15話 一体誰のこと?
初日の勤務は恙なく終わり、ホッと息を吐いたフィービーを見ていたダイアナが声を掛けた。
「お疲れ様フィービーさん。どうでした? 初日の勤務は」
「子供達に上手く接せられるか不安でしたが皆人懐っこくてすぐに溶け込めました」
「ふふ、良かった」
トレイシーに施設内の案内をしてもらった後は、子供達に礼儀作法を教えた。子爵家のダイアナやトレイシーが礼儀作法を教えていたが、上位貴族の礼儀作法を教えるフィービーに皆目が釘付けであった。
未来のアリアージュ公爵夫人になるのだからと特に厳しくされたのが礼儀作法だった。時に抜き打ちで様子を見に来た父に出来ていないと叱責された。母ダイアナはもっと美しく洗練された動きをしていたと怒鳴られた時は、家庭教師が止めに入った。その当時フィービーは九歳。母が亡くなって一年しか経っていなかった。
孤児院を出て教会に戻ったフィービーは真っ直ぐオルドーの執務室へは向かわず、建物の横にある花壇に足を向けた。
『私も早くお母様のような立派な淑女になりたいです!』
『大丈夫よ。フィービーと同じ歳の頃のお母様は、ドレス姿で木に登ったり屋根の上に行っては周りを困らせてばかりだった。フィービーの方が何倍も立派な淑女よ』
『ええ!? お母様が?』
『そうよ。ふふ、旦那様と出会う前の話だけれどね』
常に微笑を浮かべ、家族を優しく包み込む聖母の慈愛を出し、帝国一の完璧な淑女と謳われた母の意外な過去に驚愕したのはよく覚えている。子供の頃のフィービーもよくミリアンと一緒に庭を駆け回って父を困らせていた。そして追い掛ける父に捕まり抱っこをされて喜ぶのが大好きだった。……母が亡くなって以降、活発な性格は鳴りを潜め、母と同じ完璧な淑女になるよう徹底付けられた。
「完璧な淑女、か」
完璧な淑女なら、婚約者に冷遇されようと微笑を貼り付けて受け入れて当然だと父やミリアンは思ったのだろう。健康なフィービーより、病弱な幼馴染であるダイアナを優先するミゲルが正しい、と。
二人にとっての正しさはフィービーにとっては正しくない。反発し合うのも必然。
花壇の前に立ち、ぼんやりと蕾を見下ろす。時間が経てばミゲルへの恋心は風化して苦い初恋に昇華してくれるのか、と考えていると「フィービー?」と呼ばれる。顔を上げて視線をやればオルドーが立っていた。
「どうしたんだ、そんなところで」
「あ……いえ。ちょっと考え事を」
静かな場所で一人になるとミゲルのことを考えてしまう。癖になる前に直したいのに止められない。
「さっき、ダイアナに君の初日を聞いた。上手くやっていたと言っていたがフィービー自身はそう思っていないのか?」
「いいえ。子供達は皆良い子でダイアナさんやトレイシーさん、スザンナさんやウォレスさんも良い人ばかりでした」
礼儀作法を子供達に教えていると亡くなった母のような完璧な淑女になれと父に強制付けられていた日々を思い出してしまっていた。父が言う完璧な淑女とは母を指す。容姿も声も瓜二つなフィービーが完璧な淑女ではないのは有り得ないのだ、あの父は。兄も然り。
「私達にとってお母様はお日様のような人でした。いつも家族を笑って見守り、温かく包み込んでくれる。……お母様が生きている時にミゲルと婚約していたら、ダイアナ様に嫉妬をする私をどう見ていたのかなって」
父や兄と同じで嫉妬をするなと怒るか、それとも悲しむフィービーを慰めてくれるか。優しかった母はきっと後者だった。母が亡くなっていなければ、父や兄もフィービーを慰めてくれた気がする。愛する妻や母に似たフィービーが悲しんでいるなら、と。
「フィービー。君は君で、ダイアナ様はダイアナ様だ。あまり会ったことはないが、少なくとも婚約者との関係に悩む娘を叱る真似は絶対にしなかった」
「オルドー様」
「何より、幼馴染だからと言って婚約者を放置するような男に嫁がせはしなければ、ダイアナ=ローウェルを止めるよう公爵に直接物申していた」
時折、周囲が驚く大胆な真似をしでかすのが生前の母であるが、格上の公爵に大それた真似をするとは考えにくいとフィービーが顔に出すと事実だと放たれた。
「ダイアナ様にもかなり仲の良い幼馴染がいたと知っているか?」
「いえ……」
「そうか」
昔の話と言えば、腕白な子供時代や父との馴れ初めが主だった。初めて知った母の幼馴染が誰か知りたいと訊ねる前にオルドーが口を開いた。
「トレイシーに聞いたんだが、鬘を被りたいとか」
「あ。はい、トレイシーさんに指摘されて初めて考えました。いくら貴族の出入りが少ないと言っても、人の噂は何時何処で入るか分かりません。髪を染めるくらいなら、鬘を被ったらいいとトレイシーさんに勧められました」
「まあ……用心に越したことはないか……。ぼくの知り合いに頼んで取り寄せよう。希望の髪色や長さがあれば言ってくれ」
「ありがとうございます」
鬘の件は一旦解決した。お礼を述べたフィービーは、さっきの会話の続きをした。
