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2.「弾丸宇宙旅行」-3

 額に冷たい感触を感じながら、俺はどこか遠い場所から意識が自分の方に戻ってきたのを自覚した。 


「……ん、お、おお?」


 目を開く。

 車の中だ。

 ただし、フロントガラスの前にはもう宇宙ではなく見慣れた高校の外壁がそびえていた。


「あ、あっれぇ?」


 額に手を当てると、そこには熱冷ましが貼られていた。

 道理で冷たかったわけだが、一体どうしてそんなものが貼られているんだろうか。

 というか、俺はさっきまで空の上にいて星を眺めていたはずなのに、こんなところで何を……?


「あ、先生!」


 開けられていた窓の外から木原の声がした。


「大丈夫ですか、どこか痛かったり、目眩とか、気持ち悪いとかありませんか!?」


 近くの自販機から買ってきたのか、スポーツドリンクを握りしめた彼女の顔は心配の感情に満ちていて、それで俺は何が起こったのかを段々と把握し始めた。


「お、俺、ひょっとして?」

「先生はじっとしててください、私がなんとかしますから!」


 連続しない時間の流れ、明らかに看病モードの木原、額に貼られた熱冷まし。

 僅かに喉と鼻の奥に血の味もする。


 まさか。


「俺、興奮の余りに気絶したのか……?」

「ふぇ?」


 そういうことなのか。


 思い出した。確か、天の河を辿っていた時、突然視界が真っ赤に染まったんだった。

 星のきらめきに魅せられるまま年甲斐もなく盛り上がりすぎて、頭に血が上ったのかもしれない。

 そのまま無様に意識を失って地球に戻ってくるまで目が覚めなかった、という具合なのだろう。


 ……だとすれば、その間俺はずっと木原の前で無様な姿をさらし続けていたわけで。しかもその木原から懇切丁寧な看病を受けているというわけで。


「いやすんげえ恥ずかしいんだけど……?」

「え、えっと」

「いや、慰めないでくれ……俺は高校生の前で大人が見せちゃいけない醜態を晒したんだ……うわぁ……殺してくれ……」

「その、先生は別に」


 木原が申し訳なさそうに気を遣ってくれるのがまたグサグサと俺のプライドを突き刺してくる。

 客観的に今の俺の状態を記述すれば、こうなるだろう。「興奮し過ぎて気絶し、教え子に看病された教師」。やばい、教師としての尊厳が全て崩れ落ちそうだ。


 そうだ、俺が気を失ってる間に何か他に不味いことを口走ったりしていないだろうか。


「お、俺、寝てる間なんも変なことしてない?」


 おそるおそる聞いてみると、木原はふるふると小さく首を横に振った。


「大丈夫です。先生はずっと気絶したままでした」

「そうか、良かった……いやそれで安心するのもダメだわ……死ぬ……」


 ダメだ、何をしても俺の尊厳が回復するルートはない。

 化学部の活動初日に、よもやこんな試練が待ち受けていようとは……


「あの、私の準備が甘かったのが悪くて」

「謝らないでくれ、これ以上俺を辱めないでくれ……! きょ、今日は解散! また次回な!」


 なおも俺のことを気遣う木原の言葉にいたたまれなくなって、俺は逃げ出すように車から飛び出した。幸いにして既に体の調子は元通りになっていて(それはつまり木原がしっかり看病してくれたということになるのだが)、俺は恥ずかしさの余りに真っ赤に染まっているであろう顔を木原に見せないように必死に走った。


「先生、無理しないで! 休んでてください!」

「看病ありがとうなっ! 今日は終わり! 俺は大丈夫だから、だから、もう勘弁してくれえ!」


 次からどんな顔をして木原に会えば良いんだろう。

 俺の二十三年、教師としては半年ちょっとに過ぎない人生経験では、その難解な問いにすぐに答えが出せるはずもなかった。





======================





 気を失った先生をなんとか座席に着かせて、私はミニバンごと学校の駐車場にワープした。

 心の内で必死に念じて、魔女さんを緊急招集する。


{助けて下さい! 先生が! 死んじゃう!}

「どうしたの香織チャン?」


 一瞬の後に魔女さんが目の前に現れ、私は魔女さんに助けを依頼した。

 私は大分焦っていたから説明はあっちこっちに跳ね回って理解しにくかっただろうけれど、どうやら魔女さんは何が起こったのか大体把握してくれたようで、先生の頭に手を当ててそこに温かな光を灯した。すぐに先生の強ばっていた体からは力が抜けて、穏やかな寝息を立てるようになった。


「先生は無事ですか!?」

「とりあえず、先生の記憶からここ一〇分くらいの苦痛を消し去っておいたわ。今は夢を見ることもなく眠っているだけ。根本的な治療はしてないから、その辺は香織チャンが自分で始末を付けなさい。貴女にあげた力なのよ、貴女が使いこなせなくてどうするの?」

「は、はいっ!」


 魔女さんに言われて、私は当然のことを思い出した。そうだった、どうして思いつかなかったんだろう、そもそも先生を私が治せれば全部解決するんだった。

 『今先生がかかっている病気は先生にとっては何の悪影響もないものである』とか、『先生の身体はあらゆる病気に対して抵抗を持つ』とか、『先生は眠ることで体調を元通りに回復させられる』とか、色々やり方はあったはずだ。


 改変。

 お詫びも込めて、今の症状を治すだけでなくこれからしばらく健康でいられるような設定も盛り込んでおく。


 おそるおそる魔女さんの方を伺うと、魔女さんはまた先生の額に手を当てた。


「ま、もう大丈夫かしらね」

「よか、ったぁ……!」


 魔女さんの確認が終わり、私はほっとしてその場に崩れ落ちた。

 そのまま放心していると、さっきまで先生のことをあれこれ調べていた魔女さんがいつの間にか隣にやってきて、私の頭をパンとはたいた。


「貴女、先生用の宇宙対策忘れたわね? 香織チャンは頑丈な身体してるからいいけど、そりゃあほとんど生身で宇宙に放り出されたら宇宙線食らって普通の人間は死ぬわよ」


 続けて、魔女さんは私が間違えた点を淡々と指摘していった。下手に私が何度も宇宙に行った経験があるせいで、私は私基準で物事を考えるようになってしまっていたらしい。

 こういうのを、自己中っていうのだろう。


「いいこと、今度から下調べはしっかりしていきなさい。それと、最低でも先生には貴女と同じくらいの加護を付けておくのね」

「……分かりました」


 魔女さんは私が頷いたのを確認して、じゃあ後は自分でなんとかしなさい、と去って行った。後にはうなだれる私と、まだ意識の戻らない先生だけが残された。

 このままこの場で動かないでいると罪悪感に押し潰されそうだったので、私は保健室を目指して歩き出した。何か、熱冷ましとか、スポーツドリンクとか、先生のためになるものを見つけることはできるだろう。


 歩きながら、申し訳ない気持ちと、また先生に受け入れてもらうという目的を達せなかった悔しさが、私の頭をぐるぐると巡る。


 唇をきゅっとすぼめる。

 ふっと先生の頬の感触が蘇った。


 先生は、あの時のことをきっと覚えていない。魔女さんが記憶を消したはずだから。

 私はこの感触と感情を、一人で抱えていかなくてはならないんだろう。

 いつか先生と本当にキスができるその時まで、これは戒めとして私の心に刻んでおこう。



 ……たまーに、思い出して悶々とするくらいは、許されるといいんだけど。

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