32話 答え合わせはいつかくる
今迄のクリストファーなら、表面上は夫婦円満を装うべくレティーシャの味方についていた。詰られるかと覚悟していたエイヴァは味方をするどころか大勢の人の目がある場所でレティーシャを殴った挙句、自身に詫びたクリストファーにただただ驚きを隠せなかった。
「ローウェル公爵夫人とご令嬢を医務室に。それと誰かジェイドを起こしてやってくれ」
騒ぎを聞き、駆け付けたアルドルが次々に指示を飛ばし、同行していた騎士達は殴られた頬に手を触れたまま微動だにしないレティーシャ、あまりの出来事にショックを受けて気絶したダイアナをそれぞれ抱え医務室へと搬送。二人の下敷きになっていたジェイドを起こした。
「ミゲル、後で聞かせろよ。一体何がどうなってああなったんだ」
「私にも分からない。今迄の公爵なら、私やウェリタース夫人を責めていた筈なのに」
「公爵の方に何か心変わりがあったのか……」
現状フィービーの家出が知られていないとは言え、胸に広がるモヤモヤが消えない。
「皆々様。今宵は陛下の誕生日を祝う目出度き日。既に入場は始まっています。何時までも此処にいて入場を忘れることのないように。……それとうっかり余計な言葉を漏らす口を開かないように。楽しいままで今夜は終わらせましょうよ」
一旦場の解散を目論んだアルドルの一言によって視線を注いでいた貴族達は速やかに散り散りとなった。……殆どが最後のアルドルの台詞で顔を青褪めた。
「じゃあなミゲル。後で会おう」
忙しなく走り去ったアルドルの背を見つめていたミゲルは「ミゲル。私達も行くぞ」と父に声を掛けられ、エイヴァやゴーランドに会釈をしてこの場を後にした。
「旦那様、ミリアン。私達も行きましょう」
「あ、ああ」
「……」
呆然としていたゴーランドも我に返っており、エイヴァの言葉に同意した。ただ一人、ミリアンは不満げな表情を隠していない。
「ミリアン?」
「……母上。私はやはり納得いきません」
「此処で話すことではありません。何より、既に了解を頂いている以上、覆すことは許しません」
「でも!」
偽の診断書とバレた場合を考えているだろうミリアンには、出発をする直前にも懇々と説明したというのに、尚も納得がいかないのは単に家の心配をしているだけではないと見る。どうすれば頭の固い義息子を納得させられるかエイヴァが悩みかけた直後。
「諄いぞミリアン」
「ち、父上」
「既に決まったこと。事実を知られ、恥をかくのは我がウェリタース家も同じ。黙っていられないなら両陛下に挨拶をした後、お前だけ速やかに帰還させる」
「そんな……! あんまりです!」
フィービーの欠席理由に偽の診断書を使うとなった際、反対するならジゼルを連れて離縁するとエイヴァに叩き付けられたゴーランドは、このままミリアンが意地を張れば二人が出て行ってしまうと危惧する。まだ幼いが天真爛漫で活発なジゼルに深い愛情を持っているゴーランドとしては、二人の娘が出て行ってしまうことは耐えられない。味方と思っていた父に叱られたミリアンは勢いをなくし、小さな声でエイヴァに謝罪したのだった。
——城内に戻ったアルドルは皇族の控室に入り、入場を待つ間盤上遊戯に勤しむオルドーとフィデスの側へ寄った。
「騒ぎがあったようだけれど収拾したのかな?」
「何とか」
「一体何が起きたんだい」
リーンハルトとビアトリスは最後の調整をしていて控室にはいない。アルドルはオルドーの隣に座ると先程起きた騒動を話した。持っている駒をうっかり落としたオルドーは緩く首を横に振った。
「話に聞いていた以上の非常識振りだな……」
「一部始終しか見ていないおれでは詳しい話は出来ません。ただ、叔母上が——」
激昂したレティーシャがクリストファーの前で亡きダイアナを野猿と罵った。これによりクリストファーの逆鱗に触れ、制裁を与えられたのだ。
「この件、リーンハルトとビアトリスはまだ知らないね?」
「二人の耳に入らぬようにはしました。ですが、知られるのも時間の問題です」
現在レティーシャとダイアナは医務室。ジェイドは二人の付き添い。貴族はまず初めに皇帝、皇后に挨拶をしに玉座に来る。クリストファーが何処へ行ったにしろ、彼一人だと必ず疑われる。
「クリストファー君のことだ、ダイアナの具合が悪くなってレティーシャとジェイドが付き添っていると話す筈。その時はアルドルがサポートしてやってほしい」
「分かりました」
クリストファーとて馬鹿正直に話すとは思えない。
「しかし」とソファーに凭れたフィデスは天井を仰ぎ見た。今も尚心の底から愛しているダイアナを侮辱されると瞬間的に怒りが頂点に達するのを知っていて口走ったレティーシャの余裕の無さに呆れ果てる。人前でしか愛し合う夫婦を見せられない苛立ち、フィービーでストレス発散をするつもりだったのに本人不在と発覚した故の苛立ち、何を言っても正論をエイヴァに返された苛立ち。凡る苛立ちが沸き上がった末に——亡きダイアナを罵倒し、夫の鉄拳制裁を受ける羽目になった。
