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10.「巡る優しさ」-4

 大きなダリアの花言葉は「華麗」で「優雅」で、「移り気」で「裏切り」。ナポレオンの皇妃ジョゼフィーヌがこよなく愛した花であり、美しさのあまりに皇妃の庭師に盗みを働く裏切りを唆した。


 真っ白なユリの花は、穢されないままにキリストを生んだ聖母マリアの象徴。神はマリアを歓迎し、彼女を「最も純潔な花」と呼ぶ。


 アマリリスの花を染める赤は、内気な少女の決意の色。花好きの少年アルテオを射止めるために、アマリリスは神様から授かった黄金の矢を自らの胸に突き立てて、鮮やかな色の花を咲かせた。


 マリーゴールドの強い香りは、命なき者たちの道しるべ。太陽の神は死者を祭るためにメキシコのナワ族にマリーゴールドの花を贈り、橙色の太陽は巡り巡って遙か海の彼方インドにあらゆる魂への祝福として根を張った。



「この一面の光の花畑には、どんな逸話があるんですか?」

「さあな……流石に勉強してこなかったわ」

「ふふ、詰めが甘いですよ先生」

「勘弁してくれよ」


 閉館時間になって植物園を追い出された俺たちは、遊園地の中を出口に向けて歩いていた。遊園地自体ももうすぐ閉園ということで、どこか物悲しい音楽がスピーカーから流れている。手をつないだカップルが何組も俺たちを追い越して駆けていく。


 俺の少し前を歩く木原は、上機嫌に足を動かしている。一歩一歩を踏むごとに肩が軽く左右に揺れ動き、寒いはずなのにポケットに仕舞われていない両手の指先が舞い踊るように宙に軌跡を描いている。

 この後ろ姿を見る限り、木原は今日という一日を楽しかったものとして記憶することになりそうだ。俺が費やした時間は間違いなく木原のためになった、そう言ってしまってもいいだろう。


 微笑ましい気持ちでいると、不意に木原が振り返った。


「先生、最後にひとつ良いですか?」

「ん?」

「ついでですし、イルミネーション見てから帰りましょうよ。観覧車の上からってのは流石に時間的に難しいですけど、そこの丘の上からならきっと良い眺めです」


 木原が指さす先には、「この先フォトスポット!」と書かれた看板があった。

 時計を確認する。急いで歩けばまだギリギリ寄り道する余裕はあるだろうか。


「まぁ、折角なら」


 頷いて、木原の後に続いて階段を上る。

 そもそも俺だってイルミネーションには興味があった。星空ほどとは言わないまでも、闇に光が映えている光景にはやはりそれなりに心惹かれてしまう。


 十メートルくらい上ったところで舗装が平坦になった。

 先に頂上にたどり着いていた木原は、既に目を輝かせて景色を眺めている。

 俺も最後の坂道を上りきって、木原と同じように後ろを振り返った。


 あるところを見れば色とりどりに飾られた木々が立ち並ぶ森のなかをまっすぐジェットコースターが突き抜け、また別のところを見れば暖かな電球色のアーケードが光の河をつくり、遠くには東京タワーやスカイツリーが夜空に背を伸ばして輝いている。

 東日本一のイルミネーションと称されるだけはある、息をのむような幻想世界がそこには広がっていた。


「───先生」


 見入っていると、いつの間にかすぐ側にいた木原の控えめな声がした。

 目を向けると、両手を後ろに組んで、少し顔を俯かせた彼女の姿があった。


「どうした?」

「メリークリスマスです」


 はにかんで言った木原が前に振り向けた手の中には、赤と緑の包装に包まれた小さな箱が収まっていた。


 そっと受け取り、近くの街路灯にかざすようにして確かめる。

 箱の中身を悟ることはできなかった。


「これは?」

「開けてください」


 許可が下りた。

 言われたとおりに包みを解くと、中からは青色の毛糸で編まれたポーチのようなものが出てきた。


「イヤホンのケースカバーです。多分先生が使ってるワイヤレス機種のケースにぴったりの大きさだと思います」

「ほう」


 幸い、今日はイヤホンを持ってきている。

 ポケットから取り出したプラスチックのケースを、袋状になっている毛糸のカバーにはめ込んでみると、元からそうであったかのようにすっぽりと収まった。


「おお、まじでぴったりだな。生徒の前じゃイヤホンはしないようにしてんだけどなぁ……いや、嬉しいよ。ありがとう」

「大したものじゃなくてすみません」


 謙遜して木原は頭を下げた。

 改めて俺は手の中のプレゼントを眺めた。

 もしかしたら、これが木原が生まれて初めて贈るクリスマスプレゼントなのかもしれない。生地は決して均質ではなかったが、だからこその手作りの温かみがあった。

 そもそも、木原はやろうと思えば世界中からあらゆるものを手に入れられるはずなのだ。それなのに敢えて手で編むことを選んだというのだから、熱意は間違いないものだろう。


「今日は私のおねだりに付き合ってくれて、ありがとうございました。勉強になりましたし、それに、本当に楽しかったです」


 俺が何も言わないせいだろう、木原が勝手に今日を〆るような言葉を口にし始めた。

 俺は慌てて背負ったリュックを下ろしてチャックを開けた。


 さっきまで使っていた花の資料をガサゴソとかき分けて、目的のものを探り当てる。


「なあ、木原。俺からもプレゼントだ」

「え、えっ」


 目を丸くする木原に、俺は来年用のカレンダー付き手帳を押しつけた。

 仕事終わりに都心の繁華街まで出かけて買ってきた、シックなデザインのものだ。

 無難極まる一品ではあるが、生徒に贈るとなると流石にアクセサリーやコスメなんかを選ぶわけにもいかない。


「飾っとくでも使うでも自由にしてくれ……ま、使ってくれると嬉しいかな」


 呆けた顔でしばらく手の中のものを眺めていた木原は、やがて紙袋ごとそれを胸に抱いて、明るい表情で頷いた。


「ありがとうございます、とっても嬉しいです」


 木原は心底嬉しそうに笑った後に、「でも、」と続けた。


「先生は絶対こんなことしないって思ってました」


 痛いところを突いてきやがる。

 今も後ろめたさに苛まされているところだ。


「……そうだな、教師としては全く不適切な行為だよこいつは。でもお前は俺が教師になって初めて持った部活のたった一人の部員なんだ。俺だってこれくらいは考える」


 なんとか理由をつけて言い訳にしたが、口が動く裏で俺の心はひたすらに不満を叫んでいた。

 それを隠すかどうか悩んで、心が理性を押し切った。


「お前、ずっと一人だったって言うからさ。俺みたいなのでいいなら、人並みのクリスマスを感じて欲しかった」


 言い切ってから、随分気持ち悪いことを言ってしまったと後悔が頭をよぎった。

 おそるおそる木原の顔を窺う。


 木原は何も言わず、遠く東の夜空を眺めていた。高校のある方角だろうか。

 ただひたすらに柔らかな表情が印象的だった。


「……優しさは、巡るんだなぁ」


 やがてそう小さく呟いた木原は、改めて紙袋に入った手帳を大事そうに抱え直して、俺に向けて微笑んだ。


「先生、大切にします」

初回投稿は以上になります。

ここまでをお読みくださったあなたに感謝を。

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