8話 快晴と曇り空
いつもと違う天井、部屋の雰囲気、使った寝具。どれもウェリタース家にある自分の部屋の物と違うのに、夢も見ずフィデスが起こしに来るまで熟睡していたフィービーは吃驚して飛び起きた。寝起き特有の髪を見られ、慌てるフィービーは勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい! 寝坊してしまうなんて」
「ああ、大丈夫大丈夫。予定の時間よりまだまだ余裕はある。女性は朝の支度に時間が掛かるだろうし、君がちゃんと眠れているか限らなかった。まあ、よく眠れたみたいで良かったよ」
ゆっくり支度をしなさいと言い残してフィデスは部屋を出て行った。此処は大教会の客室。フィービーがいるのは秘密なので世話をしてくれる人はおらず、自分でしないとならない。自身の両頬を軽く叩き、眠気を吹き飛ばすとフィービーは寝台を降りた。フィデスの置いて行ったカートにはぬるま湯の入った器とタオルが載っており、まず洗顔を済ませ、次に旅行鞄を開けて化粧水やクリームを顔に塗った。丁寧なケアは落ち着いてからにするとし、服装を長袖のワンピースに着替え櫛を手に持った。
「いつもはハンナに梳いてもらってて分からなかったけど、自分で髪を梳くって大変なのね……」
櫛が毛先に近付くと髪が絡んで通しにくく、無理に通そうとすると傷むとハンナが言っていたのを覚えているフィービーは時間を掛けて髪を梳かし終えた。荷物を旅行鞄に仕舞い、鏡の前で最終確認を終えると扉がノックされた。相手を確認せずに入ってもらうと予想通りフィデスだった。
「準備はどう?」
「今終わりました」
「そう。そろそろ出発しよう。君と一緒に行ってもらう女性神官には同行者がいるとしか伝えていないから、自己紹介をしてあげてね」
「勿論です」
四人乗りの馬車に乗って地方の教会支部に行くのは女性神官とフィービー二人のみ。大教会の正門に出たフィービーは待機している馬車の側にいる女性を見つけた。榛色の髪を緩く一つに纏めた温和な女性と目が合うと大層驚かれる。フィデスとフィービーを交互に見る女性神官の側まで行くと頭を下げた。
「北の支部へは彼女にも同行してもらう。アズエラ、彼女が伝えていた同行者」
「ど、同行者って、えっと、フィービー=ウェリタース侯爵令嬢ではないですか……!」
アズエラという名前を聞いたフィービーはピンときた。榛色の髪と瞳、温和な雰囲気を醸し出す女性は該当する人物は一人。ギデオン伯爵家の三女だった筈。
「フィービーです。ギデオン伯爵家のアズエラ様と記憶しています」
「あ、はい。アズエラ=ギデオン、です」
お互いに自己紹介を済ませ、困惑と興味が顔に出ているアズエラに先に馬車に乗り込んでもらい、フィービーはフィデスに振り向いた。
「フィデス司祭。お世話になりました」
「お世話と言われる程していないさ」
「いいえ。母が亡くなり、泣いて助けを求めた私をフィデス司祭は助けてくださいました。感謝しています」
「行っておいでフィービー。時折、こっちの近況を報せる手紙を送るよ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げた後、馬車に乗ったフィービーは向かいに座るアズエラに微笑んだ。
「改めてよろしくお願いしますね」
「此方こそ……! ウェリタース侯爵令嬢はどうして北の支部へ……?」
名門アリアージュ公爵家の嫡男の婚約者が一人でいるのは心底不思議でならないと顔にありありと書いており、その好奇心が不思議と嫌じゃなかった。小さな旅行鞄一つしか荷物がないこともアズエラの興味を引いている。帝都と北の支部へは、どんなに早くても半月以上は掛かる。特に冬になると雪によって道は塞がれ、地面は凍り付き馬車での移動は不可能となってしまう。現在の季節は秋になり始めた頃で冬には十分間に合う。
「フィデス司祭に頼んで神官として働かせてもらうことにしました」
「! そうなのですか……」
「理由をお聞きにならないのですか?」
「勿論気になります! でも、ウェリタース侯爵令嬢の大きく決意したようなお顔を見ると軽々と聞かない方がいいなと思って……」
自分はそんな大層な顔付をしていただろうかとフィービーは窓で自身の顔を見るが分からなかった。
「私のことはアズと呼んでください。家族や友人にはそう呼ばれています」
「では、私のこともフィービーとお呼びください」
緊張気味だったアズエラの態度は会話を重ねていく内力が抜け、一時間しない内に二人は打ち解けた。
「アズは何時から神官の職に?」
「半年前に就きました。兄が実家を継いで両親が領地で隠居生活を送るとなった時、婚約者のいない私は手に職をつけることにしました。丁度、大教会で今年度の採用試験が始まる前で就職するなら大教会がいいなって応募したら合格したというわけです」
貴族の娘の幸せは結婚だと信じて疑わない両親を説得するのは苦労したらしく、理解を示した兄がアズエラを助けていたそうな。自身の兄とは永遠に和解出来ないと悟っているフィービーであるが、他の兄妹仲の良さに嫉妬は起きなかった。純粋に羨ましいという感情がだけが湧く。
