27話 ダイアナへの気遣いはない
淹れたての珈琲の香りはリラックス効果があると言われているが強ち間違ってはいない。司祭の居間にオルドー、アルドル、フィデスがいる。秘密の話をする時によくフィデスが使用する為、客人の椅子というものはなく、好きな場所に座るのが暗黙の了解。フィデスは窓辺に置かれているお気に入りの椅子に。オルドーとアルドルは一人掛けのソファーを使用。珈琲にミルクを足し、マドラーで混ぜてオルドーはマグカップを持ち上げた。
「レティーシャ=ローウェルは、余程ダイアナ=ウェリタースを逆恨みしているようだな」
瓜二つの娘フィービーを執拗に追い詰めようとあらゆる策を講じる。実の娘の病気すら利用する徹底ぶりは狂気的と表現していい。
「ただの見栄っ張りですよ」
「見栄っ張り?」
姉のビアトリスは、先代の皇后が主催した婚約者探しのお茶会でリーンハルトに見初められ、とんとん拍子で婚約者に決まった。未来の国母となると決定したビアトリスと違ってレティーシャには良き縁談がなかった。当時の世代でリーンハルトの次に高貴な立場にあったのがクリストファーだった。幼い頃は病気の為、領地で療養していたが完治すると次期公爵として社交に勤しんだ。次期公爵夫人の座を狙って令嬢達は水面下で熾烈な争いを繰り広げていた。その中で一番権力を持っていたのがレティーシャだったというだけ。
「姉は何れ皇后になるなら、自分も筆頭公爵家の妻の座に座りたい。これが叔母上の本心ですよ」
「クリストファー=ローウェルが醜男でもその座を狙ったと思うか?」
「ないですね」
考える素振りもなく、即答したアルドルは砂糖を四つ珈琲に入れて飲む。同意しかないとオルドーも頷き珈琲を飲んだ。
「正直言うと大叔父上に話を聞くまで公爵が叔母上を嫌っているとは知りませんでした」
表面上は鴛鴦夫婦を演じ、二人の子供達に深い愛情を注いでいた。何をしでかそうと子供を守る父親にしかアルドルの目には映っていなかった。しかし、いざ蓋を開けたらクリストファーはレティーシャを心の底から恨んでおり、二人の子供を愛しているかどうかさえ分からなくなった。
「アルドル」と呼んだフィデスはミゲルの調子を訊ねた。フィービーがいなくなってからダイアナの見舞いを一切拒否し続けているとはいえ、過去のトラウマもあって彼の精神状態を心配していた。問われたアルドルは「問題ないですよ」と即答した。
「初めの内は無意識にダイアナのところに行きそうになっていましたが、最近は全く。ダイアナが死んだら見舞いに行かなかった自分のせいだと落ち込みそうなのはまだ消えませんがね」
フィデスがオルドーを迎えに行っている間もダイアナは何度も熱を出し、その度にミゲルを求めた。使者が来ようとジェイドが来ようとミゲルは一切相手にしなかった。
「ほんの二日前、おれがミゲルに会いにアリアージュ邸に行った時です。ダイアナが乗り込んで来ました」
ずっと熱が出て苦しみ、体力が大幅に減少しているのにも関わらず、遂にダイアナ自身がアリアージュ邸に押し掛けた。侍女数人に支えられながらミゲルに会いたいと泣くダイアナを前に、アリアージュ当主夫妻に厳命を受けている門番も流石に指示を求めた。
執事に事情を聞かされたミゲルの行動をアルドルは注視し、そして——。
『私がダイアナを追い返す。アルドル、此処で待っていてくれないか』
『お前がちゃんとダイアナを追い返せるか見届けてやる』
『……分かった』
若干不服そうではあったがミゲルは拒まず、二人で正門前へ移動した。
『ミゲル……っ!!』
閉ざされた門の向こうには数人の侍女に支えられてやっと立てているダイアナがいた。柵を掴み、熱で火照った顔は涙に濡れ、悲壮感が大いに漂っていた。ミゲルの少し後ろにいたアルドルは、雰囲気だけで静かな怒りをミゲルから感じていた。
『なんで、なんでわたくしのお見舞いに来てくれないのっ、ミゲルがいないと……わたくし、わたくしは……!』
『……ダイアナ。金輪際二度と君のお見舞いには行かない』
『なっ!?』
ミゲルが告げた言葉に絶句するダイアナと侍女達に構わずミゲルは続けた。
『いつもいつも、君が熱を出すのは私がフィービーと会う前日か当日。私とフィービーの邪魔をする為に都合よく熱を出していたのか?』
『なんでそんなことを言うの!? わたくしがどれだけ辛い思いをしているかミゲルは知っているのに……っ、わたくしはミゲルとウェリタース侯爵令嬢の予定なんか知らない!』
『だったら、どうしていつも私とフィービーが会おうとするとタイミングよく熱を出すんだ』