「レティーシャ=ローウェルというのは、余程短気な女なんだな」
「ビアトリスが未来の皇后になると決まったのに、自分は好きな人に相手にしてもらえないばかりか、見下す相手に好きな人の心を奪われていた鬱憤が劣等感の塊のような人間にしてしまった」
他の相手を見つければ良かったものをと思うが、リーンハルトの次に高位の人だったのがクリストファーだった。ただ、それだけ。
病弱だった頃は見向きもしなかったのに、病を完治させ、社交界に出るようになると我先にとクリストファーの寵愛を得ようと凡る手を使っていた。
「失礼します」
ノックの後、一人の見張りがクリストファーがフィデスに面会をしたいと今部屋の前にいると伝えた。すぐに部屋に入ってもらうとクリストファーは一礼をした。
「私の我儘を聞き入れて下さりありがとうございます」
「アルドルから聞いたよ。クリストファー君、叱る気はないけれど我慢は出来なかったのかい?」
「はい……。耐えようとしました。騒ぎを起こせば、陛下や皇后に知られ、レティーシャが泣き付くと分かっていても……ダイを侮辱した女を許せませんでした」
「そうか」
責めはせず、悔いはせずとも後を憂鬱に抱くクリストファーを慰め、此処にやって来た理由を当てた。
「レティーシャとダイアナはアルドルの指示で医務室に運ばれた。ジェイドも付き添っている」
「そうでしたか。フィデス様の手を少々借りたい」
「リーンハルトとビアトリスには、ダイアナが倒れたと偽るんだ。レティーシャとジェイドは付き添いでいないとも。私やアルドルがサポートする。それでいいね?」
「ありがとうございます」
微かに安堵したクリストファーの表情に笑みが戻った。入った瞬間からフィデスに頼むまでずっと無表情だったのに。それを見たフィデスも一寸だけ安心する。
「だが、今日を凌いでも明日以降レティーシャは必ずビアトリスに泣き付く。パーティーが終わったら対策を練るんだ」
「いいえ」
「うん?」
「今夜のパーティーが終わったら、暫く帝都を離れます」
「帝都を離れる?」
中に入らずとも話をしっかりと聞いているオルドーとアルドルは、表情こそ変えないが内心警戒を強めた。無論フィデスも。
「一体何処へ」
「ダイの近くに」と言った直後フィデスが顔を強張らせたのを見たクリストファーは「と、言えば誤解されますな」と悪戯めいた口調で紡いだ。紛らわしいとフィデスの小言を受けると悪戯っ子のように笑う。
「後を追うなら、ダイが亡くなってすぐに追っています」
「私や先代は君が後を追うのではと心配していたよ」
「要らぬ心配を掛けてしまいましたな。ダイがサンディス領で療養していた頃のことです」
病を発症して半年が経過した頃、領地で暫く療養したくなったダイアナがフィービーを連れ、数ヵ月帝都を離れた。領地にいる旨を報せる手紙がクリストファーに送られてきた。
「見舞いに行ったのかい?」
「ええ。その時に、ダイに色々と言われました」
色々の部分を思い出したクリストファーの相貌は、フィデス以外見たことのない穏やかで幸せに満ち足りた色を浮かべており、こんな顔が出来たのかと面食らう始末。
「少々遠くへ行きますが自害するつもりはありません。明朝に出発します」
「君の心がそれで救われるならいいけれど……屋敷の方はどうするんだい?」
「家令には既に話してあります。三人には家令から伝えます」
「君から言おうと誰が言おうと反対するだろうねえ」
「ならばいっそ、私が出発した後に伝えてもらいます」
フィデスとの話を終わらせると「アルドル皇太子殿下、オルドー殿下。お騒がせしました」と頭を下げた後、部屋を出ようとしたクリストファーを「公爵」とアルドルが呼び止めた。
「最後に一つだけ。おれが見てきた公爵と叔母上は幻だったのか、現実なのか、どちらか教えていただきたい」
「どれが真実か嘘か、殿下ご自身はもう気付いているのでは」
「まあ……それなりに」
「なら、碌でもない結婚をさせられた私から一つ殿下にお節介を。今後、婚約者を選定する際、己の立場をよく理解した信用のおけるご令嬢を選ぶことです」
「肝に銘じます」
未だ婚姻関係を続けている理由も聞きたいところであったが碌な回答しか得られないと分かり切っており、部屋を去ったクリストファーの姿がなくなるとアルドルはどさりとソファーに座り込んだ。
「公爵のあんな顔、初めて見た。公爵がダイアナ夫人をどれだけ大切にしているかよく分かった。横恋慕をした挙句、権力を振り翳して正妻の座を手に入れた叔母上に心変わりする訳がない筈だ」
