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なにかおかしい

馬車が城へ向かって折り返すころ、雲行きが急に怪しくなった。

冬の空は変わりやすい――なんてレベルじゃない。

海の向こうから、灰色の靄が押し寄せてくるのが見える。


「……あれ、霧か?」

俺が窓に額をつけると、サーシャも身を乗り出した。

「この時期に海霧は珍しいですね。しかも、早すぎる」


ユーリが御者に声をかけ、馬車が速度を落とす。

通り沿いの人々も空を見上げ、口々に囁き合っていた。

霧はまるで生き物みたいに、じわじわと陸へと侵食してくる。


そのとき、港方面から兵士が駆け込んできた。

「報告! 港湾地区で……巨大な影を見たという者が!」

「影?」

俺の背筋に冷たいものが走る。


父から昔聞かされた、もう終わったはずの“魔物戦争”の話。

あれは盛りに盛ったただの過去の武勇伝じゃなかったのか?

サーシャが一瞬だけ俺を見る――その瞳には、わずかながら警戒の色があった。


兵士の報告は、すぐに城へ伝わった。

俺たちが戻ると、玉座の間にはすでに父――ヴァルディミールが立っていた。

背後の地図には、港湾地区と国境線が赤く印されている。


「……影、か」

将軍様似の父が発した声が低く響く。

「魔物かどうかは不明ですが、漁師たちが騒ぎ――」

「不明なら確認すればよい。全軍を警戒態勢に入れろ」


「はやっ!」思わず口から出た。

「何かあってからでは遅い」父は当然のように言い放つ。

ユーリがすかさず頷いた。

「やはり若殿の予見通りでございましたな! 数日前、海を睨んでおられたのはこの兆候を感じ取って――」

「ただの景色鑑賞!」


……ダメだ、また話が勝手に盛られていく。

しかも今回は本当に不穏な状況っぽいから余計に笑えない。

父の視線が鋭く俺に向けられる。

「レンシス、お前も来い」

「え、俺も!?」

「第一王子として、その目で現地を見ておけ」


あー……もうこれ絶対、また変な方に行きそう。

サーシャが小声で囁く。

「……面白くなってきましたね」

「楽しまないで!」

ーーー


港湾地区に着くと、普段は賑やかな桟橋が、妙に静まり返っていた。

漁船はほとんど沖に出ておらず、数隻が波に揺れながら停泊している。

空気が重い。海から流れ込む霧は、薄いのに視界をじわじわと濁らせていく。


「……潮の匂いが、薄い?」

俺は鼻をひくつかせた。海沿いにしては、塩の香りがほとんどしない。

サーシャが小声で答える。

「漁師たちの話では、霧が出た途端に魚群がいなくなったとか」


父は護衛兵に指示を飛ばし、港の先端へと歩いていく。

ユーリが俺の肩を叩いた。

「若殿、あの霧……尋常じゃない濃さですな。あれはもう、魔物の前触れとしか」

「いやいや、決めつけるのはまだ早すぎるよ……」

(でも正直、俺も嫌な感じはしてる)


港の端から海を覗くと、波の下に一瞬だけ、黒い影が走った。

大きさも形もよくわからない。ただ、確かに“何か”がいた。


「見たか?」父の声が低く響く。

俺は反射的に頷いてしまった。

「……はい、でも正体までは」

「充分だ。すぐに沿岸警備を強化する」


また俺の一言が、軍事行動の理由にされてしまう。



そのとき、桟橋の向こうから港湾作業員が駆けてきた。

「将軍閣下! 沖合で……海面が赤く染まり始めています!」


作業員の叫びで、一同の視線が沖に向いた。

確かに海面がじわじわと赤く染まっていく。

前世の“赤潮”を思い出したけど……これは違う。

色が濃すぎる。血のように黒みを帯びている。


「……これ、プランクトンとかじゃないよな」

俺の呟きにサーシャが首を傾げた。

「プラン……?」

「あ、いや、こっちの言葉じゃない。えーと、小さな生き物の群れ……」

説明しかけて、やめた。

だって、漂ってくる匂いが――鉄のような生臭さだったから。


「この潮は……嫌な兆しだ。沿岸警備を強化しろ」


横でユーリが目を輝かせる。

「やはり若殿の読みは当たっておられた!海をじっと睨んでおられましたよね!先見の明というやつですかな!」

「読んでないし見えてないから!海を見てたのはただの景色鑑賞なんだって!」


父が「沿岸警備を強化しろ」と言ったことで港は一気に慌ただしくなった。

兵士たちが縄を引き、弓や魔術具を運び、桟橋の上はもう戦時態勢みたいだ。


俺は赤い海をもう一度見た。

霧は少しずつ晴れていくけど、赤色はそのまま残っている。

(……ただの海の異常現象だと思いたいけど)


「若殿、早く馬車へ」

サーシャの低い声にうながされるまま乗り込むと、父とユーリも続いた。

父の無言だった。そして、ユーリは「これでアルディナへの備えも万全ですな!」とご満悦。


(おいおい、何の話だよ)

俺は心の中でため息をついた。

たぶん――このまま城に帰ったら、また面倒な話に巻き込まれる。


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