4話 拒絶
屋敷に帰る前に大教会に寄りたいと御者に伝えていた為、アシュフォード家を出ると皇城の次に有名な大教会の前に停車された。一人で馬車を降りたフィービーは目の前の大きな建物を見上げた。美しく磨き上げられた白亜の建物。神を祀るに相応しい其処は、列を成して参拝する信者と同様フィービーにも救いを齎してくれる。顔見知りの神官を見つけ、司祭の居場所を訊ねると庭にいると教えられる。礼を言い、いつも散歩をしているであろう道を歩いた。建物の横へ回り込み、花壇が並んだ道を真っ直ぐ歩いていると――目当ての人は肩に乗っている小鳥と戯れていた。
「フィデス司祭」
フィービーが声を掛けると名を呼ばれた男はゆっくりと振り向いた。皇族が代々受け継ぐと言われる黄金の瞳がフィービーを映した。
「やあ、フィービー」
小鳥を空へ放ったフィデスは覚悟を決めた眼差しをするフィービーに優しく微笑んだ。
「その顔を見ると……決心がついたのかな?」
「はい。もう……ミゲルも父や兄を見たくありません」
「そうか」
家族に、婚約者に話せなかったフィービーの悲しみや不満を全て知っているフィデスは揺らぎのない決意を静かに受け入れた。
「一度行ったら、二度と戻れなくなる覚悟は?」
「当然あります」
「妹君とも会えなくなるよ?」
「はい」
義母は良い人で、ジゼルは姉として慕ってくれる可愛い異母妹。叶うなら二人にだけでも居場所を知っていてほしい気持ちはあれど、二度と侯爵家に戻るつもりのないフィービーは甘い考えを捨て去った。
「五日後、地方への異動が決まった神官の女性と行ってもらおう。前日の夜に此処に来なさい」
「分かりました。ありがとうございますフィデス司祭」
「お礼なんて言わなくていい」
フィデスにとっては上位貴族のマナーを知るフィービーが来てくれることで子供たちにそれらを教えられるまたとない機会。
大教会を離れ、馬車に戻ったフィービーは帰路に就く。
屋敷の前に知っている家紋が刻まれた馬車があった。
アリアージュ家の馬車だ。
「……」
心が揺れる。どうして来ているのか、と。
気遣う御者に首を横に振り、屋敷に入ったフィービーは予想通りの相手をハンナやダイソンが対応しているのを見て申し訳なくなった。月に一度のデートをダイアナを理由にキャンセルした埋め合わせをしたいと訪れ、手紙や贈り物をするミゲルの意思を悉くなかったことにしていた。その為、こうやって強硬手段を取ったのだろう。
戻ったフィービーを目にしたミゲルは安堵の表情を浮かべ、彼を帰そうとしていた二人が口を開く前にフィービーが遮った。
「ハンナ、ダイソンさん。二人ともありがとう」
二人を労わった後、冷たい視線をミゲルへやればバツが悪そうに目を逸らされた。
「先触れもなく来ないでと言った筈よ」
「すまない……でもこうでもしないと君に会えないと思って」
「会えなくしてるのはミゲルの方でしょう。月に一度、会える筈なのに来ないのは貴方の方よ」
「それは……」
まるでフィービーが悪いような言い方に我慢の限界がすぐに訪れてしまった。容赦なく言い捨てれば、言い訳の仕様がないミゲルは言葉が見つけられない。
「他家の使用人に迷惑をかけてまで一体何をしに来たの」
「フィービー、お願いだ、この間の埋め合わせをさせてほしい」
「結構よ」
どうせ埋め合わせをしたってダイアナの体調が悪くなったらまたすっぽかされるだけ。目に見えている未来を態々迎えるつもりはフィービーにはもうない。悩む素振りも見せず断られたミゲルはショックを受けるも、片手に持っていた薔薇の花束をフィービーに差し出した。せめて花束だけでも受け取ってほしいと縋られ、両手で受け取った。
薔薇の花に罪はないが……フィービーは花を床に捨てた。呆然とするミゲルに鋭く睨み付けた。
「花束一つで私が喜ぶと? 要らないわよ。こんな物」
「フィービー……」
フィービーの好きな花は赤い薔薇。亡くなった母も好きだった花だ。ミゲルが知っているかは知らない。子供の頃はよく自分のことをアピールしたくてミゲルに何でも話したが覚えられているかは定かじゃない。
