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知らぬ神よりポケットの端末 〜寄り道ばかりの日本旅〜  作者: こむぎ
第一章 知らぬ神と旅に出るまで
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第七話 居場所と帰る場所

最終便 出航済み。


港の掲示板に出ていたその文字を、私はしばらく見つめたまま動けなかった。

スマホでも一応確認する。画面をスクロールして、フェリー会社のサイトを開いて、時刻表を見る。でも結果は同じだった。最終便はもう出ている。島の外に出る船は、今日はもうない。


『帰れぬの』


しろが横で言う。


「帰れない」


言葉にすると、少しだけ現実感が出た。港の向こうの海は、もう夕方の色になっている。昼間は明るい青だったのに、今は少し暗くて、光も柔らかい。太陽が落ちかけているせいか、海の色も静かに見えた。


みこは隣で普通に海を見ていた。


「じゃあ泊まればいいニャ」


「軽く言うな」


港の柵の上に猫が座っている。尻尾をゆっくり動かしながら、こちらを見ているわけでもなく、ただ海の方を眺めていた。昼間は観光客に囲まれていた猫たちも、今は落ち着いた顔をしている。島の空気が少し変わった気がした。


観光地の時間が終わったらしい。


島の日常の時間が始まっている。


私はもう一度スマホを見る。どう考えても帰れない。さすがに港で野宿するわけにもいかないし、猫の島で猫と一緒に夜を明かす勇気もない。


「宿、あるかな」


『島じゃから民宿くらいあるじゃろ』


港の近くの案内板を見ると、小さな宿の名前がいくつか書いてあった。電話番号もある。試しに一つかけてみると、少し年配の優しそうな声が出た。


「今日は泊まれますか」


少し間があってから、「大丈夫ですよ」と返ってくる。


こうして、予定外の猫島一泊が決まった。


民宿は港から少し歩いた場所にあった。木の看板が出ていて、玄関の引き戸を開けると、畳と木の匂いがした。都会のホテルとは全然違う空気で、どこか誰かの家にお邪魔しているような感じがする。


部屋は畳の部屋で、窓から海が見えた。港の灯りがぽつぽつと点いていて、昼とは違う落ち着いた景色になっている。遠くでフェリーの音が少し聞こえた気がしたけど、それもすぐに消えた。


「猫島で一泊か」


予定にはなかったはずなのに、不思議と悪い気分ではない。


『旅らしくてよいではないか』


「予定外だけど」


荷物を置いて少し休んでから、外に出た。


夜の田代島は、昼とまるで別の場所みたいだった。昼間は観光客の声やカメラのシャッター音があちこちで聞こえていたけれど、今はほとんど何も聞こえない。家の灯りがぽつぽつと点いているだけで、遠くの海の音がゆっくり続いている。


街灯も多くないから、道は暗い。でもその暗さが不思議と落ち着く。都会の夜みたいに明るすぎないから、海の匂いとか風の冷たさとか、そういうものがちゃんと感じられる。


でも猫はいる。


道の端に座っている猫。家の前で丸くなっている猫。ゆっくり歩いている猫。昼間みたいに人に囲まれていないからか、どの猫も落ち着いている。


「夜の猫ってこんなに静かなんだな」


『猫は元々夜に動く生き物じゃ』


足元を一匹の猫が通り過ぎた。逃げるわけでもなく、寄ってくるわけでもなく、ただ自分のペースで歩いていく。


「自由だな」


「猫は自由ニャ」


みこが言う。街灯の下で、尻尾がゆっくり揺れていた。


そして、海を見ながら小さく言った。


「ここ、いいかも」


その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ引っかかった。


たぶん、さっきの話のせいだ。


神の居場所。迷い神。


昼間の猫神社を思い出す。小さな神社だったけど、ちゃんとお供え物があって、猫の像が並んでいて、この島では本当に猫が大事にされている。


もし神が居場所を持つなら、ああいう場所なんだろう。


「なあ」


私は歩きながら言った。


「神様ってどうやって生まれるの」


しろが少し考える。


『いろいろじゃ』


「いろいろ?」


『人が信じることで生まれる神もおる。山や川のように自然から生まれる神もおる。長い時間の中で、形を持つ神もおる』


みこが言う。


「吾輩は猫から生まれた気がするニャ」


「気がするって」


「覚えてない」


しろが続ける。


『神にはな、居場所があるものじゃ』


「居場所」


『神社だったり山だったり川だったり。信仰がある場所に神は根付く』


私は少し考える。


「じゃあ」


「迷い神って?」


しろが静かに言った。


『居場所をなくした神じゃ』


その言葉が、頭の中に残った。


猫が道を横切る。海の音が続く。なぜか、胸の奥が落ち着かない。


神様にも居場所がある。逆に言えば、居場所をなくすこともある。迷うこともある。


なんとなく、人間と似ている気がした。


みこがまた言う。


「ここ落ち着くニャ」


私は返事をしなかった。


もしここに残るって言ったらどうするんだろう。


旅って、ずっと一緒に続くものだと思っていた。

でもよく考えれば、そんな約束は最初からどこにもない。


途中で誰かが残ることもある。

途中で別れることもある。


民宿に戻ると、廊下の灯りが暖かい色をしていた。外の暗さから戻ってくると少し安心する。部屋には布団が敷かれていた。窓の外は真っ暗で、海の音だけが聞こえる。


布団に入る。


でも眠れない。


さっきの会話が頭の中でぐるぐる回っている。迷い神。居場所。みこ。


もしここに残るって言ったら。


外で猫が鳴いた。


海の音が続く。


私はなかなか眠れなかった。


朝。


港に向かう。空は晴れていて、海が昨日より明るい色になっている。


フェリー乗り場のベンチに座る。


みこが言う。


「吾輩ここに残るニャ」


やっぱりそう言うと思った。


「そう」


それしか言えなかった。


フェリーが来る。船に乗る。席に座ると、島がゆっくり遠ざかっていく。


猫の島。昨日の夜の静けさ。海の音。全部少しずつ小さくなっていく。


石巻に着いて、次の目的地に向かう。


金華山黄金山神社。


金運の神社がある島らしい。


フェリーで島に渡ると、すぐ山の空気を感じた。海の匂いと、少し湿った森の匂いが混ざっている。


階段と坂が続く。

思っていたより長い。


木が高くて、空がほとんど見えない。

風もあまり通らないから、歩いているとすぐに息が上がる。


「きつい」


『修行じゃな』


途中で息を整える。


夜のことを思い出す。


みこは今頃どうしているんだろう。猫と一緒に歩いているのか。猫神社にいるのか。


そんなことを考えながら、また歩く。


やっと神社が見えた。


想像よりずっと立派だった。静かな空気がある。


参拝する。


賽銭箱の前に立ったとき、なぜか少しだけ迷った。金運の神社なのに、お願いすることが思いつかない。


結局、普通に手を合わせた。


帰り道を歩く。


坂を下りながら、夜のことをまた思い出していた。


居場所。迷い神。


フェリーに乗る。席に座る。海が広がる。


隣を見る。


猫耳。尻尾。ジュース。


「一緒に旅するニャ」


私はしばらく黙った。


「残るんじゃなかったの」


「やっぱり迷った」


『迷い神じゃからな』


私はため息をついた。


でも少しだけ笑ってしまった。


海の向こうに、さっきの島が小さく見えている。


旅は、まだ続くらしい。

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