18話 不穏な冬の気配
冬の始まりが最も早く訪れる北の地は、冷たく強い風が吹くようになった。身体にブランケットを巻いて外で遊ぶ子供達を見守るフィービーは、隣にいるトレイシーを見やった。北の地域の出身だけあって寒さには強く、フィービーと同じで身体にブランケットを巻いているが寒がっている風には見えない。走り回る子供達の首にはマフラーが巻かれており、黄色のマフラーを巻いているナナリーの姿は特に目立つ。
防寒具の準備をとなった際、子供達は昨年引き続き使用可能な物は継続で使用し、使えなくなった物は新たに買うこととなった。ナナリーが元々持っていたマフラーは汚れが目立ち、新品購入リストに入れた。
『新しいマフラーはどんなのがいい?』とトレイシーがナナリーに希望を訊ねたら、他の子供達の防寒具をダイアナと確認をしていたフィービーの側へ寄り、フィービーの手作りがいいと言い出した。
女の子達はフィービーに編み物や刺繍を習っている為彼女の腕前を知っており、今回マフラーを新調するのはナナリーだけ。既製品よりフィービーの手作りがいいと強請ったナナリーの希望にフィービー自身が頷いた。
先ずは好みの色を聞く。複雑な配色だと作業時間が通常の倍は掛かるがナナリーが選んだのは黄色のみ。愛らしい小花を彷彿とさせるナナリーに似合うと黄色の中にピンクの花を追加したマフラーが完成した。出来上がったマフラーを受け取った時のナナリーは大喜びで……不意にジゼルが脳裏を過ぎった。
フィービーの手作りを渡した時のジゼルもナナリーのように全身で嬉しさを表現していた。何も言わずに家を出た異母姉を恨んでいるか、会えなくて寂しがっているかフィービーには分からない。
「この前、お給料を貰ったじゃない? フィービーにとっては初任給だけれど何に使うの?」
働いている人にとって待望の給料日がついこの間あった。初めて自分で稼いだお金を感慨深く眺めていたフィービーはまだ決めていないと笑む。
「お給料を頂く前に防寒具は揃えてしまいましたし、他に追加したい家具もありません。一応、アズに街で買い物をしようって誘われています」
「なら、行っておいでよ。今の内に行っておかないと気付いたら周りが雪一色になっているわ」
最初人見知りを発動したトレイシーと会話が続かなかったものの、時間が経つと慣れが生まれ今ではこうしてフィービーと普通に話せている。アズエラも同様だ。
「風もかなり冷たくなってきてる。例年通りなら、来週くらいには雪が降り始めてる」
「それなら……買い置きをしておいた方が良さそうですね」
冬の時期の食料は春から秋にかけて作る保存食や寒さに強い野菜に限定される。食糧庫には毎年冬を越せる分の食料が備蓄されており、飢えたことは今まで一度もないとオルドーには説明を受けている。
「お菓子なんかも保存の利く物を選ぶのが基本。お母さんに教えてもらった?」
「ダイアナさんに幾つか教わっています。あ、明日の買い物トレイシーさんも行きませんか?」
「そうしたいけど、私は別の用事があっていけない」
「そうですか」
残念だが先約があるのなら仕方ない。再び意識を子供達に向けると最年長のエペルが二人に手を振っていて、二人も手を振り返した。熟したリンゴの如く真っ赤な髪と黒い瞳の綺麗な顔立ちの男の子だ。白い歯を見せて笑顔なところを見ると上機嫌らしいがナナリーに体当たりをされて後ろに倒れた。
「元気ですね」
「元気ね」
初めて見た時、フィービーは顔色を変えて飛んで行こうとしたがウォレスに止められた。
『気にするな。あれくらいは日常茶飯事。ただじゃれあってるだけさ』
『で、でも、怪我をしたら』
『子供が負う怪我なんて大抵は遊んで出来る。掠り傷の一つや二つどうってことねえよ』
転んで膝に傷を作ろうと再び立ち上がってはまた走り出す逞しい子供達を見ているとウォレスの言葉は事実なんだとフィービーを驚かせた。一月も過ごせばすっかりと慣れ、転んですぐに立ち上がるなら駆け寄らなくなった。
