16話 変化と変わらないもの
孤児院の職員として働き始めて半月が過ぎた。以前オルドーに相談し、彼の知り合いに頼んで取り寄せてもらった鬘が漸くフィービーの許に届けられた。手触りがよく、サラサラとした髪質を羨ましく眺めるフィービーとアズエラは神官や職員が共同で使用する休憩室にいた。二人ともに髪に癖がある為、真っ直ぐな髪に憧れを持っていた。
「綺麗ね。髪の色はこれで良かったの?」とアズエラに問われたフィービーは満足げに頷いた。
「ええ。トレイシーさんに北の町でよくある髪の色を聞いてこれにしたわ」
フィービーが手に持つのは赤茶色の鬘。トレイシーの母ダイアナの薄い水色の髪は、元々他国から移住した先祖の色を受け継いでいると聞く。
「うーん」
「どうしたの?」
「鬘を被るには、私の今の髪の長さだと隠すのに時間が掛かりそうだなって。思い切って髪を短くしようかしら」
「ええ? 止めましょうよ勿体ない」
折角綺麗なピンクがかった銀の髪を切るのは勿体ないとアズエラに反対されるも、現実問題朝の支度に時間が掛かるのはなるべく避けたい。二人で良案はないかと意見交換をしているとダイアナが休憩をしに入った。二人の声が聞こえ為、気になって来たのだとか。フィービーの持つ鬘を見ると柔く微笑んだ。
「私がフィービーさんに鬘を被せてあげましょうか?」
「良いのですか?」
「ええ、勿論」
お言葉に甘えることにし、早速フィービーの部屋に移動した。鏡台の前に座ったフィービーは慣れた手付きで髪を梳くダイアナを鏡越しで見つめた。
「ダイアナさんは普段から自分で髪を?」
「ええ。爵位を持っていると言っても平民と変わりません。お手伝いさんを数名雇っていますが身の回りのことは、自分でするように心掛けています。トレイシーもそう育てて来ました」
ずっとハンナや使用人達に世話をされて育ったフィービーとは全く違う。孤児院の職員として働き出し、最低限のことなら自分で出来るようになってきたと言えど、周りと比べると月と蟻の差である。
「焦らなくていいのよ。人には人のペースがあります。フィービーさんにもそう。貴女のペースで徐々に慣れていけばいい」
「私のペースで……」
丁寧に、優しく髪を梳かれながらフィービーが考えるのは父や兄。あの二人は気遣う台詞をフィービーに掛けはしない。
「……私の父や兄は、私に決してそんな台詞は言いませんでした」
「フィービーさんのご実家は教育に厳しい家庭だったのかしら」
「いえ……」
鏡越しにアズエラと目が合う。そういえば、アズエラにも家族の話を殆どしたことがなかった。一カ月近く一緒にいるというのに。
アズエラが知っているフィービーと言えば、ウェリタース侯爵家の長女で名門アリアージュ公爵家の嫡男の婚約者、といったところ。
アズエラは詮索せず、何時かフィービーが話したくなったら聞くという姿勢のままでいる。
「私の母は私が八歳の頃に病で亡くなりました。私も兄も父も母が大好きでした」
常に家族を優しく、温かく包む太陽のような母を亡くして以降、特に母が大好きだった父と兄の落ち込み具合は激しく、生前二人の後を頼まれたフィービーは自身も悲しいのに母の言葉を守ろうと父と兄を励まし続けた。
「きっとそれがあの二人の目には、私は母の死を悲しんでいないと映ったのだと思います……」
「だとしたら、お母様はさぞかし悲しんでおられるでしょうね」
髪を一房持って毛先を何度も櫛で通しながら、ダイアナはこう語った。
「幼い娘が必死に前を向いて生きようとしているところを見たら、父親である自分が落ち込んだままでは亡くなった妻に顔向けが出来ない。そんなフィービーさんを見たらお父様はきっと前を向くと信じたのね」
「……」
ダイアナの言葉を否定も肯定もしないフィービー。ただ、何となく母ならきっとそう思っていたと信じられる。
それから父や兄とは溝が生まれ、その後父と再婚した後妻とも最初は打ち解けられなかったが切っ掛けがあって後妻をお母様と呼んだ時は泣かれてしまい、もしも父や兄に見つかったらと焦ったこと。
自分に異母妹がいて、ねえ様ねえ様と呼んで慕ってくれる異母妹がとても可愛いこと。
ぽつり、ぽつりとフィービーは髪を梳き終えるまでゆっくりと自身の話をした。
「ごめんなさい。突然身の上話を聞かせてしまって……」
「いいえ? 人の話を聞くのは私好きなの。フィービーさんも少しスッキリした顔になってる」
「ほんとですか?」
「ええ。誰かに話すことで気持ちが軽くなることもあります」
そうなのだろうか? きっとそうなのだろう。
黒いネットでフィービーの髪を纏めたダイアナに赤茶色の鬘を被せられた。髪の色が違うだけで別人が映っているようだとフィービーは感激し、一緒に見ているアズエラも「すごい……フィービーじゃないみたい」と感嘆の声を漏らした。
