21話 フィデスの来訪①
——その日は事前の報せがあれどやって来た。
すっかりと冬の寒さに包まれた北の町。防寒対策は万全と言えど布で隠せない顔部分は冷気に触れて冷たい。頭にはニット帽、耳には耳当て、首にはマフラー、身体にはもこもこのブランケットを巻き、手には手袋。完全防備に近い恰好で雪だるまや雪合戦をする子供達を見守るフィービー。帝都は辺り一面が雪に覆われることが滅多にないので雪だるまも雪合戦もフィービーにとっては人生初の体験。一昨日は雪だるまを、昨日は子供達に交じって雪合戦をした。器用に雪玉を作る子供達と違い、フィービーは苦戦し、雪を丸めている間に何回も雪玉を投げられてしまった。折角出来上がってもコントロールが下手で投げた雪玉は予想とは違う方向へ飛んでいった。初めてはそんなものだとトレイシーやダイアナに慰められた。
時折ナナリーがフィービーに手を振っては、フィービーも振っている。子供達の中で一番フィービーに懐いている。現在里親候補と面談中なのはエペルとマーゴットで、オルドーが里親決定の押印を押す直前の子がナナリー。商家を営む夫婦が女の子をと希望した際、幼いながら活発で常に明るいナナリーを選んだ。面談は上手くいっており、早ければ年内にナナリーは里親に引き取られる。
「フィービー」
「オルドー様」
自分を実の姉のように慕ってくれるナナリーをジゼルと重ねている気はないと言い聞かせながら、無邪気なナナリーはどうしてもジゼルを彷彿とさせる。里親に引き取られることは幸運だとしても、別れる悲しみや寂しさは必ずやって来る。何度か経験すれば慣れるとはダイアナの台詞。長く孤児院の職員として働くダイアナやスザンナ・ウォレス夫妻は、寂しさより新しい家族として子供達が迎えられたことが良かったという安心感が勝るのだとか。
いつか自分もそう思えるようになったら……と感慨に耽っていれば、今日は朝から忙しなく動いているオルドーがやって来た。
「今報せが入った。叔父上の乗った馬車が今し方町に着いた。此処にももうじき来る。フィービーは僕と一緒に叔父上を出迎えてほしい」
冬に行われる皇帝の誕生日パーティーにオルドーを連れて行くべく、帝都にいるフィデスが迎えに行くと報せが届いたのが半月前。心底行きたくないと毎日愚痴を零していたオルドーもフィデスが迎えに来るとならば同行せざるを得ない。もしも行かなければ、皇帝が皇后を同伴させて無理矢理連れて行かれる。それなら、信頼する叔父に連れて行かれた方がマシだとオルドーは受け入れるしかなかった。
二人で教会の方へ向かうと丁度一台の馬車が停車した。帝都大教会の紋章が刻まれた馬車から一人の男が降りた。
フィービーもオルドーも知る——フィデスだ。
「叔父上」
「フィデス司祭」
二人が発したのは同時。御者にお礼を言って振り向いたフィデスは柔らかな笑みを二人にやった。
「フィービー、オルドー。二人とも久しぶりだね」
慈愛と優しさに染まる黄金の瞳がフィービーに向けられる。
「フィービー。最後に会った時より、随分と顔色が良くなった。それに肉付きも良くなったね」
「え」
遠回しに太った? と問われたフィービーは顔を真っ赤にした。此処で提供される食事が美味しいのは勿論だが、最大の理由は……。
「きっと……お父様やお兄様がいない場所で食事をするのが理由なんだと思います」
ウェリタース家にいた頃の食事は勿論美味しかった。フィービーを赤ん坊の頃より知る料理長は、時折フィービーの料理だけ味を変えてくれていた。密かな楽しみでも同じ場所に父と兄がいる空間での食事は無意識にフィービーを蝕んでいた。その証拠にフィービーの食事量はジゼルを除いた成人四人より少なくしてもらっていた。
「侯爵家の食事が決して美味しくない訳じゃありません。お父様とお兄様がいるとあまり喉が通らなかった」
「此処に来て食欲が戻ったんだね。今の方がずっと健康的に見えるよ」
「そう、ですか?」
「うん」
寧ろ、北の教会支部で食事をして以降、食べ過ぎてしまっている気がしていた。常にコルセットをしなくなったのも原因だと考えている。
「僕も叔父上と同じ考えだ。来た当初と今を比べたら、今の方がずっと健康的だ。貴族の娘は体型を気にするあまり食事の量が少ないとは知っていたが、フィービーの場合は孤児院の子供達より細かった」