見た目は美人でも中身が破綻していればどんな人だって好きにならない。姉の婚約者がリーンハルトなら、自分の婚約者も高貴な人ではないと駄目だと勝手に決めつけクリストファーに執着した。フィービー関連だと油断ならない相手だが、その他については同情が強く何とも言えなくなってしまう。
「クリストファー=ローウェルの行き先が気にならないか?」
「気になりますが公爵の様子を見るにフィービー嬢の家出は知らないと見て良いでしょう。あまり警戒をし過ぎては此方の身がもちません」
「そうなんだが……」
どうにも胸騒ぎがするとオルドーは溜め息を吐いた。亡きダイアナとの思い出に浸りたいのなら、真っ先に母方の領地に行くと言う筈。そこはサンディス領とは近所でクリストファーとダイアナが出会った場所でもある。
「そろそろ私達も部屋を出るよ。パーティーが無事に終わることを願おうじゃないか」
「はああぁ〜……帰りたい」
「年下の前で情けない」
「城の前で僕を待ち構えていた陛下を思い出すと憂鬱になりますよ」
「ああ、すごかったね」
二度目の大教会訪問後、三人で城に戻ると……なんとリーンハルトが城の前でオルドーを待っていた。嫌っているくせに顔を合わせないと気が済まないのは意味不明だとアルドルが小声で言ったのをオルドーは聞き逃さなかった。同意をしたかったがリーンハルトの鋭い眼光を前に出来なかった。
控え室を出たクリストファーは会場へ目指し歩いていた。病に伏せたダイアナが見舞いに来てほしいと手紙を貰ってすぐ駆け付けた。ウェリタース家に送り込んだ密偵から病については聞いていた。久しぶりに会った彼女は少し痩せていたがクリストファーの知っている頃と変わらなかった。
『治るかどうか分からないけれど、最善を尽くすってホワイトゴールド伯爵は仰ってくれた。私が死んでも伯爵を恨まないでちょうだいよ』
『死ぬなんて縁起でもないっ、ダイは治る、必ず治る。伯爵なら、君の病だってきっとどうにかしてくれる』
『ありがとう。ふふ、そんなに慌てるクリストファーを見るのは久しぶりね。良いものが見れたわ』
『全く、君って人は……』
お互い別の相手と結婚をしてしまい、気軽に会えなくなっても時折周囲の目を盗んで会っていた。ローウェル家の使用人は皆クリストファーに同情しレティーシャを誤魔化し、ダイアナの方も信頼の置ける人に協力をしてもらっていた。二人いるが内一人はクリストファーの送り込んだ密偵。もう一人も誰か知っている。
ふと、クリストファーの目にピンクがかった銀髪の小さな頭が入った。ベッドに座るダイアナの隣で彼女の幼少期に瓜二つな少女が眠っていた。
『フィービー嬢もいたのか。起きないか?』
『フィービーは私と同じで一度寝ると中々起きないわ』
他家の茶会で数度だけだがフィービーを見たことがあった。容姿だけではなく、声まで幼少期のダイアナと同じで見ているだけで懐かしさが込み上げた。
『ダイによく似ている。声も一緒だ』
『お母様達もそう言うわ。フィービーの声はとっても綺麗で愛らしいのよ?』
『ダイはよく叫びながら走り回っていたからな。愛らしさとは程遠い』
由緒ある名家の生まれなのに、自然の中を裸足で嬉しさを全身で表現して走り回るダイアナの姿が鮮明に頭に浮かぶ。お腹を小突かれ『殴るわよ?』と半眼で見上げるダイアナ。
『殴ってから言う台詞じゃないぞ。……ああ……懐かしい』
このやり取りも子供の頃毎日何度もしていた。
『思い切ってクリストファーに手紙を送って良かった。貴方ならきっと来てくれるって信じてた』
『侯爵は来ていないのか?』
『旦那様にはお留守番を頼んだわ。ミリアンもね』
夫と息子を帝都に置いて領地に戻ったダイアナの意図を聞かされたクリストファーは『そうか』とだけ言った。
自身と同じ髪を撫でながらダイアナはある話を切り出した。
『——、————』
瞳を限界まで瞠目させたクリストファーの反応に悪戯成功とばかりにダイアナはお茶目に笑って見せるとフィービーの頬を愛おし気に触れた。
『侯爵はそれに気付いては……』
『いないわ。旦那様は“完璧な淑女ダイアナ=サンディス”にしか、目が入っていないもの。帝都に旦那様とミリアンを置いて来たのはそういうこと』
『……』
幸せな家庭を築きながらダイアナの心はどこか寂寥感を滲ませていた。今も尚お互いを好きでもそれぞれ家庭を持っている。
『また……来ても良いか?』
『私は全然構わないけれど、お屋敷の方はいいの?』
『問題ない。領地で問題が発生したと言って出て来た。暫く帰らない旨もな』
サンディス領にゴーランドやその倅はおらず、いるのはダイアナと彼女に瓜二つなフィービー。嫉妬深く束縛が激しいレティーシャも些細なことで泣き喚きミゲルを求めるうるさい娘もいない此処はクリストファーにとって天国に値する場所へと変わった。
地獄に等しいレティーシャとの結婚生活で最も幸せだったのがダイアナがサンディス領で療養していたこの時だった。




