19話 死んでも死なない
熱により火照った頬、額に浮かぶ汗、苦し気な息遣い。プラチナブロンドに青い瞳の儚げな美少女が苦しむ姿は、一部の男達の心を鷲掴む魔性の魅力があった。ふらりと倒れそうになったのを側にいた女性が支えた。
「ダイアナ、しっかりしなさい」
「う、うん。ミゲルに会うまで倒れたくないっ」
支えがなければ倒れてしまう寸前のダイアナは、母レティーシャの言葉を励みに、騎士団総本部の前にいた。アリアージュ公爵家に行くとミゲルはいないとすげなく追い返され、それならとミゲルがいる確率の高い場所に来た。屋敷にいない時は大抵此処にいるとダイアナは知っている。
鍛錬場で稽古をしているとダイアナの対応をしていた二人の騎士の内、一人が鍛錬場へ走り去って暫く。戻った騎士は「同僚に聞いたら、皇太子殿下がミゲルを連れて何処かへ行ったようで今はもういません」とミゲルの不在を伝えた。
「そ、そんな!」
熱を出して辛い体を引き摺って会いに来たのに、会いたい人が不在と知ったダイアナはショックのあまり意識を失い掛けた。レティーシャに凭れたダイアナは泣きそうな目で母に「アルドル様の行き場所に心当たりは?」と聞いた。
「流石に皇太子殿下のいそうな場所までは……」
さり気無く騎士に目を向けるも、一介の騎士が皇太子の居場所等知っている筈がなく、慌てて知らないと首を振られた。
ミゲルが不在なら此処に用はなく、フラフラのダイアナを連れてレティーシャは騎士団本部を後にし、皇族の居住区に足を向けた。騎士団本部と距離はあるがダイアナの容態を見るに、まだ歩ける距離だと判断した。
「うぅ……お母様っ……ミゲルに会いたいわっ」
「ええ、ええ。分かってる。ミゲル様を探す前に一旦休憩しましょう」
泣き出す寸前のダイアナを支えながら、どうにかいつも使用している休憩室に入れた。ダイアナやレティーシャが遊びに来たら好きに使っていいよう姉の皇后が手配した。
ベッドに寝かせられたダイアナは母の手を両手で握った。火照った顔と同じで掌の温度も高くなっている。
「わたくしは何時ミゲルの婚約者になれるの? いい加減わたくしだって我慢の限界よっ」
「ダイアナ聞いてちょうだい。貴女とミゲル様が相思相愛でも、貴族が正式に結んだ契約は簡単には覆せないものなの」
「嫌よ! わたくしはミゲルのお嫁さんになりたいの! ミゲル以外の人に嫁ぐのも独身のままいるのも絶対嫌!」
「分かって頂戴。私やクリストファーだって、貴女をミゲル様の婚約者にしたい気持ちはずっとある」
しかし、フィービーとミゲル、どちらにも婚約破棄や解消となる素材がない。フィービーからミゲルを引き離す為、今まで二人の関係を徹底的に邪魔をした。レティーシャの協力者がフィービーとミゲルがデートをする日取りを数日前に教え、当日ダイアナの体調不良を理由にミゲルを呼び出すことにいつも成功している。過去に何度かミゲルは見舞いを拒否するが、ミゲルが会いに来てくれない悲しさのあまりダイアナの容態は悪化し、生死の淵を何度も彷徨った。ダイアナが死んだらミゲルのせいだと夫婦で責め立てたお陰でミゲルは必ず見舞いに来てくれるようになった。
「アリアージュのおじ様やおば様は、子供の頃はわたくしにとても優しかったのに最近はちっとも優しくしてくれないっ。それもこれも、ウェリタース侯爵令嬢がわたくしの隣を奪ったせいよ!」
「ダイアナ。あまり怒ると貴女の体に障る。今は安静にしなさい。少し良くなったらミゲル様に会いに行きましょう。ダイアナが眠ってくれるなら、その間に私はお姉様に皇太子殿下の居場所に心当たりがないか聞いてみるわね」
「ほんと……? お願いね? お母様。わたくしミゲルに会いたい……子供の頃のようにミゲルとずっといたいの」
「安心しなさいダイアナ。貴女の願いは必ず私とクリストファーが叶えてあげる」
眠れない幼子をあやす手付きでダイアナの頭を撫でてやると次第にうつらうつらとし始め、少しすると眠りに就いた。レティーシャは部屋を出ると真っ直ぐと歩き始めた。
