい」といえば解決。こうやってこの子達は一歩ずつ大人になっていくのかな? ああ、なんだかお父さんになった気分――。
『好きにしていいよ』
「って違―う! な、ななな何言ってんのさ!?」
「えっ? だってこういう時、男の人に許しを乞うときはこうするものだって――」
「いや、間違ってる! その情報、全然間違ってるから! だから服を脱ぐのをやめなさい!」
「……痛くすんなよ? こらぁ」
「ももちゃんも、こういう時だけしおらしくならないでよ! なんか妙なリアリティが出るじゃないか!」
いけない! いけないけない! このままじゃ幼児虐待どころか幼児ポルノ方違反!? とにかくヤバい。
そうこうしてる間にも、さくらちゃんとももちゃんの服は一枚、また一枚とはだけていき、子どもっぽくない大人のような下着が目前に現れ、白い陶器のような素肌があらわになった。
さくらちゃんは、両手を地面に着け、まるで猫が主人に擦り寄って来るように近づいてくる。顔が近づく。さくらちゃの両手が腰へとまわり、身動きが取れなくなっていく。こ、このままじゃ……。
「おにいちゃん……」
「だ、ダメだ! いいから早く服を――」
パシャ!
突然、横からまぶしい光とまるでカメラのフラッシュをたいたような音が鳴り響く。
静まり返る室内。
音が聞こえた方へ視線を向けると、僕の思考はストップした。
なぜなら……。
「わたしたちの勝ち~」
デジタルカメラのレンズ越しにこっちを覗き込むももちゃんが、そこにいたからだ。
「妙な気起こすなつっただろ。このロリコン」
いつの間にかロリコン扱いされてるし。
「……その写真をどうするつもり?」
「さあ」
曖昧な返答をしながら、ニヤリと笑うさくらともも。皆まで言わせるなという事だろう。
「何が目的だ?」
「そうですね……。その前に」
「その前に?」
「悪いことをしたら、なんて言うんでしたっけ? お手本を見せて下さいよ。お に い ち ゃ ん」
「なっ……!」
やられた。これが狙い――いやこれはほんの余興に過ぎないはず。真の目的はきっと別のところにある。しかし今の僕に逆らう術はない。くそっ。これが小学四年生の考える事か!?
「さぁ、どうぞ」
ここは素直に謝るべきか。
「……ごめんなさい」
そう言って僕は座りながら、十以上年が離れた女の子に頭を下げた。なんたる屈辱。
でも、これで済むんなら――。
「じゃあ、次は足に謝ってください」
「へっ?」
い、一体何を言っているんだ?
「今、頭の位置がちょうどお腹の辺りだったという事はわたしのお腹に謝ってくれたんですよね? そうしたあ次は足に向かって謝ってくれないと……。その次は膝、腿、手、体の隅々まで謝ってください」
「早い話、土下座しろって事だ。こらぁ」
鬼畜。外道。下衆。湧き上がるこの感情は怒りだろうか? いや違う。これは畏怖だ。僕はこの小学四年生の少女たちに嘲笑れながらも、ここまで頭が回るこの子たちにある種の敬意を示しているのだ。
「なんなら、そのまま舐めてもらってくださってもいいんですよ?」
いっそ、このまま足を舐めて服従するのも悪くない。そう思えるほどその言葉は、甘美な響きに包まれていた。
「頭めりこむくらい床に擦りつけて、謝らんかい! こらぁ」
だけど僕は。
「その前に一ついいかな?」
「なんですか? おにいちゃん」
まだ屈服するわけにはいかない!
「君たちは一つ重大なミスを犯した」
「へぇ~、面白い事を言いますね。是非訊かせていただきましょうか」
予想通り、乗ってきた。
僕は足を崩し、あぐらをかいた状態で右手をポケットに入れて、話を続けた。
「僕はこれでも男だ。いくら君たちが重大な証拠を持っていようと、力じゃ僕に敵わない」
「まぁ、こんな可愛らしい少女を、力づくでどうにかしようっていうんですか?」
「やんのか! こらぁ」
……よし。これで準備はオッケー。後は僕次第か……。
「まあ、僕もそんな事はしたくないんだ」
「つまり、写真のデータを消せということですね」
「そういう事だね」
あせるな……。気づかれたら全てが終わりだ。ゆっくりと、でも確実に引き出さないとならない。
「残念。その要求には答えられませんね」
「じゃあ、僕は咲さんに事の全てを話すよ」
「その事は、もうどうでもいいんです。だって――」
今だ!