「フィデス司祭に北の支部への出向を命じられたのが二週間くらい前でした。定年退職で一人辞めてしまって……それで未婚で若い神官ということで私に白羽の矢が立ちました」
経験のある未婚で若い神官は他にもいるのに、どうして自分だったのかと不思議がるアズエラ。何となくフィービーは一緒に向かわせる為にフィデスが敢えて選んだ可能性があると読む。
「ギデオン伯爵は反対されませんでしたか?」
「帝都と北の支部はかなり遠いってお兄様にも反対されましたよ。説得するのが大変で……何とか納得してもらった次第です」
「滅多に会えなくなって伯爵も心配なんでしょうね」
「悪い人ではないんですよ。でも、昔から心配性で。私が小さい頃厨房に入って……」
幼少期の思い出を語るアズエラに微笑み、時に相槌を打つフィービー。
嘗てフィービーと兄にもそんな過去はあった。兄は――ミリアンは覚えてないだろうが……。
「北の支部がある町は大きくてそこで私生活に必要な物を買います。ある程度は支給されるという話ですが、自分で使うならやっぱり好みの物を使いたいですよね」
「ええ、そうね!」
特にフィービーは最低限の物しか持ち出していない。アイに貰った餞別が大きく役に立つ。
「ところで、町に換金所ってありますか? 要らない装飾品を売ろうと思って」
「それなら、途中で寄る町で換金しましょう」
最初の頃の緊張はなくなり、久しぶりに誰かと会話をするのが楽しいフィービーの瞳は嬉々一色に染まっていた。
――同じ頃。ウェリタース侯爵家を訪れたミゲルは出迎えた執事のダイソンに信じられない言葉を告げられた。
昨日送った手紙の返事が来ず、妙な予感を抱いていたミゲルは先触れもなしに来ないでほしいと言うフィービーの冷たい声を思い出し、一度は躊躇するも意を決して訪れた。後で罵られようと構わない、フィービーに会いたい一心で。
玄関ホールに通されたミゲルは違和感を感じた。屋敷の雰囲気が異様に重い。息をするのも苦しく、狭い空間に入っている錯覚を覚える。
「アリアージュ様」
「!」
「申し訳ありません。フィービーお嬢様は……屋敷にはおりません」
そう。
ミゲルが告げられたのはフィービーが行方不明という言葉。最初は何を言われているか分からなかった。侯爵家の令嬢が行方不明? まさか、厳重な警備を敷いているのに誘拐? 理解が追い付かなかった。
誘拐? と二文字を出すとダイソンはゆるりと首を横に振った。
「いえ……お嬢様の部屋に旦那様とミリアン様宛の置手紙が残されていました。お嬢様自身の意思で出て行かれました」
「そんな……っ、行先は、フィービーの行先に心当たりは?」
「分かりません。今、旦那様とミリアン様はフィービーお嬢様の行方を捜しております。アリアージュ様、今日はどうかお帰りいただけないでしょうか」
「……」
脳裏に過るのは五日前のやり取り。デートの埋め合わせをしたいと縋るミゲルを冷たく振り払い、フィービーの為に作らせたブローチは受け取ってもらえなかった。途中、ウェリタース侯爵が来て一触即発の雰囲気になるも、フィービーの発した侯爵が忘れていた過去の暴露によってその場は解散となった。
「手紙……フィービーに昨日手紙を送りました。フィービーはその手紙をどうしていましたか?」
「……」
恐らくダイソンは知っている。少しだけ目が揺れた。懇願するミゲルに負けたダイソンは、封を切らずに捨てたと事実を話した。
出した手紙さえフィービーは読んでくれなかった。
何処へ行ってしまったのか、フィービーは無事なのか、同じ思考が頭の中をグルグルと回っていると「どうしました」と静かだが凛とした女性の声が届いた。ハッとなって顔を上げれば、フィービーの義母エイヴァがやって来ていた。
「侯爵夫人……」
「ミゲル様。折角、ご足労いただいたのに申し訳ありません。彼に聞いたでしょうがフィービーは此処にいません。今日のところはお引き取りください」
「夫人、夫人はフィービーの行先に心当たりはありませんか」
「ありません。居場所が判明次第、アリアージュ公爵家にはすぐに遣いを走らせます」
エイヴァの淡々とした物言いにミゲルだけではなく、ダイソンも小さく瞠目した。いつも侯爵の一歩後ろに下がったところに立ち、子供達に微笑みを欠かさないエイヴァは温厚で口調も穏やか。エイヴァの普段と違う雰囲気に圧され、ミゲルはそれ以上何も言えず帰って行った。
玄関ホールに残ったエイヴァは戸惑うダイソンに寂しげに微笑んだ。
「ダイソン……私に出来ることがあったら何でも言ってちょうだい。私にはそれくらいしかできない」
「奥様」
「旦那様やミリアン様は、フィービーが私を快く思っていないと思っていたみたい。……変よね」
エイヴァは袖から一枚のハンカチを出した。ジゼルとフィービーの似顔絵が刺繍になっている。二年前の誕生日にフィービーがくれた。ジゼルもエイヴァに誕生日プレゼントを渡したいということで二人で相談し合って作ったのだと。
「快く思っていない私にこんな宝物をくれるなんて」
「お嬢様は……旦那様と坊ちゃまのいる前で笑いたくないと仰っていました」
「ええ……貴方に渡された手紙に書いてあった。もっとちゃんと気に掛けてあげるべきだったと今になって後悔してる」
残された自分に出来るのはフィービーの居場所が知られないようダイソンと協力して手を回すことくらいだ。




