1.「空飛ぶ絨毯」-1
息抜きに書き溜めてきたものがそれなりにまとまったので書けた分だけ投稿します。
中編(予定)です。
結末は未定ですが、ラブコメと言えるのは最初だけになるかもしれません。
今日は九月二十日、先週行われた第二回定期テストが終わったあとの最初の月曜日だ。俺、榊原誠(生徒にはさかき先生と呼ばれている)は、週末に徹夜して採点した二年四組の答案が入った茶封筒を机から拾い上げ、答案の最終チェックを済ませた。
今日はテスト返却の日だ。俺たち高校教師にとってテスト返却とは、普段手を焼く可愛くも憎たらしい生徒たちが点数に一喜一憂し阿鼻叫喚する姿を眺めることができる、最高級の娯楽の一つである。
ただし、新米教師の俺の場合は決してそうじゃない。むしろ、間違いなく苦悩の種になっている。
(落ち着け、焦るな、あんだけ確認したんだ今更間違いが起こるわけがない)
浮ついた空気の教室のドアの前で一度息を吸って、覚悟を決める。このクラスだけは、他に比べて数倍レベルの集中をもって教壇に立たなければならない。
威勢良くドアを開け放つ。
「おはよう諸君! 化学のテスト返すぞぉ!」
教室に踏み入りひと声飛ばすと、チャイムが鳴った後なのにガヤガヤしていた生徒たちはすんなりと席に戻っていった。普段からそれくらい素直でいてくれたらどれほど楽だろうと思う。
まだ二十三歳の俺とは年齢が近いせいか、生徒たちは俺とかなり近い距離感で接してくる。言い換えるなら、舐められている。
……まあ、このクラスに関しては間違いなく特定の原因があるんだが。
「先生クマやばくない?」
近くの生徒が俺のことを心配してくれたのか、声をかけてくれた。
この子は良い子だ、授業態度の評点を上げておこう。公私混同だなんて批判は知ったことじゃない。
クマがやばいのは主に採点業務が過酷に「させられている」せいなんだが、それを口にすることは俺には許されていない。
だからせめてもの反撃として、俺はある女子生徒の方にガンを飛ばしながら答えることにした。
「そりゃこちとら採点に命懸けてるからな、お前らが大量に間違えるせいで色々大変なんだよ」
俺に睨まれたその生徒は、ツンとすまして俺を見返した後、すぐ興味を失ったようで顔を伏せた。
食えない奴だ。腹立つ。
「休んだらいいじゃん、テストなんて忘れてさ」
「俺が休もうが学級閉鎖になろうが例え隕石が降ってこようがどうせいつかテストは返ってくるんだから諦めろ。よっしゃ、問題の解説始めるぞ、問題用紙出して最初のページ開けー」
「解説じゃなくて先に返してよせんせー!」
「うるせぇ、お前らがもがき苦しむ姿を眺めて楽しむことの何が悪い! せいぜい震えて解説を受けるんだなぁ!」
俺は不満の声を上げる生徒たちを圧するようにして黒板をチョークで叩き、問題の解説を始めた。
たっぷり生徒たちの顔色がめまぐるしく変わるのを堪能してから、俺はテストを全員に返却した。
時計を見ると、ちょうど授業終了の五分前だった。そろそろまとめに入ろう。黒板に数字を二つ記入する。
「学年最高点は100点が一名。平均点は60.3点、従って赤点は30点。クラス平均は65くらいだったからお前らマジ優秀だったぞ、頑張ったな」
学年全体の化学を受け持つ俺が集計した情報を公開したことで、教室は一層の盛り上がりを見せる。俺は、その輪の中心に居ながらもすました顔を崩さない一人の生徒に向けて事務連絡を発した。
「あと木原、お前テストと教科書資料集一式持って放課後に準備室来いよ。理由は分かってんだろうな」
「はーい」
教室の窓際三列目の席に座って周りを友人に囲まれた彼女は、俺の指示に驚く様子もなくあっさりと答えた。彼女の名前は木原香織。入学以来全ての定期テストにおいて全科目満点を叩き出し続けており、この高校史上最も優秀な生徒だと評されている。
