7.「誤解」-2
(……どうしてこうなった)
俺は呼び出しておいた木原が化学準備室のドアを叩くのを待ちながら、もう何度目になるかも分からない再採点を回して自分に見えるものが間違っていないことを確かめた。
木原香織 70/100
別に赤点だとか、そういうレベルで悪いわけではない。平均点は超えているし、普段90点とかを取るような優秀な生徒でもこうやって事故ることはあるだろう。
問題は、これが木原香織という完璧超人系超能力少女の生み出したテスト答案であるということである。
100かそれ以外かを地で行く木原が、十の位に7を付けさせてきたことは俺の記憶にはない。他の科目でだって、基本満点しか取らないのを知っている。その上、間違っていた部分は全部都合の良いように現実改変をかませるのだから、100でなければおかしいはずなのだ。
それが、70だ。
余程の異常事態が起こったに違いないと確信した俺は、テスト返しをするよりも先に木原を呼び出すことにした。
何か能力関係で変な事件があったとか、魔女に脅されたとか、家庭で複雑なトラブルが起こったとか、そういう学外のことだったら力になってやりたいし、そうでなくとも事情は聞かないといけないだろう。
コン、コン、コンと随分控えめでゆっくりしたノックが三回響いた。
しばらく経ってもドアが開かない。
「開いてるぞ!」
声をかけても何も起こらないので、俺は仕方なく椅子から立ち上がって自分で入り口のドアを開けに向かった。
「遅かったな、って」
ドアの向こうに現れた生気のない表情が、俺の口から声の続きを奪い去っていった。
普段の明るい姿はどこヘやら、目の下に大きな隈を作った木原はまるで幽霊のような存在感でゆらりと俺の側を通り抜け、化学準備室の中に滑り込んできた。その間、目を合わせてくることすらない。
ふらふらと彷徨った木原は椅子の側で立ち止まった。というよりも、そこで電池が切れたように動かなくなった。
いつもふてぶてしく座る方のクッションのついた椅子ではなく、パイプ椅子の前でただじっとしている。
ここまでくると、木原の身に何かが起こっていることはもう間違いないだろう。
問題は、それが俺に解決できることなのかどうか、だ。
当然助けてやらねばとは思いはするが、ここまで大きなダメージを負っているようだと一介の新米教師に過ぎない俺には荷が重いかもしれない。
……いいや、やってみないとわからないか。
「まあ、座るんだ。話をしよう」
「……」
すとん、という擬音がぴったりあてはまる動きで木原は椅子に腰掛けた。
相変わらず表情にも身体にも活力がない。まるでロボットのようだ。
壊れている木原とコミュニケーションを進めるためにどうやって一言目を生み出すかを迷った挙げ句、隠していても仕方がないと俺は真っ直ぐ本題に踏み込むことにした。
「これが今回のお前の答案だ」
そっと机の上に70と書かれた答案を載せる。
木原は微動だにしない。
木原自身も当然、テスト当日の感触からしてこうした点数がついてしまうとは分かっていただろう。
「化学部での活動中での木原のテスト範囲の理解度、普段の学習態度、それと俺が知ってるお前の性格、あと特殊能力。これらを全部ひっくるめて考えて、この点数はどうしてもおかしいと俺は勝手に結論づけた。……もし何か嫌なことがあったなら、俺に話してくれないか。助けになってやれるかもしれない」
祈るような気持ちで木原の顔を窺う。
木原はぼんやりと視線を机の上に漂わせたまま、「別に、何でもありません」とぼそぼそ呟いた。
誰が見ても何でもあるだろう、という突っ込みはぐっと堪えて、俺はあくまで木原のメンタルケアに徹することにした。
「確かに、俺はお前の担任でもカウンセラーでもないさ。でもお前のことはこの学校で一番知ってる自信がある。お前の秘密だって、今までちゃんと隠し通してきたんだ。これからも漏らすつもりはない。なあ、どうしても、話せないことなのか?」
「……何もありません。今回は調子が悪かったんです」
とりつく島もない。
まるで消え入りそうなか細い声だけが、木原が示してくれる態度だった。
その後も、俺は何度も木原の本音を聞き出そうと奮闘を続けたが、一向に木原は心を開いてはくれなかった。
「……目くらい合わせてくれよ。頼む」
「……」
木原の顔はうなだれたまま上がらない。
俺はチラリと腕時計を眺めた。
この不毛な面談が始まってから、既に一時間が経とうとしている。
……もう、俺にはどうしようもないのかもしれない。
「……こんなことになってしまったのが俺と勉強したせいだったなら、理科部を休止するっていう選択肢もある。俺の教え方が良くなかったっていうなら、そう言ってくれ。改善する」
疲れてぽろりと弱音を吐くと、不意に木原が細く息を吸った。
「一つ、質問しても良いですか?」
「! あ、ああ」
机に少し身を乗り出し、絶対に言葉を聞き漏らさない姿勢を押し出す。
相変わらず彼女の声に感情を見出せはしなかったが、ついに歩み寄ってくれたチャンスを無駄にするわけにはいかない。
木原は口だけを動かして言った。
「この前の休みになった月曜日なんですけど、先生何してたんですか?」
「……へ?」




