2.「弾丸宇宙旅行」-2
「いきます」
今日こそは、ちゃんとしたおもてなしを。
それと、私が立派な大人であることを示せますように。
改変。
「ぐええ」
ヘッドレストにしがみつくようにして痛みに耐え、辛そうな声を絞り出しながら目を開いた先生は、ぱちぱちと両目を瞬かせた。
「それで、もうこの車はロケット的にぶっ飛べるってことか」
「まあ大体そんな感じです。じゃあ行きましょうか」
「え、そんなカジュアルに?」
おっと、いけない。
先生にとっては初めての宇宙旅行になるのだから、ちゃんと良い思い出になるように演出をしておかないと。
助手席から運転席に座る先生に向かって手を振って、五本の指をピンと立てる。
「一緒にカウントダウンしましょう」
「お、いいね」
先生はにかっと笑ってカウントダウンを始めた。
一緒に、のところに少し力がこもってしまったのは幸か不幸か気付かれなかったらしい。
先生のそれっぽい英語に合わせて指を折り、ゼロになったタイミングで車を垂直に飛び上がらせる。
ついでにサービスでガタガタ揺れてる感じをつけると、もっとロケットの打ち上げっぽさが出るだろう。
「ふおおおおおおお!」
どんどんと小さくなっていく眼下の街を見下ろしたり、ぐんぐんと雲を突き抜けていくという光景を目の当たりにして、先生が隣ではしゃいでいる。
「先生、ベルト外れますよー」
「やっべえぞこれ! 目に焼き付けないと!」
こういう先生を知ってるのは私だけだって思うと、ちょっと心の奥がむずがゆくなる。
そんなにがっつかなくても、先生が一言言ってくれればいつでも連れて行くんだけどな。
童心を爆発させている先生を眺めているうちに、段々と周囲が暗くなってきた。
確かこの辺が成層圏というやつで、宇宙空間までにはもう少しかかりそうだ。
「流石にもう飛行機よりは高そうだな」
「はい、空気薄いので窓は開けないで下さいね?」
とは言っても、もう開けられないようになっているのだけど。
「で、どこまで行くんだ?」
キラキラした目で先生が聞いてくる。先生とならどこまででも、と答えてしまいたいけれど、今はまだその時ではない。そういうのはもっと仲良くなってからにしようと決めている。
今日はしっかり計画を立ててきたのだし、素直にその内容を伝えてしまおう。
「一応確認するんですけど、先生宇宙は初めてですよね」
「何言ってんだ当然だろ」
「宇宙初体験の人なら地道に移動しないと風情がないと思うかもしれないので、せいぜい地球一周くらいで予定作ってきました」
「”風情”って概念が俺の中で崩壊しそうだ」
先生は苦笑いを浮かべている。とは言っても、こんなのは私にとっては準備運動みたいなものなのだけれど。
……先生は、まだ私のことをちゃんと理解できてはいないのかもしれない。
私はこれでも世界を好きに操れる系JKなのだ。その気になれば地球の支配者になることだってできるし、宇宙の謎を一瞬のうちに解き明かすことだってできるし。その辺を受け入れてもらえれば、きっと先生が想像もできない大きな夢を見せることができる。
まあ分かってないなら分かってないでこれから知ってもらうだけだけど、覚悟は決めてもらった方が良いか。
「私といる間は常識なんて忘れた方が楽しいですよ?」
「……かっけえこと言うじゃん」
ちょっとキメ顔を作って上目遣いで伝えると、先生は愉快そうに笑ってくれた。
しばらく上昇を続けていくうちに、ついに日本列島がまるごと視界に収まるくらいの高さまでやってきた。これ以上地球から離れても仕方ないので、私はミニバンの動きを地面とおおよそ平行になるように整えることにした。
加速をだんだんと緩めて行くにつれて、体にかかる力が薄れていって、そして最終的に私と先生の体はふっと座席から浮き上がった。
「おお、浮いてる!」
「宇宙旅行なら、無重力体験は外せませんよね。もうベルト外しても大丈夫です」
そうやって伝えると、先生はすぐにベルトを外して、手足をひらひらさせながら空を舞い始めた。
こういう楽しそうな先生の姿はいくらでも目に焼き付けていたい。とはいえ、本当に先生に体験してほしいものはもっと別にあるので、私はそっと先生の顔の前に手を差し出して、先生の注意を惹いた。
「先生、遊ぶのも良いですけど、ほら」
少し念じて、車体の向きをひとひねり。そうすれば、フロントガラスの奥に広がるのは、何にも遮られない本物の星空だ。
私は知っている。先生が自分のスマホの待ち受けやホーム画面に星のきらめく夜空の写真を使っていて、鞄にプラネタリウムのグッズを忍ばせていることを。
先生はきっと綺麗な星の広がる空に焦がれている。そう信じていたからこそ、私は先生をこの場所に連れてきた。
「……すげえ」
「先生のために、ちょっと予習してきました。いま丁度正面に、夏の大三角形が見えているはずです。合ってますよね?」
先生は言われて初めて気が付いたかのように目をきょろきょろさせて、そして一度小さく頷き、やがて理解がようやく追いついたのか何度も首を縦に振った。