ダイアナに見せていた母親の顔は消え、段々と嫉妬に塗れた険しい表情へと変わる。
「忌々しいっ」
レティーシャの脳裏に蘇るのはフィービー。ではなく、フィービーが瓜二つのダイアナ=ウェリタース。ピンクがかった銀の髪と青い瞳。瞳の色は帝国貴族なら珍しくなくても、髪の色だけは唯一といっていい。
「死んでも私の側を離れないっ」
ダイアナ=ウェリタースが病によって亡くなったと聞いた時は心の底から歓喜した。レティーシャの愛する人クリストファーの心をずっと縛り付け、完璧な淑女の名を欲しいがままにする忌々しい女。
死ねばクリストファーの心は永遠に自分だけの物になると信じたのに、実際はより強くダイアナ=ウェリタースによって縛られてしまった。死んだことでクリストファーにとって彼女は永遠の想い人となってしまった。そこにレティーシャの付け入る隙は一切なく、亡くなって二年が過ぎても彼女を忘れられないクリストファーを詰った。
「っ」
思い出すだけで腸が煮えくり返る。
高位貴族の令嬢のくせに山や森の中を裸足で駆け回り、高い木に登っては馬鹿みたいにはしゃぐ。野猿のくせに何が完璧な淑女か、何が社交界一の美女か。面と向かって野猿如きがクリストファーを誘惑するなと啖呵を切ったことがあった。その時は夫婦で夜会に参加していて、彼女の横にはウェリタース侯爵もいた。妻を侮辱され怒りを見せた侯爵を制したダイアナは嫉妬によって派生した怒りを露にするレティーシャを怒りも、悲しみもせず——満面の笑顔で肯定した。
『はい! 子供の頃は、ずっと領地で過ごしていたのと生来の気質のせいか、兎に角体を動かすのが大好きでした。レティーシャ様に野猿と呼ばれても事実ですので否定は致しません。ローウェル公爵様には昔馴染みとはいえ、つい気安く接してしまい申し訳ありませんでした』
侮辱を肯定し、レティーシャを怒らせたのは自身の落ち度だと素直に認め、謝罪するダイアナの凛とした佇まいに圧倒された。此方を窺っていた周囲もダイアナのそれに圧倒され、嘲りも囁き声も出せず、惚けて彼女を見ていた。
ダイアナに見惚れ、先に現実に戻ったのが夫のクリストファーだった。
ハッとなった瞬間レティーシャの頬を打ち、驚くウェリタース夫妻に頭を下げた。
『妻が奥方に失礼な真似をした。申し訳ない』
大勢の人の前で頬を打たれた挙句、夫が自身にとって恋敵の女とその夫に頭を下げた。屈辱以外何物でもない。怒りなのか、ショックなのか、プルプルと身体を震わせるレティーシャを冷たく射抜き、詫びろと視線で詰られた。
私は悪くない、悪いのは妻のいる男を誘惑する目の前の女が悪い!
声に出して罵倒したところで責められるのはレティーシャ。激しい屈辱を味わわされた怒りを堪えるあまり、会場を出て行った。
あの時の屈辱は今でも忘れられない。屋敷に戻った後もクリストファーにはダイアナ=ウェリタースに正式に謝罪しろと迫られ、暫くの間社交界では笑い物にされた。
母親の報いは娘が受けるべきだ。ミゲルがダイアナと仲睦まじくする度、フィービーは暗く俯き一人置いて行かれた。フィービーが傷付く姿を見るだけでレティーシャの心は救われ、母親の報いを受けて当然だと嗤った。
「お姉様に言ってどうにかしてもらわないと」
ダイアナとフィービー揃って、愛する人をレティーシャと愛娘から奪おうとする。絶対に許してはいけない。
最近協力者が情報を送って来ない。フィービーとミゲルが接触するのを快く思わないのに何故協力しないのかと苛立つが、どうもミゲルの方もフィービーと最近会った形跡がないように見える。フィービーに何かあったのだとしたら……
「……そのまま死ねばいいものを」
母親の後を追い掛け、母娘二人空の上で暮らせばいい。
皇后が午前中いる場所で最も確率が高いのが皇后の執務室。レティーシャが来ていると事前に知らされていたらしく、訪れると休憩をするところだったとソファーに座るよう勧められた。
「お姉様お願いがあります」
「藪から棒になあに」
隣に座った皇后——ビアトリスに泣き付いた。
