7話 ミゲルの訪問
帝都有数の劇場鑑賞券を二枚テーブルに並べて深刻な表情で見つめるミゲルは、今朝従者を使って届けさせた手紙の返事が夜になっても届かないことに焦りを覚えていた。若者を中心に今大人気の劇の一つで劇場を支援している貴族を優先に鑑賞券が取りやすく、フィービーとの関係を見兼ねた母が父と行くのをミゲルに譲ったのだ。
開演日は二日後。猶予はまだ一日あるのに心の中の焦りが消えない。
先日のデートの詫びをミゲルは出来ていない。手紙や贈り物をフィービーに届けても全て返品された。月に一度必ずフィービーに会える日を一番に楽しみにしていた。その日の前日か当日になると必ずローウェル公爵家の使者がやって来る。理由は全て同じだ。
『ダイアナ様が熱を出されミゲル様にお見舞いに来てほしいと泣き叫んでおられます……!』
『お願いします! どうか、ダイアナ様の側にいてください!』
今度のデートだけは絶対に行かないといけなかった。何度もダイアナを理由にデートに来れないミゲルを見るフィービーの目は温度が下がっていった。今回ばかりはダイアナの要求は呑めないとミゲルは使者を追い帰したのだが、婚約者の……フィービーの側に行きたいのにミゲルの周りはいつもフィービーの許へミゲルを行かせない。使者を追い返し、約束の時間に間に合うと安堵したのが間違いだった。今度はダイアナ自身が乗り込んだ。見るからに体調が悪く、身体に触れるととても熱く、起きているだけでやっとの状態で来るのは自殺行為に等しい。ミゲルの顔を見るなり泣き出し、弱っているのに服を掴む力は強かった。
『ミゲルお願いぃ、わたくしの側にいて! ミゲルがいないと、いないとっ、怖くて堪らないのっ!』
『ダイアナどうしてこんな身体で来たんだ。お見舞いなら後で』
『嫌よ! 絶対嫌!! ミゲルがわたくしの側にいてくれると言うまで絶対帰らない!!』
無理矢理引き剥がしてもすぐにミゲルに引っ付き、息も絶え絶えなダイアナを見ると幼馴染の情に勝てず、相当悩んだ末ミゲルは従者にフィービーに行けない旨の連絡を伝えに走らせた。ダイアナをローウェル家の馬車に乗せ、同乗してほしいという言葉だけは受け入れず、ミゲルはアリアージュ家の馬車に乗り込むとローウェル家に向かった。
フィービーに会えなくなったこの四日間、あの時何が何でもダイアナを置いて行ってしまえば、二度と会えなくなるなんて未来は待ち受けていなかったと。
この時のミゲルはまだ知らない。
一人でいると落ち着かず、思考は嫌な方へとばかり行ってしまう。ふらりと部屋を出たミゲルは不意に窓を見た。自分で考えが纏まらない時はあの人のところに行って相談したい。ミゲルは従者を呼び付け、馬車の手配をさせた。こんな時刻に何処へ行くのかと首を傾げられると大教会だと告げた。
子供の頃から会っているフィデス司祭に会って話を聞いてほしいのだと言えば、従者は心得たとばかりに速やかに馬車の手配をした。
大教会に到着したミゲルは目的の人は夜になってもよく花壇の世話をしていると知っていて建物の横に回った。花壇が並んだ道を歩くもフィデスはおらず、今日は建物内にいるのかと思い正面へ戻ろうとしたら声を掛けられた。
「ミゲル? こんな時間にどうしたの」
呼び止めたのはフィデスだった。
「すみません。フィデス様と話をしたくて……」
力無く笑うミゲルを見てフィデスは問わず「良いよ、中で聞こう」と建物内に入り、職員が使用する食堂に案内された。夕食は済まされ、二人以外には誰もいなかった。適当な場所に座り、飲み物は? と聞かれたミゲルは首を横に振った。
「今日は遠慮します。突然押し掛けて来てすみません……」
「気にしない気にしない。私に出来るのは、悩みを持つ人々の話を聞いてやるくらいだ。それで一体どうしたの」
四日前の出来事やその前のフィービーとのデートをダイアナを理由にキャンセルしてしまったこと、これが何度も続いている旨を話し、今朝フィービーに送った手紙の返事が来ないことも吐き出した。最後まで話を聞いていたフィデスは優しい微笑を浮かべながら一つの疑問を放った。
「疑問なのだけどね、ミゲル。どうして君、毎回ダイアナの要望を聞き入れてしまうの?」
「私だって嫌ですよ、嫌に決まってる。だけど……私が行かなかったらダイアナの具合は悪化して、何度か死の淵を彷徨ってしまって……」
ミゲルではなくてもダイアナの周囲には彼女を大切にしてくれる人はいる。ローウェル公爵夫妻に、ダイアナの兄である小公爵、屋敷の使用人達、ダイアナの友人達。体調が悪くなると決まって指名されるのはミゲルで、ミゲルが行かないとダイアナの体調は必ず悪化してしまい、結局ミゲルが側にいることで助かった。
呼び出すな、二度と来ないと伝えたら、ローウェル公爵家からミゲルの心無い発言によってダイアナが深く傷付き生死を彷徨ったという抗議が来たことがあった。両親は気にするな、ミゲルの気を引きたいだけだと励ましてくれたがこの出来事がきっかけでダイアナに強く出れなくなった。一種のトラウマとも言える。
――悲壮感を漂わせるミゲルの話を聞くフィデスは内心盛大に呆れ果てていた。皇帝が妻の姪を娘のように可愛がっているのは帝国では有名な話だ。
アリアージュ公爵夫妻がローウェル公爵家に強く抗議してきたのは知っている。ミゲルの婚約者はフィービー=ウェリタース唯一人であり、幼馴染だろうと婚約者でもないダイアナにミゲルを束縛する権利はないと突き付けた。ミゲルを巡って両家は現在でも水面下で争っており、姪を溺愛している皇帝はあわよくばフィービーと婚約解消してダイアナを新たな婚約者にと考えている。そのせいか、アリアージュ公爵にローウェル公爵の強引さを訴えられてもダイアナ可愛さに皇帝は使い物にならない。
生まれた時から病弱で幼馴染のミゲルに恋をしているダイアナが可哀想なのは解ってやれる。
過去に死なせかけた負い目でダイアナを優先してしまいフィービーと関係が開いていくばかりのミゲルも可哀想だとも思ってやれる。
だが。フィデスが一番哀れに見ているのがフィービーだ。母を亡くし、母に託された言葉を果たそうと家族を元気付けようとしたのに家族に否定され、挙句婚約者は幼馴染を優先する始末。
愛されたい人に愛されないと信じ込んでしまうのは必定と言える。
「ミゲル。フィービーに振り向いてほしいなら、君自身でダイアナをどうにかするしかない」
「……」
「君のその甘さが現状を招いている。どうしてもフィービーを手放したくないなら、相応の代償を覚悟で動かないと――取り返しのつかない後悔を味わう」
穏やかに語り、見る者の心を安心させる微笑を見せるフィデスの言葉は深く重くミゲルの心を刺しただろう。現に、少し顔色が悪くなり、苦し気に瞼を閉じた。幾分かしてミゲルは目を開け、ふらりと立ち上がった。突然押し掛けた無礼を詫び、フィデスの見送りを辞退して帰って行った。
フラフラな背中を見送ったフィデスはふう、と息を吐いた。
「ごめんよミゲル。君には、取り返しのつかない後悔を味わってもらう」
きっと彼は絶望する。その先でミゲルがどう動くかによって今後の未来は変わってくる。