オルドーにも言われるとそうだったのだと納得するしかない。
「今の私だとウェリタース家に置いて来たドレスは、もう着れませんね」
「劇的に太ったって訳じゃない。健康的な膨らみを取り戻したんだ」
「はい」
自然と笑えるようになったのも、食事の時間が苦痛ではなくなったのも、生きているのが楽しいと思えるようになったのも全部北の教会支部に来て感じられた。
心のまま見せられた笑みはフィデスを安心させた。「さて」とフィデスが発すると少しだけ纏う空気が変わった。
「フィービー、君が家を出た後のウェリタース家やミゲルについて知りたくないかい?」
「!」
オルドーにフィデスが北の教会支部に来ると聞いた時から、帝都の状況を聞きたいとフィービーは考えていた。見透かされていたと気付いてもフィービーに焦りはない。
「はい。お願いします」
家族の様子はダイソンやハンナ、アイが送る手紙で大体は把握している。ミゲルについては少し触れている程度で詳細は分からない。
場所の移動をとなり、三人はオルドーの執務室に移動した。暖炉によって温められた部屋に入ると身体を覆っていた冷気が急激に消え、心地よい感覚を齎す。
「叔父上、飲み物を用意しましょうか?」
「いや。私はいい」
フィービーは? と訊ねられ、フィービーも遠慮した。というか、自分で用意するか聞くべきだったと謝ると「気にするな。此処では気付いた方が先に動く」とオルドーに返される。真ん中のソファーにフィービーは一人、向かいにフィデスとオルドーが並んで座った。
「先ず。フィービーが私とオルドー以外で家を出たと知るのは、ウェリタース家とアリアージュ家、それと君の友人アイ=アシュフォードのみ。周囲には隠しているが今度のパーティーでは隠しようがないだろうね」
「……」
皇家主催の行事に帝国貴族の参加は必須。免除されるのは病床に臥せっている者か、参加年齢に達していない幼子のみ。
「この点についてはエイヴァ夫人と策を練っている。心配いらないさ」
「お義母様が?」
「ああ。きっと、フィービーがよく私の許に来ていたのを覚えていて、私がフィービーの家出に手を貸したのではと一人で訪ねて来たんだ」
格好もお忍びで侯爵夫人が司祭に深刻な相談をしに来た体を装っていた。
「エイヴァ夫人は敢えて居場所を知らないままでいると話していた。居場所を知る人数が増えれば、知られる危険性も高いと」
ダイソンやハンナの手紙で義母について書かれていた。表立って良好な関係を築けずとも、フィービーをよく心配し気遣っていた。無事でいるならそれでいい、平和に暮らせていると知っているだけで満足だと語った義母の姿が目に浮かぶ。
「パーティーでウェリタース侯爵やミリアンがフィービーが家出をしたとうっかり漏らさないよう私がきつーく釘を刺しておいた」
「お父様やお兄様は、私を快く思っていませんが家名に泥を上塗りする真似はしないかと」
「さてね。あの二人は、フィービーに捨てられて憔悴しているか苛立っているかのどちらかに分かれている。まあ、侯爵の憔悴が酷い。ミゲルとダイアナの関係にそれ程悩んでいたなら、どうして相談しなかったのかと言っているそうだよ」
「なっ」
散々ミゲルとダイアナは幼馴染であって嫉妬をするフィービーが醜いと散々罵ったのに、何を今更言っているのか。フィービーが絶句していてもフィデスの話は続く。
「侯爵が男女の幼馴染でも友情が成立すると思い込むのは、亡くなったダイアナ夫人の影響だろうね」
何故そこで母の名が出るのか。落ち着きを取り戻したフィービーは一句一句聞き逃さないよう集中する。
「フィービーはダイアナ夫人に幼馴染がいると聞いたことは?」
「領地で暮らしていた子供の頃、毎日森の中を駆け回っていた友達がいたとは聞いています」
もしかしてその友達は男の子だった? 顔に出ていたのか、フィデスは肯定し、その友達の正体がクリストファー=ローウェルと明かした。度肝を抜かれるとはこのこと。母とローウェル公爵に接点があったとは一切知らない。会うと必ず挨拶をしてくるクリストファーはフィービーにとって一種の恐怖の対象。まだあからさまに敵意を剥き出しにする公爵夫人の方がマシ。
「ダイアナとクリストファー君はとても仲が良かったんだ」