で、とある理由があって、俺と木原の間には切っても切れない個人的な繋がりが生じている。授業の後に呼び出すのも、もうかなりの回数がかさんできた。
それを茶化すようにして元気の良い男子生徒からヤジが飛んできた。
「またー? さかき先生木原のこと好きなんじゃねーの?」
「うるせえ! ほんとは俺だってこんなことしたくねえんだよ!」
やらかしたと気付いたのは男子生徒がにやついた顔で「じゃあ」と口にしたタイミングだった。
「じゃあ100点の木原をなんで呼ぶんすか?」
しまった、勢いに任せて変に踏み込んでしまった。この質問には、どうしても答えられない。隠さなくてはならない、木原の秘密の核心に触れることになる。
「それはっ、えっと、だな」
(どうすれば……っ)
言葉に詰まったその時だった。
突如俺の視界が極彩色に染まり、鋭い痛みが眉間に走った。数秒間続く脳がチカチカする感覚に、俺は言葉をつなげられなくなった。
そしてその現象は始まった時と同じように何の前触れもなくぱたりと止む。
我に返った瞬間に、俺はこの数秒間の地獄の結果を把握した。
きーんこーんかーんこーん。
10時26分40秒にチャイムの音が、おそらく時間通りに鳴っている。
そして、さっきまであれほどうるさかったはずなのに、誰も何も喋らない。
静寂を切り裂くように、木原の声が教室に響き渡る。
「───ほら、私のいつもの個人授業のためだよ、当然でしょ?」
「そうだな、それなら先生に呼び出されるのも普通だな」
さっきまで俺と話していた男子生徒は、感情の抜け落ちた顔で淡々と答えた。
(……やったな)
いつものあれだろう。
何が起こったかなんて、もう分かりきっている。
チャイムが鳴ったことを察知した学級委員の生徒が号令を発し、そして俺は不自然に静かになったままの教室を後にすることになった。
☆ ★ ☆
そして、放課後。
理科年表やら電卓やら色々用意して化学準備室で待ち構えていると、いつもの時間から少し遅れて木原がやって来た。
「木原です、失礼します」
「入って良いぞー!」
木原は職員室に入る時や何かの用事で教員と会う時はいつも律儀にドアを三回ノックし、許可をもらった後はドアを開けてその場で丁寧な礼をする。世間一般に相当の美少女の括りに入る木原がそうしている姿は教師陣の中でも非常に好評で、学年主任の狸先生によれば圧倒的な成績も加味した上で二年連続の優良生徒の表彰は既に既定路線らしい。裏の事情を知る俺としては、なんとも言いがたい話だが。
ドアが音を立てて閉まった瞬間に、木原は俺の前以外ではおそらく浮かべることはないであろう表情を顔いっぱいに浮かべてきた。
「さっきぶりですねさかきせんせ、最後危なかったですねー」
木原はそう言っておどけてみせる。顔は満面の笑みで、教室での澄ました姿とは完全に別人だ。
「やっぱお前チャイムの時間早めたんだな」
「はい、咄嗟の判断だったんですけど上手くいって良かったです」
「そっか、ありがとな。すまんかった」
二人の秘密が守られたことにひとまず安堵していると、笑顔のまま木原が爆弾を投下した。
「あ、あとついでに念には念を入れて『チャイムが鳴った瞬間から私以外の生徒はさかき先生と話してはいけない』ってルールも追加しときました」
「……え、ちょっと待て酷くね? 俺今後生徒と休み時間に会話できないの?」
「そうですね、これから一生先生の話し相手になれるのは私だけです」
「今すぐ戻してくれ頼む」
「えー、だって楽しいじゃないですか」
「泣くぞ」
木原が「泣いてる先生を鑑賞するのも乙な物かもしれませんね」と冗談か本気か分からない表情で呟くものだから、俺は人生ハードモードにされてはたまらないと慌てて土下座をかました。
「マジで戻してくださいお願いします」