「ハンナ、ダイソンさん、お客様がお帰りよ。お見送りを」
「! フィービー待ってくれ」
動こうとしたフィービーは手をミゲルに掴まれた。
「今度は絶対に君に会いに行く。ダイアナの具合が悪くても!」
「信用出来る訳ないでしょう」
ミゲルの手を振り払い、今までも同じことを言っては結局ミゲルは来なかったこと、使者が来る度にミゲルへ失望し一切の期待をしなくなったと声を上げた。待ったところでミゲルは来ない。期待するだけ無駄なのだと悟らなければフィービーの心はどんどん死んでいく。若干瞳に涙が浮かび始め、慌てて袖で拭うとミゲルが近付くのを感じ距離を取った。避けられてショックを受けつつ、せめてこれだけは受け取ってほしいと懐から小箱を取り出した。
「本当はこの前のデートの時に渡そうと思っていた。フィービーの為に作らせたブローチなんだ。受け取ってほしい」
薔薇の花束が駄目なら高価なブローチだと思われたのなら心外だ。再び要らないと言い放ったフィービーに焦りを隠さないミゲルが迫っていると騒ぎを聞き付けたのか、父が玄関ホールに姿を見せた。
階段を下りて中央にやって来た父はダイソンに状況説明を求め、話を聞くと溜め息を吐いてミゲルから小箱を受け取りフィービーに差し出した。
「何が気に入らんのだ。ミゲル様がお前の為にと用意したんだ。素直に受け取りなさい」
フィービーは母に瓜二つではあるが母ではない。父の瞳には娘への気遣いも温もりも一切感じられない。五日後には家を出て行く。もう、気を遣うつもりは一切ない。
フィービーは父の手と小箱を振り払った。遠くへ飛んで行った小箱が虚しく転がっていく。唖然とする父へ軽蔑を込めた目をやれば、瞬く間に顔を赤くした父が手を振り上げ躊躇なくフィービーの頬を打った。
「フィービー!」
駆け寄ろうとしたミゲルを手で制し、怒りに肩を震わせる父を見上げる瞳は変わらなかった。
「父親に向かってその目はなんだ!」
「父親? 今更父親面をしないでください」
「なんだと!?」
「お母様は私にお父様とお兄様のことを頼むと言って下さいました。お母様が亡くなって落ち込む貴方達二人を立ち直らせるのは、私の役目だと思って元気付けようとしました。ですが」
母を失って悲しいのはフィービーも同じ。天国で元気になった父や兄を見たいであろう母の為にフィービーが気丈に振る舞ったのを二人は気に食わなかった。
『どうしてお前が生きているんだ……』
『母上が亡くなったのに、どうして明るくしていられるっ』
終いに言われたのが――お前が死ねば良かった、という父の言葉。
呆然とする父はフィービーの嘘だと呟くがダイソンが事実だと否定した。
「私も奥様がお嬢様に旦那様や坊ちゃまのことを託されていたのを知っています。……旦那様がお嬢様に向かって言ったことも」
「……」
顔を青褪め、冷や汗を流し始めた父は今頃になって記憶が蘇ったのだろう。ハッとなった様子で顔を上げた父と目が合った。軽蔑に染まった母と同じ色の瞳に睨まれ、何も言えず呆然とするしかなかった。
ミゲルの気遣う声がフィービーを呼ぶ。自分で飛ばした小箱を拾い、ドレスでさっと付着した汚れを拭いてミゲルに返した。
「これは要らない。もう贈り物も手紙も要らない。アリアージュ公爵夫人にはなります。これで満足でしょう」
「フィービー……」
「妻としての務めも最低限はします。結婚してもミゲルはダイアナ様を優先し続けていればいいわ」
「……」
反論したくてもフィービーの向ける期待も怒りも何もない空の瞳で見られ、小箱を持った手を力無く垂れたミゲルは項垂れた。
フィービーはハンナを連れて部屋に戻り、後のことはダイソンに任せた。
お気に入りのソファーに座ったフィービーは温かい紅茶を頼み、持って来る時ダイソンを連れて来るようハンナに頼んだ。
一人になると自嘲気味な笑みを零した。
「これがミゲルに会える最後なんて……私らしい」




