5.「野良猫と話をしてみよう」-2
木原の助けも得て無事に野良猫と和解した後、俺たち二人と一匹はコミュニケーションの流れをなんとか確立した。
「そいで猫さんはどんな猫なんだ?」
「そうね、親のところを離れてからは一匹で生きてきたわ。 ちゃんと肉もついててしっかりしてるでしょ?」
「確かに、ご飯はちゃんと食べられてる感じがしますね」
「カラスが何羽来たって餌の取り合いに負けたことはないわ」
「俺にも容赦なく爪を立ててきたくらいだしな」
「あれは悪かったわよ。突然人間がしゃべるからびっくりしたんだもの、許してちょうだい?」
「いやもう良いけどさ。よく考えてみれば俺も突然猫が人語を使い出したらびびり散らかすに決まってるしな」
どうも野良猫の世界というのは飯・家族・戦い・休息の四項目から成り立っているようで、それ以外のことを話題にしてもいまいち反応が悪かった。対して自分の知っている領域に関しては相当に饒舌だったから根掘り葉掘り聞いてみれば、どうやらこの猫はこの辺のボス猫かそれに近い立場にいるらしい。
わりかし身体の大きい人間である俺に対しても堂々と喧嘩を挑めたというのは、その辺りの自信が作用しているのだろう。
「で、猫さんはまたどうして学校なんかまでやってきたんだ?」
聞くと、野良猫はぴょんと飛び上がってその場であわあわと回り出した。
「いけない! こんなことしてる場合じゃないんだった!」
「どうしたんですか?」
「私の餌場が、悪い人間に荒らされて大変なの!」
表情こそ種族の違いからか読み取れないが声色からは明らかに焦りがにじみ出ていて、思わず俺と木原は顔を見合わせた。
どうにも彼女にはのっぴきならない事情があるらしい。
「というと?」
「さっき、寝てたら突然青い毛皮を着た人間が沢山やって来て、餌も寝床も全部ひっくり返していったの! 攻撃しても全然効かなくて、どうしようもなくて逃げてきたのよ!」
「それは大変ですね」
木原が同情を示した直後、野良猫は俺たちに向かって平伏する姿勢をとった。
自然と上目遣いになったつぶらな瞳が揺れている。
「お願い! おなじ人間なら人間を追い払えるでしょ! 私の餌場を取り戻したいの、手伝って!」
……なるほど、そういう展開になるのか。これはまるで、
「RPGのクエストみたいだな」
「あ、あーるぴー?」
「人間の遊びです」
横から木原が補足してくれたがやはり理解できなかったようで、野良猫はその場でブルブルと身震いしてから開けっぱなしだった窓の方に視線を向けた。
「そ、そのあーるぴー? ってのはどうでもいいから、ついてきて!」
ついてきて、というのは、「青い服を着た人間を追い払ってくれ」という頼みを断られると想定していないが故の言葉選びなのだろう。
どうするか悩んでいると、横で木原がおもむろに立ち上がった。
「行きましょうよ先生、楽しそうですし」
「軽く言うなぁ」
「せっかくですし楽しいことしたくありません?」
「ってもな、大人が何人もいるような場所に突っ込んで話を付ける勇気はないぞ」
頭を掻きながらそう伝えると、木原はあからさまに唇を尖らせた。
「えー、私先生のカッコイイところ見てみたいです」
「俺が一人で片付ける前提で話してないか?」
カッコイイところ、と言ってくるあたり、おそらく木原はこの事態を完全に俺に放り投げるつもりらしい。
俺は木原一人を楽しませるために先生をしているわけではない。最近の木原は俺のことを何らかのエンタメ装置だと思っているのだろうか、やたらカジュアルにカラオケに誘ってきたりするから手に余る。
それに、俺の予想が正しければ、この事態はそんなに単純なものではないというか、むしろ俺たち人間の方が解決するのに困る問題であるはずだ。
「もし不良と喧嘩とかすることになっても、ほら、私が改変で先生を強くするって手もあります」
「あのなぁ。そういう話じゃないんだわ」
目を輝かせて正面戦闘を提案してきたのをため息でもって撃ち落として、俺は木原を説得することにした。ただ、話して聞かせる内容は野良猫自身にとってはすこしかわいそうなものにも思えたので、俺は木原の耳元に口を近づけて声量を絞った。