「合ってる。デネブ、アルタイル、ベガだ」
名前を呼ぶのに合わせて恒星を一つ一つ指さし、先生は震える声で呟いた。
「周りの星がはっきり見えすぎて逆に分からないくらいだ。なんつう世界だよ、ここは」
先生の仕草から滲む感情はどう見ても感動に溢れていて、それを一身に受ける私の心は高く弾んだ。
私が、先生にこの夢のような世界を見せている。
私の力が、先生を喜ばすことができている。
そうした実感を丁寧に確かめることは、とても幸せな瞬間の連続だった。
「宇宙から直接見る星は、やっぱりプラネタリウムとは違いますか?」
「最高だよ……俺な、昔天体望遠鏡とか持ってていっつも空を眺めててさ。宇宙飛行士になりたいとか言ってた時期もあったかな。すげえよ、夢が叶っちまった」
「良かったです」
星を見るために先生はフロントガラスの方に身を乗り出して、私の視界は少し遮られた。それでも、心底嬉しそうに笑う先生を見ていれば、私は十分に幸せだった。
「昔取った杵柄でさ、星座とかは結構覚えてるんだ。ちょっと探せば秋の四辺形とペガスス座があるはずで……あった。あれだ、見えるか木原」
先生が指さした先に、三つの青く輝く星と一つの黄色っぽい星を見つけることができた。
「はい。マルカブ、シェアト、アルゲニブ、アルフェラッツ」
昨日頑張って覚えた星の名前を口にしてみると、先生はぶんぶんと頷いて、期待していた以上に喜んでくれたようだった。
「そうそう! で、アルフェラッツの奥にもやっとしたのがあるの、分かるか?」
「アンドロメダ、ですか?」
「正解、アンドロメダ大銀河だ。やべえ、マジで雲みたいにハッキリ見えるぞ」
段々と先生は我を忘れたようになって、あちらこちらを眺めては星や星座の名前を際限なく口にするようになった。
「アレが北極星で、つまり連なってるのがこぐま座、天の川の中を探せば……見つけた、カシオペヤだろ? それで───」
「……」
というか、我を忘れすぎている。
先生との距離が近い。
先生は助手席に座る私の目の前にまで体を乗り出してきていた。無重力だから別に無理をせずともダッシュボードの上の空間を使うことはできるのだけど、それにしたって先生の背中が近すぎる。
「天の川辿ってペルセウス座、はギリ見えるくらいだな、じゃあ逆にアルタイルの方に……やっべ、何座だっけ、鷲? さそり? いやもうなんでも良いか!」
先生はフロントガラスから見て正面を真横に横切る天の川を舐めるようにして観察して、そして最終的には私の座る席の横の窓にまで首を伸ばしてきた。
本当に、目と鼻の先に先生の顔がある。
やばい。何がやばいって、この距離だと先生が私の方を向いた時に本当に顔同士がぶつかりそうなくらいにやばい。
今この瞬間にゼロ距離で見つめ合う覚悟を決めろと突然言われても、ちょっと準備が足りなさすぎる。
「せ、せんせ」
「どうし……た……?」
先生が私の声に反応して、振り向いた。
そりゃそうだろう、人と話す時に相手と目を合わせるのはとても自然なことだ。
「えっと、その───!?」
先生の顔が、自然なままに、私の顔に近づいてきて、無重力だからか抑えが効かなくて、ブレーキがかからなくて、私の視界が先生で一杯になって、それでも止まらなくて、私の背中は座席が壁になっているから逃げ場なんてなくて、だから反射的に、私は目を閉じようとして、でもそれはなんだかどうしても勿体ないという本能が私の瞼を強く強く引き留めて、それで、
私は私の唇が先生の頬にぶつかるのを、五感の殆どをフル稼働させながら受け入れた。
ヘッドレストが私の頭ごと先生の勢いを受け止めて、先生と私はくっついたまま静止した。
先生の体温を鮮明に伝える触覚に大分遅れて、私のフリーズした頭に理解がやってくる。
これが私のファーストキス?
いや私にできることなんて何もなかったけれど、それにしたってなんというか、雰囲気がなさ過ぎるというか、頬にキスするなら私の方からさせて欲しかったというか、いやでも先生からの不意打ちという構図が成立するなら別に悪くないのかもしれないけど、いやきっとそうだ、だって先生はまだ私の側から離れようとしていないんだし、きっと先生はこうなることを狙っていたんだ、そうだ、そうに決まってる、てか先生もそろそろ離れてくれないと、私息できない、先生の顔に鼻息吹きかけるなんてしたくない、先生、私、ちょっと、限界……!
「ふはっ、ふあぁ」
私は先生を驚かせないように肩をそっと押して、そして先生の顔が遠ざかった瞬間に大きく息を吸った。
さよなら、先生の温もり。
ただいま、新鮮な空気。
私がしばらく息を整えている間、先生は何もなかったかのように静かにしていた。
これが、大人の余裕、ということなのか。
「先生、い、今のって」
相変わらず先生は何も言わない。
「私、先生に、き、キス、しちゃったんですけど……?」
おそるおそる先生の表情を伺う。
真っ先に目に飛び込んできたのは、力なく開かれた双眸だった。
「せ、せせせせ先生!?」
先生は、目を真っ赤に充血させて意識を失っていた。