「ダイアナなら今看病をされている筈よ。レティが来ていると伝えられた時に手配したもの」
「ありがとうお姉様。ウェリタース侯爵令嬢とミゲル様の婚約を破棄してほしいのが私のお願い」
「無理よ」
あっさりと断られたレティーシャは尚も縋るがビアトリスによしよしと頬を撫でられる。
「ウェリタース侯爵令嬢とアリアージュ公爵令息の婚約は、両家が正式に認めて結ばれているのよ? 申請された書類には不備がなく、婚約破棄に持っていける材料があの二人にはないじゃない」
「それはっ! 私とクリストファーの時は、皇太子殿下に掛け合ってくれたのにこの二人が駄目なのはどうして!」
「あの時、クリストファー様はダイアナ=サンディス侯爵令嬢に婚約を申し込む前だったから横槍を入れられたのよ。でも、私ちょっと後悔してる。あの後旦那様共々義父に叱られてしまって」
義父とは先帝を指す。
当時のローウェル公爵とサンディス侯爵の間では、既に話が纏まっており、後はクリストファーがダイアナに求婚し、ダイアナが受け入れれば婚約が成立する筈だった。皇帝の横槍を受けて両家の計画は破綻した上、公私混同が過ぎると一時皇族への信頼が落ちてしまった。
「正式に結ばれる前だったなら良いじゃない! 悪いことはしてない!」
「皇帝の命令で結婚を強制されれば逆らえないって誰でも分かるでしょう? レティ、陛下の命令でウェリタース侯爵令嬢とアリアージュ公爵令息を婚約破棄させて、ダイアナと婚約させたらまた皇族は私情で貴族の結婚に口を挟んだと冷ややかに見られるのよ? 貴女のお願いでもこれは駄目」
「っ!」
頼みの綱が駄目だと分かったレティーシャは俯き、悔し気に唇を噛み締めた。子供達や周囲の前では関係良好な夫婦を演じているが、誰の目もなくなるとクリストファーはレティーシャを顧みない。彼の目に映るのは幼馴染のダイアナだけ。彼女が亡くなってからは、彼女に容姿も声も瓜二つのフィービーに変わった。
「ねえレティ。ダイアナの病気はまだ解明されないの?」
「え、ええ」
「オルドー様が子供の頃患った病気なら、既に特効薬も開発されて成人する頃には完治しているのに」
難儀ねえ、と溜め息を吐いたビアトリスに曖昧に頷くレティーシャ。
「特効薬は高額だと言われているけれど、ローウェル公爵家の財力なら払えない金額じゃないのにね」
「本当に……難儀ですわ。……あ、お姉様、皇太子殿下が何処にいらっしゃるかご存知ありませんか?」
「アルドル?」
騎士団本部内にある鍛錬場にミゲルといると知ってやって来たがアルドルが彼を連れ出して何処かへ行ってしまい、居場所の心当たりがないかと訊ねに来たのが抑々の理由とレティーシャが語るとビアトリスは分からないと首を振った。
「あの子自由気儘だもの。戻るのを待つ? アリアージュ公爵令息とセットで戻るかは分からないけれど」
「そう……します。いなければ、ダイアナを説得して今日は帰ります」
「そうしなさい。あまり無理をしてもダイアナには毒よ」
「はい……お姉様」
——レティーシャの探し人、アルドルはミゲルを伴って大教会に来ていた。建物の右側に回り、並んだ花壇の前で花に水やりをしていると思っていたフィデスを見つけるなり二人揃って目を丸くした。花壇の側に如雨露が置いてあるので水やりをしていたのは間違いない。
「ん? おや、珍しくもない組み合わせだね。アルドル、ミゲル」
フィデスは普通山に棲息しているタヌキを愛でていた。
ただ、タヌキにしては随分と毛が長い。
アルドルとミゲルの怪訝な眼を受けて「ああ」とタヌキっぽい生き物を見つめた。
「この子は知り合いの飼い猫なんだ。急用があって少しの間、預かってほしいって今朝預かったんだ」
タヌキと思った生き物は、見た目がタヌキに似た猫だった。
「それで? 私に用があって来たんだろう?」
「大叔父上に聞きたいことがあって」
「私に教えられることなら何だって聞こう」
「なら、単刀直入に聞きましょうか。
——フィービー=ウェリタース侯爵令嬢が何処にいるか、大叔父上は御存知ありませんか?」