「お母様の幼馴染とは誰のことですか? オルドー様に言われて初めて知りましたのでちょっと気になって……」
「さて。誰だったかな。忘れた」
「え」
あっさりと出された台詞に瞬きを繰り返すフィービー。早く部屋に戻りなさいと言い残しオルドーは背を向けた。遠ざかる背を見えなくなるまで見つめた。
「忘れたなんて……きっと嘘、よね……? 私が知ったらよくない方とか……?」
特に仲が良かったのはアリアージュ公爵夫人キャンディスやアイの母イリア=アシュフォード男爵夫人と記憶しているフィービーは、他に親しくしていた相手が誰か脳内の引き出しを探った。幾人か候補はいるものの、幼馴染と呼べる間柄ではない筈。
「駄目。全然分からない」
次にダイソンに手紙を送る際、母の幼馴染が誰か知らないか記載しようとフィービーは建物内に入り、部屋に戻った。
――執務室ではなく、屋敷に戻ったオルドーは出迎えた執事に湯浴みの準備が整っていると伝えられると真っ直ぐ浴室に向かった。身を纏う聖職者の衣服は自身で脱いだ。帝都で生活をしていた頃は服の着脱から湯浴みの世話まで全て侍女や使用人任せだったものの、この地に赴任してからは大抵のことは一人でするようになった。人に世話を焼かれるのを好まないオルドーとしては、今の生活に満足している。
リラックス効果のあるハーブが浮かぶ浴槽に身を浸からせた。程好い温度、広く静かな一人の空間が一日で最も安心する時間といっていい。
「幼馴染、か」
オルドーには幼馴染と呼べる存在はいない。生まれが生まれだけに厳重に育てられた。先帝と同じ黄金の髪は、父を尊敬し敬愛している異母兄の劣等感を大いに刺激し、後継者争いの火種にならないという表の理由により叔父フィデスに引き取られた。
皇帝は父に似ているが、同じ髪の色を受け継いだオルドーの方がより似ている。亡くなった母親と瓜二つなフィービーとある意味では同じだった。
浴槽の縁に後頭部を預けたオルドーは湯気で霞む天井を見上げ、一時の安息に浸ったのだった。
○●○●○●
ウェリタース侯爵邸の庭では、人目のつかない場所にハンナが隠れていた。手には、先日初めて送られたフィービーの手紙が握られている。隣にはダイソンもいる。
「お嬢様が元気で良かった……! でも、私達が思っていた以上に遠い場所に行ってしまったなんてっ」
「仕方ない。中途半端に近い場所だとすぐに見つかる。あそこは冬になると雪と凍った地面によって道が通れなくなる。フィービーお嬢様が向かうには適した場所です」
「うう……! 距離が遠すぎるせいで私が希望した頻度での手紙のやり取りも出来なくなってしまいました……」
「月に一度か二度が限界でしょうがお嬢様が無事ならそれでいいではないですか」
「そうですけど……」
先代侯爵夫人が存命の頃よりフィービーに仕えているハンナとしては寂しさが募る。ずっと側で仕え、見守り続けたお嬢様がいなくなると日常の一部が欠けてしまい、言い様のない空虚を味わっていた。ダイソンとて同じこと。
「アリアージュ様との婚約は引き続き継続と聞いて驚きました。ダイソンさんもそうですよね?」
「アリアージュ様が奥様に頭を下げて頼み込んだと聞いています」
「今更過ぎますよ。散々、お嬢様を蔑ろにして幼馴染のローウェル公爵令嬢ばかり構っていたくせに」
「ハンナ。滅多なことを言うのではありません」
「分かっていますよ!」
この場にいるのが自分とダイソンだけだから話しているのだとハンナは憤慨する。
そろそろ持ち場に戻ろうとダイソンが声を掛けた。手紙をダイソンに預けたハンナが先に邸内に戻るとウェリタース侯爵と鉢合わせた。フィービー捜索で身体を酷使し、寝込んでいたが昨日起きて当主の仕事を再開したばかり。目元の隈や窶れた頬が侯爵の外見年齢を十歳以上上げていた。
ハンナは頭を下げ、侯爵が通り過ぎるのを待つ。
「……フィービーは」
不意にハンナの前に足が止まった。
ハンナはゆっくりと顔を上げた。
「フィービーは……見つからないのか」
「はい……。手掛かりすら見つかっておりません」
本当は何処にいるか知っているが絶対に言わない。顔にも出さない。神妙な顔付のハンナにそれ以上は言わず侯爵はフラフラとした足取りで行ってしまった。心の中でハンナは鼻を鳴らした。散々フィービーを冷遇していたくせに、いなくなった途端大切に思っていたことを思い出すのは遅すぎる。
ハンナはこの場を離れようとしたがまた侯爵の足が止まった為動かなかった。
「私が間違っていたのか……? 不埒な目で幼馴染という関係を見ていたフィービーが正しかったのか……? ダイが……そうではなかっただけで」
「?」
譫言を繰り返す台詞から出たダイはダイアナの愛称。侯爵がよくダイアナをそう呼んでいたのをハンナは知っている。
どういう意味なのかと考えつつ、またダイソンと二人だけになった時訊ねてみようと今度こそ自身の仕事に戻ったのだった。