先代ローウェル公爵夫人の生家とダイアナの生家サンディス家が治める領地が隣同士であり、幼少期は身体の弱かったクリストファーは空気の澄んだ領地で療養していた。
体力が有り余って毎日屋敷を駆け回るダイアナを追いかけ回す使用人達の疲弊が濃く、自然豊かで広大な領地で住んでいれば何れダイアナも落ち着きを身に付けると考えられ、領地へ送られた経緯がある。
「領地が隣同士なのもあって両家の関係は大変良好でね。クリストファー君の話し相手にとダイアナが選ばれた。二人が出会ったきっかけさ」
動き回るだけではなく、一度口を開くと延々と喋り続けるダイアナと一日中ベッドの上でしか過ごせないクリストファーの相性は良く、朝からやって来ては夕刻までダイアナが喋り倒しクリストファーがずっと聞き役に徹した。フィデスが当時をよく知るのは両家の当主夫妻、ダイアナやクリストファーに聞いた為。
「彼の病気は薬が合ったのと年齢を重ねるごとに良くなっていってね。四歳くらいから領地で療養してその六年後には動けるようになっていった」
ダイアナみたいに一日中走り回る体力はなくても一緒に遊べる程に身体は成長した。
呆けた様子のフィービーはオルドーの怪訝な声にハッとなり、慌てて謝った。
「す、すみません。私の知るローウェル公爵とイメージが違い過ぎて……」
「フィービーの持つ公爵のイメージって?」
正直に言っていいか迷うもこの二人になら話せると、夜会や公式行事で出会うと必ず声を掛けられ、フィービーを見つめるクリストファーを怖いと感じたことを正直に伝えた。母の前で見せていた素顔とフィービーの前で見せていた昏く執着めいた念を纏った顔。どちらが本当の公爵の姿なのかフィービーも知りたくなった。
「クリストファー君もダイアナに瓜二つなフィービーに面影を重ねているのか……君を通してダイアナを見ているかの、どちらかだね」
「公爵は……もしかしてお母様を?」
フィービーの問いをフィデスはあっさりと肯定した。
更に。
「元々、ダイアナと結婚するのはクリストファー君だったんだ」
「え!?」
驚きのあまり大きな声を出してしまい、恥ずかし気に俯くフィービー。「気にするな」とオルドーに助け舟を出され、まだ赤い顔のままフィデスに続きを求めた。
「ダイアナが完璧な淑女と呼ばれ始めたのは、クリストファー君を意識してだった。何時までも山や森を駆け回る野猿でいては彼の結婚相手にはなれないと考えてね。デビュタントでダイアナに会った時は心底驚いたよ。元気一杯に裸足で走り回っていた女の子が見違える程綺麗になった上、社交界の模範的な淑女になっていたんだから」
病に伏せベッドの上で過ごす母に昔話をせがんでは聞いたフィービーは、裸足で森や山を駆け回る母の姿が想像出来てしまうせいで完璧な淑女と呼ばれる母の姿と一致しなくて不思議な感覚に陥っているがどちらも母だとすぐに認識を改めた。
「クリストファー君もダイアナを愛していた。両家の当主も二人の婚約を結ぶ段取りをしていた」
関係良好な両家が縁を結んでも問題はなく、後はクリストファーがダイアナに求婚し、ダイアナが受け入れれば婚約は成立する。
……筈だった。
「ですがお母様はお父様と結婚し、ウェリタース侯爵夫人になっています。二人に一体何が」
「それがね……横恋慕したのさ。現公爵夫人レティーシャが」
病が完治し、健康になったクリストファーは名家の次期当主とあって貴族の少女達の憧れの的であった。彼の婚約者になりたい、未来のローウェル公爵夫人になりたいと願う気持ちが最も強かったのがレティーシャ。
「フィービーも知っての通り、現皇后はレティーシャの姉。先代ローウェル公爵夫妻やクリストファーに何度も断られたレティーシャは、当時皇太子妃であったビアトリスに泣き付いたんだ」
「まさか……皇太子妃殿下に先代ローウェル公爵を説得するように頼んだのですか?」
「もっと酷い」
妹の頼みを聞き入れたビアトリスは当時皇太子であったリーンハルトに相談し、父である皇帝にクリストファーの婚約者にレティーシャを推薦した。姉は皇太子妃、妹は筆頭公爵家に嫁入りする。身内に箔がつくと皇帝はクリストファーとレティーシャの婚約を命じた。
「そんなっ、皇帝陛下に命じられれば拒否なんて……」
「私が知ったのは強制的に婚約が結ばれた後。今思うと私の耳に入れば反対され、時間を伸ばしている間に手を回されると甥っ子達は考えたのだろうね」
