【白蛇】担当パート
「えっ……あんたその子……」
玲奈の声が緊迫感を纏って背中に突き刺さる。
さっきまでの調子外れな呼びかけとはまるで違う。喉を鳴らす音すら、刃のように鋭く耳に届いた。
——しまった
ようやく私は我に返った。
慌てて背後を振り返ると、玲奈の目は大きく見開かれ、視線の先にはミレナが——。無邪気に微笑んだまま、こちらに首を傾げて立っていた。
「初めまして、まなみちゃんの彼氏です」
「「えっ」」
私と玲奈の声が重なる。
「あんたっ、いつの間にこんな子連れ込んで……ってそれよりも、彼氏ってなに!? ちゃんと説明しなさいよ!」
「いや……あの、違うの……聞いて……」
「あーあ、あんたがショタ好きなのは知ってたけど、まさか連れ込むなんて……。
ねぇ君、名前はなんて言うの? 真奈美に変なことされなかった!?」
「ねぇ……玲奈、聞いて——」
「昨日、一緒に“寝た”だけだよ!」
「はっ!? 寝た!? あんた、そんな節操なかったの!? 信じられないんだけど!」
「ち、違う! そう……だけど、違うから!」
必死で手を振りながら否定する私の声なんて、二人の耳には全然届いていない。
二人は私の話を遮って会話を続ける。
玲奈は持ち前の明るさとコミュニケーション力でミレナとあっという間に打ち解けていた。
「ねぇねぇ、真波ってさ、寝相悪いでしょ? 蹴られたりしなかった?」
「んー、大丈夫だったよ。むしろあったかくて気持ちよかった」
「うわー、それ聞くと余計に嫉妬しちゃうなぁ。ね、私とも一緒に寝よっか?」
「だから違うんだってば!!」
私が声を張り上げても、キャッキャと笑い合う二人の背中に吸い込まれて消えていく。きゃらきゃらと笑い合いながら、玲奈とミレナは自然に寝室の方へ足を向けていた。
私は慌てて止めようとしたが、喉が乾いて声が出ない。
——胸の奥を冷たい指でゆっくり撫でられたような感覚が走り、笑い声の明るさが急に遠のいた。
「ちょ、ちょっと待って玲奈! そこは——」
叫びは虚しく寝室の扉に吸い込まれる。
返ってきたのは自分の荒い呼吸だけだった。
次の刹那。
——「ぎゃああああああああああああああああっ!!!」
扉の奥から、耳を裂くような悲鳴が響き渡る。
私は反射的に駆け出した。
扉を開け放った視界に飛び込んできたのは——。
玲奈の体に覆いかぶさり、その喉元へ深々と牙を食い込ませる何か——白濁したゼラチン質の肉塊が、ぶくぶくと泡立つ音に混じり、湿った破裂音が間欠的に弾けるたび肉塊が震え、軋むたびに形を歪める。
湿った破裂音が耳の奥にまとわりつき、離れない。
鼻を突くのは鉄錆びのような血の匂いと、生臭い泥をかき回したような悪臭。思わず胃が反転しそうになる。
「たす……け……っ……」
玲奈はかすれ声を漏らし、震える指先を必死に伸ばして空を掻いた。爪が宙を切る音が、あまりにも弱々しく漂う。
その手はすぐに力を失い、床に落ちるように垂れた。
「……やっぱり、まなみの匂いは特別だね」
柔らかな声色のまま、それはゆっくりと身体を伸ばし、ぐにゅり、と骨の形を真似るように内部から軋音を響かせ、捻じれた。
赤黒い肉が皮膚を装うように這い広がり、髪の毛がずるりと滲み出て垂れる。
やがて、血に濡れた唇が三日月のように歪んだ。
「……まなみ」
それは、玲奈の声色そのままに囁かれた。耳の奥を撫でるように甘く、しかし私の背筋を氷の刃でなぞるように冷たい。
「あ、あなた……一体……」
そこに立っていたのは——玲奈の顔をした何かだった。
腰が抜けてその場にへたり込む。
視線の端、床には血の跡がまだ濡れ、玲奈がいつも髪に挿していた小さな飾りだけが転がっている。
姿はそこにあるのに、“本物”はもう戻らないのだと悟った瞬間、胸の奥で凍えるものが広がった。
「あの……姿は……?」
「んぅ? カレナの妹だよ」
言葉が喉に詰まって出てこない。
しんと静まり返った寝室に、血の滴る音だけがぽたり、ぽたりと響いた。
その間の長さが、息苦しいほどに重たかった。
ぽたっ……その音に、何かの蠢く音が被さり、耳の奥を不気味に震わせる。
僅かな間を置いて、今度はミレナの澄んだ声で——けれど、語尾だけが玲奈の声に変わる。まるで途中で喉が別の人にすり替わったかの如く。
「……それよりも、まなみ──ぇ」
耳の奥にぞわりとした違和感が残る。
「ボクと交した約束——」
その口元は確かに玲菜のものとして動いているのに、耳に届くのはミレナの笑い声だった。目と耳が食い違い、頭の奥で不協和音が響く。
臓腑を裏返したような吐き気がこみ上げ、冷や汗が背筋を伝う。心臓が痛いほどに早鐘を打ち、呼吸が乱れる。
「ちゃーんと覚えてるよね?」
その一言の中にも、不自然に玲奈の笑い声が滲み込み、声が二重に揺れていた。
床に転がった髪飾りが、まるで生き物の如く小刻みに震え、何かに呼応しているかのようだった。
「……っ」
小さく喉を鳴らす音が、静寂に滲んだ。沈黙が一瞬、世界を圧し潰すように広がる。
鈴が共鳴するような声は続ける。
「約束守って貰えないと、ボク——」