「これは猫ちゃんの手前大きな声では言えないけどな、俺の予想だと青い服を着た人間ってのはきっと清掃作業をしてるだけなんだろうって思う。野良猫の餌場なんてゴミだまりがせいぜいだろうし、街中にあるってんなら掃除の手が入ってもおかしくない」
「あ、確かに」
考えもしませんでした、と木原はしゅんとしてしまった。
まあ、そうやって現状を理解してくれたのなら俺の方にももう現地に向かうことへの障壁は残っていない。
「マジでただ荒らされただけって可能性も捨てきれないから、現地に行くことは行くけどさ」
「行って、もし私たちにもどうしようもなかったらその後はどうするんですか?」
「それはその時だな。保健所に送るとかは選択肢になるだろ」
保健所とは言ったものの、おそらく木原の性格からして自分だけ帰ることはしないだろうから、彼女がなんとかするのだろうとは思う。
「早く、人間!」
「行くぜ」
窓際から野良猫が待ちきれないと叫んできたので、俺と木原は立ち上がり、窓から直接外に出た。
野良猫の誘導に従って街を歩き、裏路地を辿り、俺たち人間には通れない塀の上などは迂回して、としているうちに、どうやら目的の場所に辿り着いた。
予想通り、裏路地の奥隅にあったその場所は、五、六人の青い作業着を着た清掃員たちの手によって整備されているところだった。
既に掃除は粗方片付いてしまったのか、ゴミの残りは殆ど見当たらない。
その光景を目にして、野良猫から悲鳴が上がった。
「わ、私の餌場がー!」
帰ってきたら跡形もなく住処が破壊されていたのだから、まあそういうリアクションが自然か。
「なんとかして、人間!」
「……あれは、俺たちにも無理だ。強すぎる」
「そ、そんな。歳を食った人間ばかりでしょ、若いオス人間なら大丈夫だって信じてたのに」
「数には勝てないんだ、ごめんな」
「う、うわぁぁん」
とうとう野良猫は足下で泣き出してしまった。
木原が抱き上げてよしよしと頭を撫でているが、しばらくは立ち直る気配がない。
さて、問題はここからだ。一度関わってしまった以上、このまま見捨てていくわけにもいかない。そこまでは俺も木原もおそらく共有できるものの見方だが、次に具体的に提案する解決策は異なってくるだろう。
そして、おそらく木原の示す案の方が野良猫を案じたものになるはずだ。
「で、これからどうしようか。一応俺としては保健所に頼るべきだろうとはさっき言ったけども」
木原は少し考えてから、「先生」と小さな声で呟いた。
「私、この子ウチに連れて帰ります」
果たして、木原の口からはより野良猫にとって優しい選択肢が提示された。
俺にしてもその案に否は付けようがないので、予定通りに引き下がった。
「そうか……ちゃんと親御さんと話し合えよ」
木原はそれを聞いて、きゅっと唇をすぼめた。
突然夕焼けに染まる裏路地に沈黙が降りた。
何か、口にしては不味いことを口にしてしまっただろうか。
「……木原?」
名前を呼ぶと、木原ははっと顔を上げた。
「……そうします」
「おう。……無理はすんなよ」
「はい」
木原は笑って俺に答えた。笑っている中で彼女がほんのわずかに目を伏せたのを、俺は指摘しないように気をつけた。
その後木原と野良猫は話し合い、どうやら野良猫は飼い猫になることに合意したらしかった。木原が野良猫改め飼い猫(予定)を胸に抱きかかえ、学校に一度戻ることにする。
道中で、木原がおもむろに聞いてきた。
「先生、この子に名前つけてもらえますか?」
「ん? 俺が付けて良いのか? 木原が飼うんだろ?」
「先生に付けて欲しいんです」
何か思うところがあるのか、木原の言葉には少し力がこもっていた。
俺は十秒くらい考えて、猫の身体の色から一つの名前を思いついた。
「じゃあ、ルツ」
ルツ、ルツ、と何度か口の中でその名前を転がしてから、どうやら木原は納得がいったようで、小さく頷いた。そして、胸の中の黒猫に話しかけた。
「いい、あなたはこれから、ルツだからね」
「どういうこと? 私は私よ?」
「私があなたのことを、メス猫、じゃなくて、ルツ、って呼ぶよって意味。他のメス猫と間違えたくないから。覚えてね、ルツ」
「わかったわ」
ルツはぐるる、と喉を鳴らした。木原はその返事に満足したらしく、そっとルツの頭を撫でた。