「上位貴族の令嬢は、あんな風に走り回ったりしない?」
「しませんね。でも」
亡き母ダイアナが生きていた頃は、視線の先で走り回る子供達程ではないにしろ、庭で兄ミリアンとよく駆け回った。側にはいつも母がいて、時折父が来てはミリアンとフィービーを追い掛けた。あの頃が一番幸せで楽しかった。
父に捕まるとミリアンもフィービーも喜び、見守っていたダイアナが側に行って皆で笑い合った。
「お母様が生きていた頃は……あんな風に兄と走って、それを父が追い掛けて私と兄は父に捕まったらはしゃいで笑っていました」
「仲が良かったんだ」
「それもお母様が亡くなって以降は消えました」
フィービーにとってもあの二人にとっても母は世界の中心だった。いつも温かく家族を見守っていた太陽が消えると三人の関係は一気に変わってしまった。
変えたのは父と兄。元に戻る努力をしたフィービーを拒絶した。
「お母様はお父様やお兄様には内緒よ? って、私に色んな話をしてくださいました。例えば、お母様は領地で暮らしていた子供の頃、ドレス姿のまま木に登っては使用人達を困らせていたと」
「ドレス姿で? 器用ね」
「はい」
内緒だが子供の頃のフィービーも母の真似をしてドレス姿で木に登ったり、屋根の上に行っていた。ハンナが毎回青褪めた様子でフィービーの名を叫んでいた。当時のフィービーはハンナが見ていると楽しくなって上へ上へと登っていたが、後になって考えると落ちた時のことを考えていたハンナの心境は恐怖そのものだったろうと反省している。
「あ、いた。フィービーさん」
「ダイアナさん」
二人並んで立っているところにやって来たダイアナは教会にフィービー宛の荷物が届いていると伝えた。正確にはオルドー宛の荷物の中にフィービーに宛てた荷物が紛れていたとか。心当たりが一つあるフィービーはダイアナにお礼を言い、トレイシーに断りを入れると教会に入りオルドーの執務室を目指した。北の教会支部にフィービーがいると知るのは大教会の司祭フィデスと親戚のアイ、それとダイソンとハンナのみ。
此処に荷物を送るとしたら前者のどちらかに限られる。
オルドーの執務室に着くと扉を叩いた。許可を貰い扉を開けば、届けられた荷物がオルドーの執務机に綺麗に並べられている。
当のオルドーは片手に持つ手紙を顰めっ面で見下ろしており、フィービーが声を掛ける前に机にある物は全てフィービー宛の物だと伝えた。
「叔父上の名前で届けられているが、君へのプレゼントはアシュフォード男爵令嬢が送ってきている」
「アイが?」
ハンナと同じで約束していた頻度での手紙のやり取りは距離の都合上不可能となったのは報せてある。何が届けられたのかと近寄る。大きな膨らみのあるピンクの巾着を持つとずっしりとした重みがあり、まさかと思って中を覗くと巾着一杯に金貨が詰められていた。家出を実行した当日の夜もフィービーの許に駆け付け、一カ月のお小遣いを渡された。アイに貰った金貨は極力使わないようにし、自分で持って来た宝石類を売った為、最初に持たされた巾着にも沢山の金貨が詰まったままだ。
「こんなに貰って却って申し訳ないわ……アイは一月のお小遣いだから気にしないで言うけれど」
「流石帝国一の大富豪だな……」
少し引いているオルドーの頬は引き攣っており、気持ちが分かるフィービーは苦笑して見せた。
「アイ自身はお小遣いを使う機会がなくて貯まる一方だとよく愚痴を零していました。欲しい物はおじ様に言ったら何でも買ってもらえると」
「娘にとって必要な物だと判断して与えているんだろう。ぼくはあまり話したことないが見るからに娘に甘そうな父親だった」
「奥方にもとても優しい人ですよ。オルドー様が読んでいるのはフィデス司祭の?」
「ああ。この間話した皇帝陛下の誕生日パーティーについて覚えているか?」
「はい」
面倒で行きたくないとぼやくオルドーの目がとても遠くなっていたのもよく覚えている。