「これで完了。子供達の驚く顔が目に浮かぶわ」
「ありがとうございます、ダイアナさん」
「フィービーさんが自分で被れるようになるまで手伝うわ。遠慮なく言ってね」
「はい!」
瞳の色に関してはよくある色。オルドーの金色と違って珍しくはない。
そっとダイアナに抱き締められたフィービーは、昔母に抱き締められた感覚を思い出し、目頭が熱くなったのを誤魔化そうと肩に顔を埋めた。
○●○●○●
両手に赤い薔薇の花束を持った男性がDiana=Veritasと刻まれた墓石にそっと置いた。灰色がかった茶髪が風によって靡く。周囲が秋の色に染まった森の中にフィービーの母ダイアナの墓がある。
「まだ命日より二月は早いのに今年はどうして?」
男の後ろにいるのはこの地の管理人。ダイアナの生家が治める領地に埋葬されたのは、死後眠るのは子供の頃の思い出が詰まった土地がいいというダイアナの生前の言葉をウェリタース侯爵が守った為だ。
「いつも命日の少し後に来ますが今年はそうはいかないような気がして」
「お嬢様もきっと喜びになられているかと思いますが、きっと今の私と同じで不思議がっているでしょうな」
「ええ。私もそう思います」
「昔、お嬢様と貴方が背比べをして刻んだ木、まだ元気ですよ。見て行かれますか?」
「いや。今日は墓参りに来ただけです。また今度……春になったら来ます」
墓石に向かって頭を下げた後、後ろにいる管理人にも頭を下げた男はこの場を去った。
幼い頃の思い出が沢山詰まった場所で眠りたい……
「その気持ち……私にも分かる」
社交界で完璧な淑女と呼ばれていたダイアナだが、子供の頃の彼女を知る人は殆どいない。ウェリタース侯爵も然り。皆、完璧な淑女と呼ばれるダイアナしか知らない。
馬車に戻った男性を待っていた御者が「旦那様、この後は?」と訊ね、屋敷に戻ると言って馬車に乗り込んだ。
他に誰もいない車内で男——クリストファー=ローウェルは外の景色を消そうとカーテンを閉めた。
「アリアージュの倅とフィービー嬢を婚約破棄に追い込んでほしい、か」
ダイアナに瓜二つで声までそっくりなフィービー。自身の娘ダイアナが執着するミゲルの婚約者。妻のレティーシャは病弱で些細なことで熱を出すダイアナを溺愛している。愛する娘が愛する人と結ばれない理由がフィービーにあり、憎悪の念を常に向けている。
クリストファーは嘲りの笑いを放った。
「お前お得意の泣き落としで皇后に縋り、皇帝を動かせばいいものを」
嘗てクリストファーの妻の座を得るべく、皇太子妃だった姉に泣き縋り、皇太子が皇帝に訴え、皇帝の命令によって強制的に婚約を結んだレティーシャを——愛するどころかずっと憎んでいた。
娘のダイアナの非常識振りをそのままにしているのは愛しているからじゃない——本心どうでも良かった。アリアージュ公爵に非難されるのもまた同じ。表面上はその時に合わせた感情で振る舞うも……クリストファーの内心は常に無関心であった。レティーシャや子供達への振る舞いは皇族の目を気にしているだけだ。
「フィービー嬢を……見つけなくては……」
幼馴染のダイアナがウェリタース侯爵と結婚した際、侍女を一人潜り込ませた。ダイアナ亡き後もクリストファーの要望があれば情報を提供する優秀な密偵だ。その密偵からフィービーの失踪の報せを受けた。
嘗て、否、現在も尚愛し続けている女性に瓜二つなフィービーを手元に置きたい。ダイアナが死にかけた時、ミゲルを強く非難しトラウマを植え付けたのは、罪悪感からダイアナの側に居続けフィービーと婚約解消をさせる時期を早めようとした為。
居場所の手掛かりとなるものを早急に見つけよと指示は出しているが念入りに準備したのか、居場所の手掛かりは不明なままだが焦るつもりはない。
ウェリタース侯爵家側もフィービーの行方を掴めていない。連れ戻される前に自身の手で捕まえてしまえばいい。
——同じ頃、騎士団鍛錬場で剣を振るミゲルは心ここにあらずの状態でいた。フィービーの行方は依然掴めないまま。このまま二度と会えなくなってしまうのかと考えれば考える程、心は焦り剣を振るう腕が鈍くなる。剣を鞘に戻し、休憩用の長椅子に腰掛け、項垂れる。
「フィービー……」
フィービーが家出をした尤もな理由が自分にあるとミゲルとて解している。
『ミゲルお願いっ、ダイアナ様のお見舞いに行かないでなんて言わないから、今日だけは!』
ダイアナのように泣き喚くのではなく、泣きそうになりながらも涙を見せず引き止めるフィービーの手を取りたいと何度も過った。
だが、何度かミゲルが行かなかったせいで死の淵を彷徨ったダイアナを見ているせいで……トラウマとなってしまい、ミゲルの手は無意識にフィービーの手を離していた。
「……くそっ」
フィービーに会いたい。
会って、会って……。