『そんなの知らないもん……!! わたくしは毎日お母様が手配してくれる薬を飲んでいるのよ!? 熱が出たらお母様がミゲルを呼んでくれるって言うから、わたくしはいつもミゲルが来るのを待っているのっ!!』
『……』
話を聞いていたアルドルでさえ、一つの確信を得た。ミゲルだってそう。
『ねえ、お願いよミゲルっ、わたくしの側にいてよ。わたくし、ミゲルがいないなんて嫌、苦しい時ミゲルがいてくれるだけで楽になれるの。お願いよミゲル!』
幾つもの涙を流し、懇願するダイアナを見つめるミゲルは過去のトラウマが蘇りローウェル公爵夫妻に責められた数々の言葉を思い出す。無意識にダイアナの許へ行きそうな足を拳を握り締めることで耐え抜き、一度深く息を吸って吐いた。
『……ダイアナ』
感情を殺し、過去のトラウマもローウェル公爵夫妻の責める言葉も無視し、泣いて縋る幼馴染を冷たく呼んだ。
『二度と私を呼び出すな』
『ミ……ミゲル……?』
『私が間違っていた。今更手遅れなのは十分理解している。幼馴染の縁と君を死なせかけた過去に怯えて断れなかった自分が馬鹿だった。ここまで調子に乗らせた原因は私にもある』
くるりと踵を返したミゲルは門番に『客人のお帰りだ。丁重に見送る様に』とだけ告げ、邸内へ足を進めた。
『ねえ待って、待ってよミゲル!! ミゲルなんでよ、わたくし知っているのよ!? ミゲルはわたくしのことが好きなんでしょう!? 好きじゃなかったら、婚約者を差し置いてわたくしの許へは来ないってお母様が言ってたもん!!』
足を止めたミゲルは振り返らず言い放った。
『私が好きなのはフィービーだけだ。勘違いも甚だしい』
『な……あ……』
『ダイアナ。君を一度も女性として意識したことはない。ただの一度もな』
ずっと両想いだと確信していたダイアナは、後ろを向いたままのミゲルに現実を突き付けられ、遂にその場に座り込み意識を失った。数人の侍女達が悲鳴を上げながらダイアナを馬車に戻した。
再び歩を進めるミゲルの隣に立ったアルドルは青い顔を見て苦笑した。
『お前にしては上出来じゃないか』
『いや……全然。心臓を吐き出すんじゃないかってくらいうるさい……』
よく見ると身体も微かに震えている。ダイアナが死んでもお前のせいじゃないと励まし邸内に戻った。
二日前の件によって分かったのは、フィービーとミゲルの予定を誰かがレティーシャに伝え、毒か偶発的か不明だが熱を出したダイアナを助ける名目で過去のトラウマを持つミゲルを呼び出すことで二人の関係を破綻させようとしていること。
「こうなるとダイアナ=ローウェルもある意味哀れになってくるな」
「そう思うでしょう? おれは全然」
砂糖たっぷりの甘い珈琲を味わう割に苦い顔をするアルドル曰く、病弱でもプライドだけは超一流でこれまでダイアナの機嫌を少し損ねただけで破滅させられた令嬢令息が数多くいる。抗議をしたくても筆頭公爵家の娘に加え、皇帝皇后の寵愛を受けるとあって誰も何も言えず、泣き寝入りをするしかない。
「ダイアナの我儘には、おれもほとほと愛想を尽かしてる。ミゲルが見舞いに行かないだけで死ぬなら、此方で始末をする手間が省けて良いと思っています」
幼い頃は大事な従妹として接していたアルドルでさえ匙を投げる始末。但しアルドルの場合は皇帝との確執も大きな理由。熱砂の国の国王にフィービーを勧めようとレティーシャがビアトリスに話したのはその翌日。明らかにダイアナを拒絶したミゲルへの当てつけだ。
「珈琲を飲んだら私は一旦席を外すね。エイヴァ夫人と会う約束をしている」
窓辺に座って空を眺めていたフィデスの発言を誰も訝しく思わない。二日後に開催される皇帝の誕生日パーティーでフィービーが欠席する理由を捏造する為だ。
「熱砂の国の国王にフィービーを気に入らせたい陛下が納得する方法が?」
「エイヴァ夫人の実家は、代々宮廷医師を輩出する医者の家系でご当主も宮廷医師を務めている」
エイヴァの弟が当主を継いでおり、ウェリタース家の主治医も務めている。家庭の複雑な事情を知っている弟にエイヴァは診断書の捏造を頼んだのだ。最初は渋られたがフィービーの家出とその理由を話し、一回限りと約束をして診断書を出してもらえた。フィービーの欠席を納得しなかろうと宮廷医師の診断書があれば文句は言えなくなる。実際フィービーは一カ月半社交界に顔を出していないので信憑性は増す。
「侯爵夫人は兎も角、ウェリタース侯爵と長男の口は軽いんじゃないのか」
「そこは大丈夫。口を滑らせたらエイヴァ夫人は次女を連れて離縁すると侯爵に叩き付けた」




