第五話 知る神と知らぬ神
朝、目が覚めると部屋の中は静かだった。カーテンの隙間から光が入っていて、外がもう明るいことが分かる。山の宿の朝は都会と少し違う感じがする。車の音もあまり聞こえないし、遠くで鳥が鳴いているくらいで、時間の流れがゆっくりしている気がする。
「……朝か」
『よく寝ておったな』
「温泉入ったからかも」
布団から出ると少し肌寒い。窓を開けると山の空気が入ってきて、昨日の夜とはまた違う匂いがする。少し湿った木の匂いというか、森の空気というか、東京ではあまり感じない空気だ。
身支度をして、荷物をまとめて宿を出る。
「いい宿だった」
『うむ』
「帰りたくない」
『昨日も言っておったな』
「もう一泊」
『金が消えるぞ』
それは困る。
名残惜しいけど歩き出す。今日はもう東京へ帰る予定だけど、その前に一つだけ寄りたい場所がある。
スマホを見る。
「ここ」
『どこじゃ』
「大湯環状列石」
『石か』
「石」
名前だけ聞くと地味だけど、縄文時代の遺跡らしい。石が円形に並んでいる場所だと説明が書いてあった。
バスに乗る。
山の道をしばらく進むと、景色が少しずつ変わっていく。田んぼがあって、川があって、遠くに山が見える。建物も低いものが多くて、空が広く感じる。
「東京と全然違うな」
『人が少ないのう』
「そのぶん落ち着く」
しばらく揺られてバスを降りる。そこから少し歩くと、開けた場所が見えてくる。
草地の中に石が並んでいる。
円を描くように。
思っていたより広い。
「……ほんとに石だ」
『石じゃな』
近くまで行くと、石はただ適当に置かれているわけじゃなくて、きれいな円を作っているのが分かる。中心から外に向かって広がるように並んでいて、何か意味がある配置に見える。
説明板を見る。
縄文時代の祭祀の場所だとか、太陽や星と関係しているかもしれないとか、いろいろ書いてある。でも正確なことは分かっていないらしい。
石の周りをゆっくり歩く。
風が吹く。
草が揺れる。
周りには人も少なくて、静かな場所だ。
「なんか不思議だな」
『昔の人間もここに集まっておったのじゃろう』
何千年も前に、ここに人がいて、石を並べて、何かをしていた。そう思うと少し変な気分になる。
そのとき、しろが小さく言った。
『……少し懐かしい気配がする』
「神様関係?」
『かもしれぬ』
それ以上は何も言わない。
私はもう一度石の輪を見る。風に揺れる草と、静かに並ぶ石。理由は分からないけど、神社にいるときと少し似た空気を感じた。
近くに資料館もあったので入ってみる。
中には縄文土器や石器が展示されていて、当時の暮らしの説明もある。土器の模様は思っていたより細かくて、意外と手間がかかっていそうだ。
「縄文人すごいな」
『人間は昔から器用じゃ』
展示を見ていると、石の輪の模型もあった。上から見るときれいな円になっていて、やっぱり何か意味がありそうに見える。
しばらく見てから外に出る。
空を見ると少し雲が増えていた。
「さて」
『次はどこじゃ』
「温泉」
『温泉』
「乳頭温泉郷」
名前だけ聞くとちょっと驚くけど、有名な温泉らしい。
山のほうへ向かうバスに乗ると、景色がまた変わっていく。木が増えて、道も少し細くなる。観光地というより、山の中に入っていく感じだ。
やがて温泉の建物が見えてくる。木造の宿と、立ち上る湯気。空気の中に硫黄の匂いが混じっている。
「あ、温泉の匂い」
『独特じゃな』
日帰り入浴ができるらしいので入ることにする。
服を脱いで風呂に入ると、湯は白く濁っていた。底が少し見えないくらいで、湯気も立っている。
足を入れる。
「あつ」
でも気持ちいい。
肩まで沈むと体が一気に温まる。昨日歩いた渓谷とか、移動の疲れとか、全部がゆっくり抜けていく感じがする。
露天風呂もあったので外に出てみる。
山の景色。
白い湯気。
静かな森。
「これはいいな」
『旅の締めとしては上等じゃ』
しばらく湯に浸かる。
何も考えない時間というのも、たまにはいい。
風呂を出て休憩所で牛乳を買う。腰に手を当てて飲むと、妙に美味しく感じる。
「これ定番らしい」
『その飲み方も定番じゃな』
時計を見ると夕方が近い。
「そろそろ帰るか」
『東京か』
「うん」
駅へ向かう。
新幹線に乗る。
席に座ると少しほっとする。旅の帰りの新幹線は、行きよりも落ち着いた気分になる。少し疲れているけど、満足している感じだ。
窓の外の景色が流れていく。
「秋田よかったな」
『うむ』
「湖もきれいだったし」
『魚もおったな』
「渓谷もすごかった」
『クマを怖がっておったが』
「あれは怖い」
しばらくして、隣を見ると、しろがスマホをじっと見ていた。指で画面をつついている。
「なにしてる」
『写真じゃ』
「写真?」
画面を見ると、田沢湖の写真とか、ヒメマスに餌をやったときの写真とか、渓谷の滝の写真とかが並んでいる。
『これを世に広めようと思ってな』
「待て」
『む』
「何する気」
しろは少し誇らしげに言った。
『この「えすえぬえす」というものに載せれば、皆がこの景色を見ることができるのじゃろう』
「なんで知ってるの」
『昨日調べた』
成長が早い。
しろはもう投稿画面まで開いている。コメントの欄にはすでに文章が打ち込まれていた。
『「秋田は良いところじゃ。湖も魚も美しかった。神もおすすめ」』
「やめろ」
『なぜじゃ』
「神がおすすめしてどうする」
『宣伝になるではないか』
「ならない」
そもそも神がSNSをやるな。
私はスマホをそっと閉じた。
「これはダメ」
『なぜ』
「まずアカウント作ってない」
『そうなのか』
「あと勝手に投稿しない」
『難しいのう』
しろは少し不満そうに窓の外を見た。新幹線の外では山が流れていく。
『だが写真は良く撮れておる』
「それは認める」
画面をもう一度見る。湖の青い色とか、渓谷の滝とか、確かにきれいに写っている。
「帰ったら整理する」
『載せてよいのか』
「普通の写真だけ」
『神は隠すのか』
「当然」
しろは少し考えてから言った。
『神も意外と不便じゃな』
「今さら気づいた?」
少し考える。
「次どこ行く?」
『日本は広いぞ』
「北もいいけど、西も気になる」
『ゆっくり回ればよい』
そんな話をしているうちに、新幹線は東京へ近づいていく。
駅に着く。
人が多い。
「急に都会だ」
『人の数が違うな』
家に帰る。
玄関の前に立つ。
「ただいま」
鍵を開ける。
扉を開ける。
電気をつける。
そこで止まった。
ソファに、知らない少女が座っていた。しかも勝手に冷蔵庫のジュースを飲んでいる。
猫耳。
尻尾。
こちらを見ている。
私は固まる。
「……誰?」
少女は普通の顔で言った。
「遅かったね」
隣で、しろが小さく呟いた。
『……なぜここにおる』
私はそちらを見る。
「知り合い?」
猫耳の少女はにこっと笑った。
「はじめまして」
尻尾がゆっくり揺れる。
「私は神様」
私は少し考えてから言った。
「……また?」
少女は嬉しそうに頷いた。
「うん。また」
私は天井を見上げた。