「叔父上には育ててもらった恩がある。可能な限り要請には応じるつもりだが、皇帝と会うのは正直面倒で仕方ない」
本人や周囲の耳がない、強いて言うならフィービーしかいないこの場でしか言えない愚痴である。
「会えば人のことを殺さんばかりに睨んで、挙句水で溶かした小麦粉みたいにネチネチと絡んでくる。ぼくが嫌いなくせに」
皇家主催の行事は皇族も貴族もほぼ強制参加が帝国の規則。更にオルドーは皇太子と皇帝の関係が悪く、自身とは良好なせいで尚陰湿さに磨きが掛かっているとうんざりと吐き出した。
「アルドル皇太子殿下と陛下の仲が悪いとは帝都でも有名です」
「ああ。その内教えてやる。実に下らんがな」
うんざりさに磨きがかかった言葉を吐き出しながら、オルドーの黄金の瞳は憂鬱気に手紙の文面を映していた。それに何が書かれているかフィービーには分からず、聞こうとも思わない。
「オルドー様と仲が良いのは意外でした」
「そうか? まあ、そうだろうな」
尊敬する父と同じ黄金の髪をも受け継いだ異母弟を疎むくらいだ、実の息子までとなれば皇帝の劣等感はより強く刺激されていた。
「アルドルは幸いにも皇帝と皇后の容姿をバランスよく受け継いだ。髪や瞳の色こそ皇帝と同じだが顔については皇后似だ。アルドルには、会う度にぼくと同じじゃなくて良かったと言われる」
違う意味でうんざりしていると吐くオルドーに同情したくなるフィービーであった。
●○●○●○
騎士団に属する団員が使用する鍛錬場では、荒く息を繰り返し、額から頬を流れた汗が地面を濡らし、手に持っている模擬刀を無造作に抛ったミゲルは周辺に斃れる多数の団員に一礼すると踵を返した。見学をしていた他の騎士達は青褪めた面で絶句し、鍛錬場を出て行ったミゲルを無言のまま見届けるしかなかった。約一カ月半、ミゲルが纏う雰囲気が明らかに変わった。以前までの冷静な姿は消え去り、陰鬱としながら怒気を含んだ姿からは悲惨な空気が出されていた。
長い廊下を歩くミゲルの顔に真っ白なタオルが投げられ手で受け止めた。
「上で見てた。礼儀正しいのか、そうでないのか、よく分からないな」
「アルドル……」
皇族が受け継ぐ黄金の瞳、皇帝と同じ暗紫色の髪の男性を見たミゲルが名前を紡いだ。
「荒れてるなミゲル。ウェリタース侯爵令嬢がいなくなってもう少しで二ヵ月か。ダイアナがローウェル夫人やジェイドに駄々を捏ねてお前をローウェル家に呼んでくれと泣き叫んでいるそうだぞ」
「私はもう付き合う気はない……」
この場にダイアナがいたらより泣き叫んで最悪熱を出し痙攣が起きて倒れてしまう、突き放す言葉をアルドルは呆れた眼で聞いた。
「ダイアナを筆頭にローウェル公爵家は調子に乗り過ぎている。夫人が母上の妹なのが最大の原因だがな」
「世間話をしに来たのか」
「まさか。お前に用があって来た。少し顔を貸せ。俺に付き合うなら、ウェリタース侯爵令嬢の手掛かりを知れるかもしれんぞ?」
アルドルの言葉を受けた途端目の色を変えたミゲルは、呆然とした面持ちで「フィービーの……?」と呟いた。
「ああ。ただ、あくまで可能性の話だ。俺の当てが外れれば振り出しに戻るが……どうする?」
当てが当たればフィービーの居場所を掴める。未だ一つも目撃情報が出て来ない以上、どんな些細な希望にも縋りたいミゲルはタオルを手に持ちアルドルの提案を受け入れた。
自分の後ろを付いて歩くミゲルにあることを言い忘れているアルドルだが、言ったところで今のミゲルが聞く耳を持たないのは分かっている為見つからなかったことにした。
——ミゲルが鍛錬場にいると嗅ぎ付けたダイアナが公爵夫人を連れて来ていると知らされても……ミゲルは会う気もないだろうからな。
ダイアナが来ていると従者に知らされたアルドルは、ダイアナの容態が悪いとも聞かされた。
顔を見た従者曰く熱が出ているのか真っ赤に染まっており、立っているだけでやっとな状態だったとか。そんな状態で外へ出るダイアナもだが、大人しくさせない公爵夫人も何を考えているのか。