「そうですねー、どうしてもって言うなら、先生がイケボで私に「もう君のことを離さないよ」って言ってくれたら気が変わるかもしれません。本当は嫌なんですけど、特別ですよ?」
「……何だよその大学生が好きそうな罰ゲーム」
「……私壁ドンも結構見たいんですけどどうしますか?」
「やらせて頂きますこんちくしょう!」
さらなる脅しに屈した俺は、大学時代に一ヶ月だけ所属した飲みサーでの薄っっすい経験を駆使すべくん”ん”っと咳払いをした。
大人が高校生にこんなことをさせられている構図は絶対にオカシイが、既に抵抗することははるか昔に諦めている。
───もう、君のことを離さない。
「きゃー! 先生かっこいいー!」
「棒読みなの丸わかりなんだよなぁ! さあ俺は言ったぞ! 戻してくれ!」
「はーい」
きーん。
すぐにいつもの頭痛が襲ってきて、俺は思わず近くの古びた椅子に崩れ落ちた。
「うゲェ……」
「戻りました。あとついでに二限のチャイムも十時半に戻しときました」
「ありがとうな……俺も慣れてきたとはいえこれ結構キツいんだぞ、お前も一回味わえよ。人の苦しみを知ることも成長だぞ」
「そんなことになったらそのキツさごと世界から消し去ります」
「このご都合主義系超能力者が」
「やだなぁ、褒めても何も出ませんよぉ」
「今どこが褒めてると思ったんだむしろ……」
そう。
崩れ落ちた俺を見下ろしながら前髪をくるくるといじっている木原は、現実を書き換えることができる超能力者だ。
聞けば、幼い頃に魔女と名乗る人物からその能力を授かり、以来色々な自然現象や常識に手を加えて遊んできたらしい。
曰く、「人の気持ち以外なら大体のことはいじれます」だそうだ。実際俺の目の前でペンを宙に浮かべたこともある。その時は『ペンは空気より軽い』と世界のルールを書き換えたと言っていた。物理法則さんが助走を付けて殴りかかってきそうな改変なのに、大体のことはつじつまが合うように調整されてしまうというのだからぶったまげる。
もう一つ衝撃的だったのが、『2 + 2 = 5である』というように、常識どころか普遍的事実すらも彼女の能力の及ぶ範囲であるということだ。ひとたび木原がそう宣言してしまえば全世界の人間から電卓から、果てはそろばんのようなアナログ機器まで、あらゆる手段を用いた計算結果が「2+2=5」を示すようになる。それでいて、一切の矛盾は生じない。もう意味が分からない。
だがしかし。
まるで世界そのものを調整できてしまう彼女は、その力を大それたことには一切使わない。「そういうのは小学校の頃に散々やってもう飽きちゃったんですよね」と笑いながら語られた時には思わず変な汗をかいたが、確かに俺がこの高校に着任してからの半年間、木原が世界の支配者になったみたいな話は一切なかった。
そんな彼女が何に力を使うか。
それが、俺が理不尽に振り回され、苦しむ要因になっている。
俺はさっき崩れ落ちたソファに深く座り直して肘掛けに両肘をつけ、精一杯の威厳を込めて木原の目を睨んだ。
「それじゃあ改変したところを洗いざらい吐き出してもらおうか」
「逆に先生予想だといくつですか?」
木原はドゥルルルルと下手くそなドラムロールをかましながら俺の周りを歩き回る。
「三個。結構自信あるぞ。前回よりは少なかったな」
一周したところで「ばぁん」という気の抜けた音と共に正解が発表された。
「おっしい、四個です」
「っあああああ採点ミスでまた回収じゃねえか!」
「頑張ってください、模範解答これですから参照してくれて良いですよ」
「コピー取って来ます……」
俺にしばらく休みが来ないことがこれで確定した。畜生。
木原の手でひらひらしていた彼女の答案をひったくって、俺はコピー機の置かれた資料室に向かった。




