第十九話 静けさとまだ言わないこと
「ここ……なんか違うニャ」
めぐが小さく言う。
目の前に広がるのは、出雲大社へ続く長い参道だった。真っすぐに伸びた道の両側には松の木が並び、その枝がゆるやかに重なって、空を細く切り取っている。
砂利を踏む。
じゃり、と乾いた音が足元から広がる。その音が、思っていたよりも遠くまで伸びていく。
「音、響くニャ……」
みこが少し声を落として言う。
「ここは、そういう場所じゃ」しろが答える。
その声は、いつもより少しだけ低かった。
めぐは少しだけ視線を横に向ける。でも、何も言わない。そのまままた前を見る。
参道を歩く。砂利の感触は場所によって少しずつ違い、細かいところはさらさらと流れるようで、少し大きな石が混ざる場所では、足裏に確かな重みが伝わる。
空気が、少し乾いている。
沖縄の湿った空気とは違う。肌にまとわりつかない分、風がそのまま通り抜ける。
松の匂いがする。ほんのりとした青い香りと、土の匂いが混ざって、鼻の奥に静かに残る。
遠くから、鈴の音が聞こえる。
一定ではない。風に揺られて、時々、思い出したように鳴る。
めぐは歩く速度を少しだけ落とす。
「……落ち着くニャ」
「落ち着くというより、整う感じじゃな」しろが言う。
「なにそれ」
「そのままじゃ」
それ以上、しろは説明しなかった。
参道を進むにつれて、人の声が少しずつ減っていく。観光客はいるのに、どこか遠い。話し声も笑い声も、強く響かない。
まるでこの場所に合わせて、小さくなっているみたいだった。
大きな鳥居が見える。
その手前で、めぐは一度足を止める。
見上げると、木でできたその鳥居は思っていたよりもずっと大きく、空との境目をゆっくり区切っていた。
風が吹く。
鳥居の向こうから、空気が流れてくる。
「……行くニャ」
誰に言うでもなく、めぐが小さく言って、一歩踏み出す。
その瞬間、空気が少しだけ変わる。
重くはない。でも、はっきりと違う。
みこが小さく息を呑む。「あ、なんか……変わったニャ」
しろは何も言わない。
ただ、少しだけ目を細めていた。
境内に入る。
砂利の音が少しだけ柔らかくなる。木々の間から落ちる光は丸く、影もはっきりしすぎない。
正面に大きな社が見える。
しめ縄が、思っていたよりもずっと太い。
ねじれた縄が重なり合い、その下に垂れた紙垂が風に揺れるたび、かすかに音を立てる。
めぐはしばらく見上げたまま、動かない。
「……大きいニャ」
「うむ」
しろの返事は短い。
みこが少しだけ前に出て、手を合わせる。めぐもそれに倣う。
手を合わせた瞬間、周りの音が少し遠くなる。
風の音だけが残る。
何かを願う、というよりは、ただそこにいる感じだった。
手を下ろす。
「何もお願いしなかったニャ」
「それでよい場所じゃ」
しろが静かに言う。
めぐは少しだけ首を傾げる。
「しろ、ここ知ってるニャ?」
少し間が空く。
風が吹く。
しろはすぐには答えなかった。
「……まあ、知らんでもない」
「どっちニャ」
「さあな」
それ以上は言わない。
でも、さっきまでよりも、ほんの少しだけ距離を感じた。
めぐはそれをそのままにして、もう一度社を見上げた。
しばらくして、三人は境内を後にする。
参道を戻るとき、来たときと同じ道なのに、少しだけ違って見えた。
砂利の音、風の流れ、木の影。
どれも同じはずなのに、さっきよりも少しだけ軽い。
「さっきより普通ニャ」
みこが言う。
「出たからの」しろが短く答える。
そのまま歩いて、海へ向かう。
しばらく進むと、視界が開ける。
目の前に広がるのは、稲佐の浜だった。
砂浜は広く、色は少し暗い。細かい砂と、小さな石が混ざっている。
波は穏やかで、規則的に寄せては返す。
音が一定で、変化が少ない。
「……静かニャ」
めぐが言う。
「海なのに、あんまり騒がしくないニャ」
みこも頷く。
風が吹く。
砂が少しだけ動く。足元でさらさらと音を立てる。
めぐは靴を少しだけ脱いで、砂に足を乗せる。
ざらりとした感触。
温かいところと、少し冷たいところが混ざっている。
歩くと、砂が沈む。足が少しだけ取られる。
「歩きにくいニャこれ」
「気を抜くと転ぶぞ」
しろが言った直後、めぐの足が少し沈みすぎて、バランスを崩す。
「うわっ」
一歩大きく踏み出して、なんとか踏みとどまる。
「……危なかったニャ」
みこが笑う。「言ったそばからニャ」
波打ち際まで行く。
水は透明に近いけど、沖縄みたいな明るさじゃない。少し落ち着いた色をしている。
足先だけ、水に触れる。
ひやり、とした感触がゆっくり上がってくる。
「冷たいニャ……でも優しいニャ」
波が足に当たって、すぐに引く。
その繰り返し。
一定のリズム。
しろは少し離れたところで、海を見ている。
いつもより、動かない。
めぐはその背中を見る。
「……しろ」
呼ぶと、少し遅れて振り向く。
「なんじゃ」
「ここも知ってるニャ?」
また、少しだけ間が空く。
風が強くなる。
しろの髪が揺れる。
「……ここは、来る場所じゃ」
「来るべき場所、かもしれんがの」
「来る?」
「そういう場所じゃ」
答えになっているようで、なっていない。
でも、それ以上聞く気にはならなかった。
めぐはそのまま海を見る。
波が寄せて、返す。
その繰り返しが、ずっと続いている。
時間が進んでいるのか、止まっているのか、少しだけわからなくなる。
みこが小さくあくびをする。
「なんか、ぼーっとするニャ」
「ええ場所じゃな」しろが言う。
さっきよりも少しだけ、いつもの声に戻っていた。
しばらく三人は何も話さずに立っていた。
風と波の音だけが続く。
それだけで、時間が流れていく。
めぐはゆっくり息を吐く。
「……今日、静かすぎるニャ」
「そういう日もある」しろが言う。
その言葉は、いつもと同じなのに、少しだけ違って聞こえた。
何かを知っていて、まだ言っていない。
そんな感じが、少しだけ残っていた。
三人はゆっくりと浜を後にする。
砂の感触が足から離れていく。
波の音も、少しずつ遠くなる。
体の奥に、少しだけ残っている。
「……なんかお腹すいてきたニャ」
めぐは少しだけ考える。
風が吹く。
「……まあ、適当に」
しろが小さく笑う。