両想いの相手がいて、もう少しのところで二人は結ばれハッピーエンドを迎えられる筈だったのを、たった一人の我儘のせいで全て台無しとなってしまった。
「典型的な政略結婚っていうやつか」とオルドーは嘆息した。
「僕も少しは知ってる。そのせいで一時皇族の信頼が失墜したと」
「そうそう。皇族が貴族の結婚に口を出すのかと強く非難された。それも皇太子妃の妹となると余計にね」
後の祭りだとしてもダイアナとクリストファーが想い合っていたのを知るフィデスは実兄を強く非難し、甥夫婦にも対しても強烈に非難した。
「ダイアナとの未来を閉ざされたクリストファー君の憔悴振りは見ていられなかった。一時は自殺するんじゃないかって先代夫妻に頼まれて彼の様子を定期的に見ていた」
そしてその間にダイアナは夫となるゴーランド=ウェリタースとの政略結婚が決まった。
「お父様とはどのような経緯で?」
「ダイアナの方もクリストファー君と結婚出来ないとなって酷く落ち込んでいた。だが、貴族の娘として生まれたからには義務は果たすと父君に結婚相手を見繕ってもらった」
「それがお父様……」
まだ家族四人だった頃の記憶を思い出す。両親の関係は非常に良く、どちらもお互いを愛していた。特に母を深く愛していた父だからこそ、母が不治の病に罹った時はあらゆる治療法を模索し、亡くなった時は後追いしてしまうのではと危惧する程追い詰められていた。
——……そんな時に私が元気付けようとした……。
亡くなる前の母に託された遺言に従ったとはいえ、父の目から見たら、母の死を悲しまない心のない娘だと映ったのだろうか。母の死を嘆きもせず、元気に振る舞うフィービーに憎しみを抱き——代わりに死んでしまえば良かったと至ったのだろう。
「ウェリタース侯爵の方は、ダイアナに片想いしていてね。婚約の予定がなくなったダイアナに真っ先に婚約を申し込んだのが彼だったって聞いてる」
知らなかった母やローウェル公爵の過去を聞き、一つ腑に落ちたことが出来た。
レティーシャだ。
娘のダイアナの想い人たるミゲルの婚約者の座に収まるフィービーが気に喰わないにしては、同じ場所にいると必ず憎しみと怒りを込めた目で睨まれた。その意味を漸く理解した。
「ローウェル公爵夫人にとって私は、公爵の想い人だったお母様に瓜二つな憎い娘だったのですね」
「それだけじゃない」とフィデスは否定する。
「……私が出発する前、アルドルとミゲルと話した」
「ミゲルと皇太子殿下に……」
「フィービー。君がミゲルとデートをする日、必ずダイアナが熱を出してミゲルを君の許へ行かせないようにした。ミゲルやアリアージュ夫妻は、邸内に内通者がいると睨んでいる」
「……」
「君にとっては今更な話かもしれない。けれど、ミゲルとアルドルと話してあることに気が付いた。君とミゲルのデートを邪魔しているのはローウェル家だけじゃないと」
フィービーがミゲルとデートをする当日、フィデスの言う通り必ずダイアナが熱を出す。そしてミゲルはダイアナの懇願を受け入れ、デートをキャンセルしてきた。デートが終わった後でお見舞いに行ってほしいと引き止めるフィービーの手をそっと離したのもミゲル。ダイアナのお見舞いに行くのはミゲルの意思だと諦めていたフィービーは、途中で声を挟むもフィデスに取り敢えず最後まで聞いてほしいと遮られてしまう。
「アルドルに言われて私もハッとした。君やミゲルの予定を知るのは、何もアリアージュ家だけじゃない。ウェリタース家もそうだ」
「我が家にダイアナ様に情報を流している人がいると……? ですがそんなことをして得をする人は……」
「ミゲルが隠していたことを話してくれた。それを踏まえて一人浮上した。——君の父、ウェリタース侯爵だ」
耳を疑うという言葉はこんな時にピッタリだ、と誰かが心の中で呟いた。
呆然とするフィービーは何とか声を出そうと気力を振り絞り、父の名が出るのかと問うた。また、ミゲルが隠していたこととは? とも。
「ウェリタース侯爵がミゲルとダイアナの関係を肯定していたのは、恐らく君を嫁入りさせない為だった。君と会わせる前、単身アリアージュ家を訪れ、ミゲルと二人きりになるとフィービーを嫁がせる気はないと牽制したんだ。あの時のミゲルが嘘を吐いているとは到底思えない」