「咲お姉さんにわたし達たちがあなたの部屋を荒らし、写真を撮って嵌めた。なんて言ったとしても、この写真があればそんなのただの言い訳に成り下がるだけですからね」
「……確かにそのとおりだ」
「でしょう。分かったらとっと土下座を――」
「でもこれならどうかな」
そう言って僕は、ポケットにいれていた右手を外に出し、
同時に中の携帯電話を取り出した。
「携帯……電話?」
「知っているかい? 今の大体の携帯には録音機能っていう便利なものがついているんだ」
「……っ! あなたまさか!」
「そう。僕の証言。確かにそれじゃあ、その写真には勝てない。でもさっき洗いざらい話したこの録音データ。これがあればどうかな?」
「しくじったわ……」
「お前! こらぁ……」
とたんに曇る二人の表情。さくらちゃんは今まで見たことのないような悔しい顔をしていて、ももちゃんは怒りが限度を超えたのか、涙を浮かべながらこっちを睨んでいる。
ともかく僕は勝ったんだ。
「ハッハッハッハッハ!」
小学四年生の女の子との知能戦。その勝負に勝ち誇らしげに笑う大学一年生がここにいた。
あれ? なんろう。なんだか涙が出てきそうだ。
ピンポーン
戦いの終了を告げるゴングのように響き渡るチャイムの音。来客の予定はないはずだけど、宅急便か何かだろうか?
「はい?」
急いで、扉まで駆け寄り、扉を開けるとそこには仕事帰りであろう咲さんが立っていた。
「あの、すみません。さくらからメールがあってこちらにお邪魔していると伺ったんですが……」
「あっ、はい。二人とも中にいますよ」
いつの間に、メールなんか打っていたのやら。
まぁ、いいや。とにかくこれでやっと一安心――。
じゃない!?
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「えっ? どうしたんですか?」
マズイ。確かに今、二人は部屋の中にいる。でも部屋の中にいる二人の格好は下着姿! これを見られたらどんな証拠持っていたって意味が無い。現行犯逮捕だ!
「いや、その……えっと」
万事休すか!
「お帰り! 咲お姉さん!」
「……お帰りなさい」
「えっ?」
明るい声とともに現れたのは、いつの間にか服を来ているさくらともも。
「ただいま。御原さんに迷惑かけなかった?」
「うん!」
「……はい」
「本当ですか? 御原さん?」
「え、えっと……」
もちろん迷惑は山ほどかけた。その事を洗いざらい話してやりたいところだけど、僕にはそれができない。
なぜなら、さくらとももが服を着ているからだ。
そのままいれば、僕を貶められたのに、それをしなかったのは僕に恩を売るため、そして『これで手打ちだ』という無言の圧迫だ。
「はい。二人ともとてもいい子でしたよ」
故に僕はこの選択しか選べない。
「そうですか。偉かったね。二人とも」
笑顔の咲さんに駆け寄る二人。この光景だけ見ていると微笑ましい物があるのだが、もちろん僕にはそう思えない。
「それじゃあ、これで失礼します。本当にありがとうございました」
「い、いえ」
咲さんの視界から外れた二人は、容赦なく敵意ある眼差しで僕を見る。
「ねぇ、おにいちゃん。また遊びに来てもいいかな?」
「……私も行きたい」
かわいらしい声、それとは裏腹の黒い眼差し。
ああ……そうか、これは挑戦状。僕に対する宣戦布告。
「ああ、いいよ。いつでもおいで」
その挑戦状を僕は、笑顔で受け取る。
「こらっ、あんまり御原さんに御迷惑かけじゃダメよ」
「大丈夫ですよ」
こちらとしても、このまま終わるのはやるせない。
「本当に? やったー!」
「……わーい」
笑顔の咲さんとの間に飛び散る火花。
そんな事は露知らず、咲さんとふたごは部屋へと戻って行く。
「……また明日」
去り際にさくらちゃんが言ったその一言が、その晩、僕の脳裏から離れなかった。